領有権

「はあん、成る程。閣下、お相手はフロイト氏でしたな」
 何を根拠に、と不機嫌を露わにするこの不遜で傲慢なヴェスパーⅡに、私はシンプルな、故に反論の余地のない回答を差し上げた。この歯列は間違いなく氏のもので、彼が配属直後に折った歯の代わりを植えてやったのは私であるからして限りなく確実な真であるし、だいたい否定した所で意義のある問答には決してならないのだからここはひとつ専門家の意見を傾聴しては如何か、と滔々説諭すれば返ってくるのは怨嗟の呻きだけである。スネイル閣下は苛立ちをその形の良い眉の間であらわにしてみせたものの、効きそうな嫌味が思いつかない様子だった。愉快愉快、と私は趣味に実益を得ながらも、まっとうすべき職務に戻った。頚椎というのは現行の乗務座席の型に対応した神経接続における要となる部位なので、気は許しても狼藉は許すな……とこういう具合の説教をしてやってから、羞恥の温めたケルビンの上昇と、美しく整列した歯の軋りを存分に楽しんだ。このかわいそうな企業戦士がどれほど私の歯を折りたいと望んでも、これから己のインプラントをいじらせるという段階にあって、滅菌済の調整技術者に殴りかかる馬鹿はいない。
 一通りからかって気が済むと、やりすぎなほどたおやかな曲線を描いて傾く閣下の項のあたりに、私はようやく箸を向けた。綿球から染み出した緩衝液が、傷一つないプラチナと赤らんだ皮膚の境界に、見えない線を引いていく。私が参考にした歯型はそこからもう少し斜め下った、肩のあたりにつけられていた。そこから肩甲骨を滑り降りていくささやかな爪痕、鬱血痕、滑らかな表面がほんのり齧り取られた事実を示す可愛らしいできたての痂皮、私は舌を巻き、拍手のひとつでも送りたくなった。さても念入りに施された、縄張りと番の主張!
 けだし愛情というのは所有欲と結びついているものである。その点、我々は共犯であり、不倶戴天の敵同士でもあった。フロイト氏はヴェスパーⅡの魂を抱きこんでいたが、肉体のほうは私の取り分だった。とはいえ私はこの勉強熱心で努力家な共犯者が大好きだったので、できるかぎり譲歩するつもりだった。氏はどうせ脳底部の優美な血管走行などに興味はないのだから、接続端子周辺を除く表層の大半と、消化管の始端末端のごく僅かな一部については氏の分け前として構わない。然し今回のように私の領分を侵されては強化人間の命に関わり困るので、今度会ったときにでも、安全な扱い方を教えてやる必要がある。