私は歩み拓こうとしてきた道が、どこにも続いていないのを悟りはじめた。試みは徒労であったばかりか有害で、水底から這いのぼる怨嗟のさざめきを厭いふり仰ぐ夜の帷にも青ざめた月が罪の証を立てて巡り、人の身に過ぎた好奇を嘲り笑うのだった。無用な書物を脇に押しやりペンを置く。窓覆いを閉めきったこの部屋に月光は差し入らず、取り囲む真闇に燭台の灯は儚く頼りなげに見えた。いっそ消してしまったほうがいいのかもしれない、この古く腐った血溜まりのような暗黒にもやがて目が慣れ、一人寝をはじめたばかりの幼子のように怯えることもなくなるだろう。今やあらゆる収集品、賢者達が大いなるものどもの裳裾にとりすがり写し取ろうとした真理の一端、書物やら彫像やら種々の道具やらといったただ古いだけのがらくたが、閲してきた歳月の重みで私を押し潰しにかかっている。息苦しさが耐え難い程に高まったとき、外の廊下に足音を聞いた。それは部屋の前までやってきて、場を満たす重苦しい静寂へ最後の一音の余韻を残し消えた。あとは無意味に過ぎた一刻一刻が降り積もるのみで、続く何があるわけでもない。足音の主との我慢比べに負けた私が立ち上がると、古物にまつわる幼稚な妄想はあっけなく散り失せた。自罰的な物思いは罪悪感を紛らわすのに丁度いいというだけのことで、私を窒息させかかっていた書架の住人も、実際はかびくさいだけの紙束だった。
私が顔を出すと、彼はあからさまに狼狽してみせ、その素朴な恥じらいは私を微笑ませずにはおかなかった。この男、聖剣の担い手として名を馳せる狩人ルドウイークは、身丈こそ大抵の人間から頭ひとつ抜け出ていたが、どうも圧に欠けた男であって、前に立ったとて見下ろされているという感じが一切しなかった。
「申し訳ありません、お休みのところを」
「謝らなくていい、眠れずにいたところだから。しかし君には忍び歩きの才能がないようだね」私はまた笑う自分を抑えられなかった。「予め知らせてくれていれば、もてなしの用意くらいはしていたのに」
謙虚な狩人はまた不必要な謝罪らしきものを繰り返し、獣の出現が単なる誤報だったこと、聖堂をうろつきまわる機会はそうないから、許されている間に少し探検してみようと考えたことなどを、彼らしい飾らない言葉遣いで説明した。しかし真実はひた隠しにされている。いくら好奇心がこの男の長靴の先を聖堂街へ向けたとて、最高位の聖職者(を気取る愚か者)の住まいに見るべき何があるというのか? 彼が自ら詫びたとおり、客を迎えるに相応しからぬ刻限なれば、閉ざされた扉に行き当たるだけだというのに。推論に擽られ、にわかに頬の緩むのを感じる。胸にきざしたのがいたずら心でなかったとしたら、おそらくはこの身によく親しんだ思い上がりか、でなければ破滅へ誘おうとする悪霊の囁きだろう。どちらにしろ私は余計なお喋りを続けた。
「単なる散歩にしては随分と長く留まっていたようだが、扉に面白い細工でもしてあったかな? 私は自分の無知を恥じねばならないな、寝起きする場所の飾りひとつ覚えていないのだから、観察者として二流かそれ以下だ……ああ、もちろん君もこんな冗談を本気にはするまいね。実のところ私は、君が私に会いたくてここを訪れたのであればどんなにいいかと思っていたのだよ。君と話すのは楽しい。というより、君のその姿が快いのかもしれない、大きな優しいけものを見ているようで──狩りの対象になるようなけだものではなく、友人として傍に仕えてくれるようなけものだ、触れれば温かく、心和ますほどにおとなしい」
私は自分の言葉がもたらす効果にいよいよ満足した。どこかあらぬ所へ視線をさ迷わす彼の瞳には、瑞々しい恥じらいの色がありありと見てとれる。英雄のこうした姿はいつでも例外なく私を楽しませた。悲しいかな、それは輝かしき学徒時代の虚しい模倣に過ぎないのだが、それでも実直な友人が軽薄な言葉の並びに弄ばれてあたふたする様は愉快だった。狩人という人種はああも獰猛に命を引き裂くというのに、みな驚くほどの純粋さ、無垢な部分をその懐に隠し持っているものだ……
「あなたの眠りが安らかであればと祈っておりました、あまりよくお休みになれないと聞いていたものですから」
おお、狩人よ! 私はこの好意といたわりの言葉を受け、感嘆するあまり余計なことを口走った。「ではいい薬がある、血潮のあたたかさを感じることほど人の気を鎮めるものはない。眠りに落ちる前に与えられた親の情けが、子の悪夢を遠ざける」
ふざけ半分の抱擁に、彼は意外にも同じものを返してくれた。厚く重なる装束の布地とともに、彼の匂いに包まれる。細雨に濡れた芝土や、厩に積まれた清潔な飼い葉を思わせる、素朴な香りだった。長剣のひと振りで強靭な獣を肉塊に変える両腕は、この上ない注意深さで貧相な私を抱きすくめていた。ああ、同じものを返してくれたなどと、これは私の戯れとは比ぶべくもない、慈しみとなぐさめの表現だった。どうしようもなくなった私が彼の胸へ頭を預けると、回された腕から心地よい力が加えられる。軽率なからかいの代償を、このような形で払う羽目になるとは。彼は厳かな調子で、なにか子守唄のようなものを口ずさんだ。耳に降る祈りにも似た異国の言葉は、錯覚の中でいつか友の囁いた言葉の切れはしと重なった。忘れたかった幸福が身の内に蘇り、愁いに喉を塞がれた私は、ただ静かに彼と相擁しつづけた。歩廊に満ちた月光に色彩を奪い去られたこの夜の一幕、愛情深く暖かい護り手は、私の愚かしい罪のすべてを知らない。
聖剣の加護を賜り獣を屠る、誉れ高き狩人ルドウイーク。英雄と讃えられる一方で、彼を恐ろしいと評する者も数多居る。そのどちらもが正しく、また同程度に誤っている。