泥船よ進め

 ルビコンを覆うグリッドの一画、大昔には巨大な貨物の一時的な保管場所として使われていた空間に、彼らは寄り集まっていた。放棄された遺構は老朽化した部分から徐々に崩れ落ちて鳥の巣のような無秩序な骨組みを晒しているが、その場所は他の部位に比べしっかりとした構造が八面を隙間なく覆い、堅牢さを保ったまま荒廃を生き延びていた。内部はいかにもグリッドらしい飾り気のない内装で、鈍い照明の光の下では互いが互いの複製のような逆関節のACが二つ、つや消しの灰白色を備品のごとく馴染ませている。おおむね一般的な軽量機のフレームといえる見た目だが、少々滑稽なほど扁平な頭部は紛れもなくシュナイダーの試作品で、一般人にはまず手に入らないはずの代物だった。向かい合う形で立つACはアリーナにその名の知れたロックスミスで、正体不明の筈の二機の傍らに緊張感なく佇んでいる。パイロットも同様で、コックピットの中で昼寝でもするように腕を枕にし、ゆったりと力を抜いて次の展開を待っていた。
『それで、本当に来るのか? 随分と遅いようだが』
『心配ない。その気になれば普通の奴なら三日のところを五分に短縮する奴だ。じき乗り込んでくるさ』
 フロイトの言葉通り、数分後に待ち人はやってきた。出力を全開にしたブースタの爆音を轟かせ、見た目にも迫力ある重量二脚のACが広間へ飛び込んでくる。通信回線には「言った通りだろう」と満足げな一言が響き、感嘆の囁きが賑やかす。オープンフェイスの巨体は鋼鉄の床面をなめらかに滑り、立ち話の輪に加わった。フロイトは姿勢を正して操縦桿を握り、銃を持つ右手を上げてこの新しい遊び仲間に挨拶した。きわめて呑気なやり方だった。
『よく来てくれた。お前が時間にルーズなのは目下の奴との間だけだな』
『これは一体……何をしているのです、フロイト』
『何って、お前を待っていた』苛立ちの呻きに対し補足を加える。『独立傭兵相手のタッグマッチだ。一対二でも面白いが、せっかくの機会だからな』
 スネイルが回線の向こうで再び声にならない声をあげるのを聞いて、フロイトには次に何を言うべきか決めあぐねている相手の顔が見えるようだった。おそらくは口を半開きにして、こめかみの筋肉がわずかに痙攣している。瞬きも忘れた淡い色合いの瞳はじっと画面に向けられており、それから、なんとか内的混乱をやり過ごした第二隊長閣下は長く深くゆっくりと息を吐いて気を落ち着ける。犬があくびをするのと同じ、本能的な動作に近い。首席隊長の独断で為される作戦中の勝手は大概さらりと許してくれるが、自分が巻き込まれるとなると少々葛藤があるらしい。だがそう長く返事を待ってもいられないのが今のこの状況で、待ちくたびれた相手方は、既に退屈してしまっていた。フロイトは企業的なコミュニケーションにあるべき行程をいくつか飛ばし、さっさと話を進めることにした。
『二人共、見ての通りこちらは準備完了だ。始めようか』
『承知したヴェスパーⅠ、お前がそう言うなら。ようこそヴェスパーⅡ、言いたいことは山程あるといった感じだろうが、まずは聞け。簡単に説明してやる』
『我々は独立傭兵というより趣味のAC乗りと言ったほうが近い。ちょっとしたリークのお陰でルビコン3は盛況だ。傭兵支援プログラムにアクセスして今のトップを調べたらそこのフロイト隊長と連絡がついてな。試合の申し込みを快諾してもらった』
 スネイルはじっと耐えていた。というより、反論の意味がないことを知っていた。まったくナンセンスな戯れ言ではあったが、いかにもフロイトが食いつきそうな話だ。彼らは単純に強いAC乗りと戦う為だけに封鎖機構の衛星砲を掻い潜り、戦火渦巻くルビコンで強者を漁りに来た酔狂な連中で、なるほど確かにこの惑星には所属を問わず実力者が溢れかえっている。この場で己を囲んでいる三人が皆フロイトの同類で、揃いも揃ってたった今この瞬間が楽しければあとの事はどうでもいいといった連中らしく、常識が通用しそうな気配は一切感じられない。彼は苦り切った調子で口を開いた。
『事情については了解しました。私が大人しく従うという仮定はいったいどこから導いたのですか』
『俺の首からだな。俺かお前のどちらか一人でも部屋を出ると爆発する』
 絶句する相方をよそに、ロックスミスは悠々と両腕を広げてみせた。『さて、こちらは問題ない。そろそろ始めようか』
