じゃれあい

 やたらと厚着をしたフロイトが執務室に顔を出した時、スネイルは即座に十通りのくだらない提案を想像した。普段から自由に活動している男だが、演習かトレーニングか記録の参照でもしていればいいところを、わざわざ忙しいと分かっている副官のもとを訪れる背景にはほぼ例外なく思いつきに人を巻き込む意図があって、格好を見ればそれが何であるかは用意に察しがついた。
「スネイル、外出しないか」
 答えはどれに対してもひとつだった。「お断りです。何が楽しくてわざわざ遭難の危険を冒して基地を出なければならないのです」
「雪だ。雪で遊んだらきっと楽しいぞ」
 多忙な第二隊長はまったく子供じみた相手からよく見えるよう、わざとらしく呆れ顔を作ってから端末のチェックに戻った。画面は近ごろの情勢を反映して混沌としていたが、問題が山積みになっていることだけは変わらなかった。調査拠点を設置すれば大抵どこの馬の骨かも分からない独立傭兵を使ったベイラムの邪魔立てが入ったし、まるでがらくたと言うよりほかない解放戦線の自称戦士らが補給ラインを襲撃したりは日常茶飯事だった。おまけに両陣営の捕虜についても、再教育の計画は上層部の意思決定能力のなさで二転三転した挙げ句、結局は『現場の判断を尊重して君に一任する』などという丸投げに着地していた。もちろんルビコン3に投入されたヴェスパー部隊は紛れもなく精鋭であったし、立てた作戦はおおむね成功裏に終わり、要請すれば必要とする物資リソースは速やかに届けられた。しかし建前上は封鎖されているこの惑星で封鎖機構に睨まれるような大規模な活動はできず、言ってしまえばだらだらした膠着状態がいつまでも続きそうな気配だった。
「スネイル、その作戦がどれだけ重要かは知らないが、いざとなったら俺一人出してくれればMT部隊のひとつくらい一時間で片付けてやる。それよりも──」
「黙りなさいフロイト」彼は近づいてくる相手に憎々しげな声を向けた。「そう安々と使える駒でないことは貴方自身がよく承知しているでしょう。純人間にはクールダウンが必要です」
「クールダウンが必要なのはお前も同じだろう。スネイル、根を詰めると頭が鈍るぞ。たとえ強化人間でもな」
「遊んでいる暇などないと言っているのです。分かりませんか」
 相手が黙り込むのに対し、やっと飽きたか、とスネイルは安堵した。だが仕事に戻りかけた瞬間、机の向こうから思いもよらぬ台詞が投げかけられてきた。
「ヴェスパー部隊首席隊長権限で命令する。ヴェスパーⅡ、俺と来い。背くなら処罰を覚悟しろ」

 フロイトは膝まで積もった雪の上、着込んだ布地で二倍は膨れた身体を跳ねるようにして運んでいった。遠近感の狂うほど均一な白の中に、支給品のコートの濃紺が座標として刻まれる。基地の裏手にはちょっとした広場があって、荷の積み下ろしやMTの一時的な置き場として使われる部分を除きあまり雪かきがされていなかった。スネイルはコートの襟から雪玉のかけらをはたき落とした。パイロットスーツの防寒性能は優秀で、着用者が循環機能や産熱能力の高い強化人間ともなればそれひとつ身につければ極寒の大気に晒されたとて寒さに震えることなどないのだが、フロイトは「見ているだけで寒くなる」と連れ合いに厚着をさせた。理由がそれだけではなかったのは、おもむろに屈んだフロイトが投げつけてきた雪の塊により判明したのだが、フェアじゃないからな、と彼は言い、気合を入れて手袋の間で雪玉を固めにかかった。ルビコン3の雪は粒径が細かくさらさらとしていて、投げれば空中で崩れて半分くらいになってしまった。だがそれが逆に面倒なのだ。スネイルは首筋を伝うほんの僅かな水滴を身動ぎして着衣に当てて吸い取らせると、なおも遊びを続けようとするふざけきった男に向かって、やめろと一声警告した。もちろんのこと無意味だった。ヴェスパーの第一隊長は良くも悪くも無邪気な男だった。基本的に指示は守るが、作戦中何かに興味を惹かれれば軽やかにそれを無視した。アイランド・フォーで護衛対象を損なったこの悪癖は、日常においてもよく表れて、隊員や整備士、そして何よりスネイルを巻き込むことが多くあった。今度は雪で、殊更に馬鹿馬鹿しい。顔めがけて飛んできた次弾を難なくはたき落としてやってから、スネイルは足元の雪を掬った。握り固めて振りかぶり、投げる。ほとんど直線に近い軌道でフロイトのコートの左胸に直撃する。
