夢を語れば

 氷原の化け物退治とやらに出かけたスネイルが、ようやく帰投したらしい。その作戦には俺も大いに興味を引かれていたのだが、曰く、参加できるのはコーラル兵器の汚染に耐えうる肉体の持ち主だけですよ、ということなので基地で大人しく待っていた。うちからは遠隔地からヴェスパーⅣが出て、他の陣営からはベイラムがガンズ5を、RaDが無人機を、そして例のハンドラーが俺の代わりに壁越えに出たレイヴンとかいう独立傭兵を寄越してきており、ルビコンでも類を見ない大規模な合同任務となっていた。無人機以外の二名はどちらも旧世代型の強化人間で、もともと汚染が服を着て歩いているようなものだから泥まみれになっても構わないのだと、スネイルは鼻で笑って見下していた。ただその様子のあまりに楽しげだったのが、遠足前の子供のようで面白かった。やつは作戦立案をかの“歩く地獄”に任せきり、技術的なところは先進開発局とRaDの頭目に丸投げ、ここぞの一撃は独立傭兵と狙撃要員の腕次第、とかなり気楽な立場のようだった。肩に(というより頭の中に)責任の二文字の重荷を背負わなくていい上に、あわよくば裏切り者を始末したりなんだりと卑怯な小細工を考えなくていいのは実際、かなり、楽なのだろう。この方面で助けになってやれないのは俺も自覚しているところで、だからこそ今回ばかりは無断で少し見学に行く、なんてのもやめにしておいた。代わりに各機体から送られてくるリアルタイムの中継を自室で鑑賞し、ポップコーン片手にそこそこ充実した余暇を過ごしたのだが、予定の時刻になってもスネイルは部屋まで帰ってこなかった。プラットフォームでお出迎えなんてのは恋人のやることだし、パイロットも汚染源になりうるから決してヘリの発着場にもドックにも近寄るなと厳に言い含められている。検査の数値が悪ければ次回の出撃に響くので、不用意にうろつくわけにもいかない。それにしても遅かった。このまま画面とにらめっこを続け、レイヴンの位置取りをもう三周眺めたところで、あの高慢な副官殿が顔を出す気配はなさそうだった。事態を把握していそうな誰かに映話でもかけようかと思ったところで、部屋の通信機から悲痛な声が響いてきた。
『医療班の者です。第一隊長殿、おられますか?』
 俺がスネイルの部屋に入り浸っていることは今や周知の事実だった。内心は待ってましたという感じだが、それを隠して淡々と声を作る。
「どうした、何かあったか」
『ああ、フロイト隊長』涙声だ、かわいそうに。『スネイル閣下が逃げました』
「それは面白いな。俺はどうすればいい」
『追いかけて連れ戻してください。ほかは最悪構いませんが、できれば頭部は無傷でお願いします』

 技研のコーラル兵器は見た目通り常識はずれの代物だった。戦闘記録には乗ってこない汚染の度合いも凄まじく、放出されたコーラルの量はまともに浴びれば致死量を遥かに上回り、雑な試算でも地形図は真っ赤に染まった。派手に撒き散らされたところをみると、場所を選んだとはいえ離脱後もかなりハードな脱出劇を余儀なくされたに違いない。回収班によれば高濃度のコーラルの嵐の中を回収地点までこぎつけたはいいものの、ヘリの中で気を失って、そのあとは昏睡状態だったという。だがちょうど基地に着いて積み替えを行うという段階で目を覚まし、周囲の作業員五人をぶん殴って大立ち回りを演じた後、地上人員用のスノーモービルをかっ飛ばして外に出ていったのだそうだ。おそらくはコーラル酔いだというのが技術者連中の見立てで、俺の見た戦闘記録に照らしてもそれはどうやら確からしい。流れ弾のひとつが回収地点に少々近すぎるあたりで爆発していたはずだ。普通の人間なら死ぬだけで済むところを、やつのような強化人間は人造の副脳でコーラルの侵襲を和らげて、ドーザーのやるような愉快なお楽しみのレベルに落としたというわけだ。俺に迷子探しの白羽の矢が立ったのは、自社製品の性能に救われてご機嫌になったヴェスパーⅡに対し、回収に手間取ってどんな損傷を与えても処罰されない唯一の人間だからだ。スネイルは下の人間には理不尽な扱いをすることが多かったから当然だ。俺が応じなければMTかなにかが出ていって、正気を取り戻すか意識を失くすまで遠巻きに放置するくらいが妥当なところだろう。だいぶ前に消えた相手を同じスケールで追跡しても埒が明かないので、俺は迷わずロックスミスに乗り込んだ。兵装も積まず、ただ出るだけの近場の散歩。制式のジャケットを羽織っただけでコックピットに腰を落ち着け、システムに目標をセットして(社の備品はどんなものでも追跡可能にされている)から出発した。