「受けて立つか。そうこなくちゃな、スネイル」
「当たり前です。どうせあなたは無視したところでこちらが折れるか、乗るかしなければ満足するまで続けるでしょう。ならさっさと負かして終える方がいい。勝敗はどう決めますか? 『相手を殺せば勝ち』なら今ので決着していますが」
「お前のそういう所がそそる」彼は言いながら再び足元をさらい、走り出しつつそれを固めて投げた。「もちろん相手に降参と言わせたらだ」
 なるほど、とスネイルは飛んでくる不整形の球を屈んで避けつつ、踏み込んだ足で地面を蹴って相手を追った。寒風吹きすさぶ野外に出ていこうという酔狂な輩は彼ら以外に居なかったので、一切の乱れもない雪原に刻まれる荒れた軌跡は彼らだけのものだった。初めはある程度固めた大きめのものが飛び交ったが、そのうち二人とも拳で握り込むだけで作った、質より量の作戦を織り交ぜるようになっていった。貧弱な一撃も、場所を狙って立て続けにぶつければなかなかの損害を与えた──首まわりを雪だらけにしながら、追いかけっこはしばらく続いた。フロイトの見切った連撃を目眩ましに利用して、スネイルは一気に攻勢をかけた。片手で育てておいた大きめの雪玉が、回避後の着地硬直を狙って投げつけられる。と、かなりの速度で迫るそれに同量の雪塊がぶつけられ、両者の隠し玉は空中で砕けた。その氷の粒を散らすように、反撃のために用意されていた二個目の雪玉が飛んだ。虚を突かれたスネイルの額に思い切りぶち当たり、髪や顔が雪にまみれる。彼は頭を振ってそれを落とすと、被弾した相手へさらに畳み掛けようと作業するフロイトに向かって、猛然と走り出した。通常なら足をとられる積雪のなか、強化人間の身体能力をいかんなく発揮して瞬く間に距離を詰めると、もたついた動きで逃れようとする相手にやすやすと追いつき、胸ぐらを掴んで引き倒した。
「卑怯じゃないか、それは」
「レギュレーションは降参と言わせることでしょう」
 息のあがった純人間は、膂力で到底叶わない相手の腕から逃れようともがいた。雪上の不安定さを活かしてうまく相手の軸をずらすと、コートの布地を握りこみ、適切に力をかけた。さしものスネイルもこれにはぐらつき、勢いを利用して位置を交換する。今度太陽を背にしたのはフロイトだった。
「どうだ、降参する気になったか?」
 返事の代わりに手のひらいっぱいの雪をぶつけられ、反射的に瞼が閉じた。しまったと思いつつ転げる身体になんとか追いすがり、立ち上がってまた上をとろうとするのを押さえつけられて倒れる。彼らは客観的に見ればかなり無様にくんずほぐれつし、ほとんど真っ白になって暴れまくった。もうなんだかよくわからなくなった頃合いに、気だるげな声が投げかけられた。
「ストップ、休戦だ。終わりにしろ」
 着膨れ男にもう一人が馬乗りになった状態で動きを止めた彼らの上に、晴れた真昼の陽光を受けた、薄青く広い影が落ちる。両隊長は声の主を見上げた。
「オキーフか。こんな所で会うとはな」
「ヴェスパーの最上位がこんな基地の裏手で殺し合っていると報告されれば様子くらい見に来る。まさか取っ組み合いの喧嘩とは」
 笑いながら煙草を咥えるオキーフの後ろでは、メーテルリンクが所在なさげに立っている。おそらく非常事態を危惧して連れて来られたのだろう。真面目な彼女の前でやっと地に足をつけて姿勢を正した上官達は、多少はたいたくらいでは誤魔化しきれないほど、全身まるごと雪の粒に覆われていた。鼻の頭を赤らめた首席隊長はくしゃみをし、場の空気をさらに気の抜けたものにした。
「喧嘩じゃない。雪遊びというやつだ。こいつは息抜きさせてやらないとどこかで爆発するからな」
「少々熱中しすぎたようです。このことはくれぐれも……内密にしておくように。流言は止められないでしょうから、その真実は殺し合いで構いません。雪遊びに取っ組み合いなどというくだらない内容より遥かにいい」
「くだらない割に本気だったな、スネイル」
 フロイトは相手の肩を叩き、その振動で相手の頭から雪が落ちるのを見て笑った。スネイルは澄ましているのも馬鹿らしくなり、情動に従って唇の片端をわずかに引き上げた。それから四人は基地へ戻り、約一名の冷えた身体を温めるため、暖房のきいた休憩室で、泥水のようなフィーカを啜った。