 ロックスミスの塗装は思いの外夜闇に馴染む。これまで顧みられずにきた大陸には宇宙港以外大した施設もなく、機体から発生する以外には特段の物音もない。ないない尽くしの視界で輝く空は、禍々しい赤に染まっていた。利用することもできないコーラルの残り滓が上空で滞留しており、悪夢じみた光景が地平線の果てまで広がっている。このあたりには打ち捨てられたグリッドの遺骸もあまりなく、見晴らし自体はかなり良い。レーダー上の輝点はしばらく動いていない。予想通り、比較的なだらかな傾斜を登った先でスノーモービルが乗り捨てられているのを見つけた。スネイルが歩きを選んだ理由と思しき岩棚をひとまたぎにして進む。移動用のブーストを切り、ここからは歩きだ。機体の揺れが心地良い。もう三つ目になった段差を越えると、ようやく目当ての人影が、切り立った崖の縁に現れた。豆粒のようなそれは、こんな夜のこんな雪深い場所で腰を下ろして寛いでいるらしかった。頭部のシルエットは丸く、まだヘルメットを被っているのが分かる。
「スネイル」
 俺はまず呼びかけた。人影が立ち上がり、振り向く。ふらついた足取りはこちらへ進みながら、どこか頼りない酩酊のステップを踏んだ。
『フロイトですか。あなたも夜の散歩とは、お互い趣味が合いますね』
「確かに散歩はいいな。もっと出ようと思うくらいだ。だが趣味が合うのとは違う。俺はもとからイカれた人間だが、お前がイカれてるのはコーラルをこれでもかと浴びたせいだ。戻らないとそのうち死ぬぞ」
『死にませんよ、私はアーキバスです……そんなことより見なさいフロイト、素晴らしい眺めではないですか』スネイルは両腕を広げ、芝居ぐるりと回った。『この惑星はきっと私達のものになる。この雪と氷と岩の下には、事前にあった通りの、いや、それ以上の莫大な量の資源が眠っています。すべて私達のものですよ!』
 広げた両手がヘルメットへかけられ、止める間もなくそれを外した。多分暑苦しかったのだろう。撫でつけた髪は乱れ、ややだらしなく緩んだ口元には曖昧な笑みが浮かんでいる。それは小さい子供が泣き出す直前の一瞬に浮かぶ苦悶の表情にも似て、かつ紛れもない陶酔を示していた。
『ベイラムは最後の足掻きで部隊を投入してくるでしょうが、それはあの独立傭兵か裏切り者の始末に使わせていただきましょう。あとは特段の障害もありません。やることは多いですが、無駄にならないのが素晴らしい……ルビコンの猿どもは価値も分からぬコーラルを己の物であるかのように歯向かって来ますが、あまりにもくだらない。惨めったらしく井戸の水を啜ってその日暮らしているだけだというのに。我々でなければこの惑星の資源を有効利用できません』
 希望に満ちた見通しに、俺は笑いだしそうになった。あまりにも自己中心的で傲慢で、企業らしい演説だ。俺達アーキバスはこれからこの惑星を搾取し、抑圧し、ルビコニアン達は抵抗むなしく奴隷に等しい立場に追いやられることになる。何たる理不尽だろう。だが自然を蹂躙し、そこに息づく既存の秩序を軽んじ、踏みつけ、蝕んで、支配するのは人類の常だった。母なる地球を食い荒らし、新しい宿主を探す病原体のように宇宙へ拡がっていった進歩主義者の末裔は、ルビコニアンがこの地で織ってきた調和や共生の精神とは縁遠い存在だ。スネイルにどんなルーツがあるのかは知らなかったが、この男は文字通り骨の髄まで“企業”なのだ。その忠誠がいったいどこへ向けられているかは分からなかったが(少なくとも上層部ではない)、おそらくは発展や進歩の象徴としての企業という概念自体に対する、なにか原始的な信仰に近しいものなのだろうとにらんでいる。
「分かったから早くこっちに来い。明日から忙しいなら、なおさらメンテが必要だろう。長くかかると医療班が自害しそうだ」
 駄々をこねるかと思ったが、スネイルは案外従順だった。ふらついた足取りの男をロックスミスの手のひらで掬い、ハッチを開く。タラップを登ってきた彼は狭いコックピットで重心を崩し、倒れ込むようにしてこちらまでやってきた。立ち上がることもせず、そのまま俺の座席の脚あたりに背を預けて落ち着いた。髪も表情も画面で見たそのままで、実際目の前にするとよれた印象ばかりが強かった。コーラルを抜きにしてもハードな任務だったのは間違いない。こいつは社にとって、使える備品でしかない。辺境の惑星で弱者を相手に王のように振る舞っていても、結局は手駒のひとつであるという事実には何一つ影響しないのだ。さっき披露した通りの未来が実現したとしても、いまと大した違いはない。前かがみになって、お疲れ気味の第二隊長のスーツの背の接続部を撫でる。硬質の手触りはこいつの肉体のほうに付いたそれとあまり変わりないだろう。俺はそうやって勝手に相手を憐れみながら、思いつきをそのまま口にした。
「なあスネイル、俺達二人でアーキバスを抜けて独立傭兵にならないか。あのレイヴンのように、お前が仕事を取ってきて、俺がそいつを片付ける。今から引っ掻き回せばもう少しルビコンで稼げるだろうし、十分稼いだら別の星系に移って、なんなら起業したっていい。俺は面白ければどうでもいいからな」
 怒り出す気配はなかったが、笑うでもなくスネイルは黙っていた。起きているのは緩やかに拍子を取るような頭の揺れで知れていたが、ともすると、幻覚にでも遊んでいるのかもしれなかった。返事を諦めかけたとき、楽しげなくすくす笑いが聞こえてきた。
「独立傭兵フロイトですか。何を言うかと思えば」
「馬鹿馬鹿しい響きだ」
「ええ、まったく……ですが確かに面白くはありそうですね」風向きが変わった。「貴方は上手くやるはずですよ……私としてもあれこれ口出しされて悩まずに済みますから、今より遥かに気楽にやれる。想像するだにおかしいですね。ふふ」
「なら、やるか?」
「ええ、いいでしょう。抜け出すのもそう難しくないでしょう。この局面です、トップ二人で出撃するのはそう奇異な事ではありません。帰ったら作戦を申請しておきますよ……」
 声が弱る。さっきまで揺れていた身体から力が抜け、頭がぐったりと傾いた。コーラル酔いが行くところまで行ったのだろう。俺はつられてぼんやりしかけた意識を最悪の想像で覚まし、一直線で基地まで戻った。スネイルはすっかり昏睡状態で、待ちかねていた医療班により処置室まで慌ただしく運ばれていった。俺はスネイルの部屋ではなく自分の割りあての部屋へ戻り、服を脱いでベッドに転がった。しかし眠りは容易には訪れず、結局、朝になるまで天井とにらめっこしていた。

 二日後、廊下でスネイルと行きあった。第二隊長閣下は目下の大問題と言うべきウォッチポイント・アルファに関する諸々に忙殺されていて、この偶然に助けられるまでは落ち着いて話す機会もとれなかった。歩きながらの世間話は、次第に愚痴まみれになった。ピンピンしていて何よりだが、コーラルが抜けるまでに溜まりに溜まった雑務の山は、病み上がりの身体をいたわってはくれないらしい。あれにこれにと手を広げすぎた自業自得と思えなくもなかったが、十分たっぷり抱えているストレスをわざわざ増やすこともないから、それには言及せずにおいた。話の流れが落ち着いた時、俺は気になっていた話題へと水を向けた。反応は鈍かった、というより一切噛み合わなかった。本人が明かしたところによると、あの夜のことはすっかり忘れているのだそうだ。私は何を言ったのですか、と不快そうにするスネイルは、眉間の皺まで普段通りに回復している。俺は答えた。気にするな、夢の話だ。