 スネイルが何か言いつのる前に、二機のACが動き出した。ロックスミスから送られてきた識別タグが、相対するACそれぞれを「カストル」と「ポルクス」の名で標識する。白い影のひとつが一足飛びに距離を詰め、右腕を引くのを視界に入れたスネイルは、未強化の人間であれば行われる反応処理を省略して反射的にトリガーを引いた。牽制の一打は致命的な初撃を退けるのに役立った。カストルと表示されたその機体が隙の多いパイルバンカーの空振りを嫌って身を引くと、もう片方がロックスミスのブレードの切っ先から逃れつつ追撃を防ぐべく間に入る。左手には取り回しのより軽いパルスブレード。鏡写しの双子の機体を見分ける点の一つだった。二機を同時に相手取るかたちになったフロイトは飛んできたミサイルをクイックブーストで躱し、レーザードローンを僚機代わりに軽やかに立ち回る。挟み撃ちを狙った双子は目まぐるしく入れ替わる三機の間を縫って飛んできたレーザーに分断された。仕切り直した彼らはグリッドの死骸の中で互角の戦いを繰り広げた。KASUAR/42Zの鋭利なシルエットがリズミカルに床を叩いて火花を散らすたび、砲火の音がそれに続く。双児のACは高機動の機体を活かして絶えず入れ替わりながら、演舞のように鮮やかな連携を披露した。一方で企業勢力のトップランカーはそれに比べればやや荒削りな動きではあるが、無意識のうちに互いの隙をカバーして動いた。ヴェスパーⅠとその副長は同じ戦場に立つことこそ既に稀にはなっていたが、幾度となく繰り返されたシミュレーション上の演習と彼らがMTに乗り組んでいた時分から蓄積された戦闘記録から相手の挙動を知り抜いていた。弾幕に晒されたオープンフェイスがスタッガーする寸前で切り込んできたブレードの刃がポルクスを焼く。姿勢を立て直した重量機は即座に相棒の背を庇うように移動し、迫り来るカストルへライフルと肩兵装から一斉にレーザーを叩き込んだ。被弾を覚悟の戦いは装甲の厚いオープンフェイス側にある。追われた機体は退くかに思われたが、ブーストを吹かして向かった先は中空でもう一機のパルスブレードと切り結ぶロックスミスだった。逆関節の蹴りが飛び、弾かれた青い機体へダメ押しとばかりにブレードを引っ込めたもう一機の蹴りと弾丸がここぞとばかりに叩き込まれる。弾幕から逃れる為の動きは重量機を置き去りにし、上空から降るプラズマミサイルの光が一秒前の戦場で炸裂した。双子は眼の前の獲物に集中した。首席隊長を刈り取るにはまたとないチャンスだった。分断されたロックスミスにFCS負荷限界が迫る中、彼の右手のライフルの弾が足癖の悪い敵機を狙ったが、それはカストルの軌道を一拍遅れて追随する形になる。入れ替わりに飛び出てきたポルクスの足元を、展開されていたドローンから一斉に放たれたレーザーの線条が掠めた。フロイトは追い詰められ、コックピットの中で人知れず笑みを浮かべた。次々と変化するそれぞれの瞬間に最善の手と最適な行動があり、拾いそびれたほうが負ける。一定の練度に達したAC同士の戦闘でしか味わえない感覚だった。ポルクスのブレードの閃きに同じく近接武器で応戦する。至近距離の拡散弾をクイックブーストで躱し、二機は手札を使い尽くしたロックスミスに狙いを定めて銃口を向けた。蓄積したダメージを考えればスタッガーまでこぎつける必要もない。前に出たカストルの左腕がパイルバンカーの予備動作で引かれる。
『悪いな、このあいだから構成を変えた』
 散るグリッドの錆びついた金属片と爆炎の中、ロックスミスの機体が眩い電磁パルスの光に包まれた。弾き出された鉄杭は防壁を一撃のうちに破ったが、本体には届かなかった。ロックスミスがふらりと退くと、カストルのパイロットの視界には、フルチャージされたレーザーランスの青い燐光を携えて突っ込んでくるオープンフェイスの巨体がコマ送りのように映し出された。彼は回避機動を取ろうとした乗機の脚部が脆く崩れた床面に飲み込まれるのを、コンマ一秒遅れて知覚した。ポルクスを襲ったレーザードローンの姿が脳裏を掠める。これは空振りに終わった攻撃の痕跡ではなく、仕掛けられた罠だった。追い詰めている筈が、向こうの思い通りに動いていたのはこちらだったのだ。彼は浅く息を吐き、目を閉じた。
 高出力のエネルギー兵器がフレームの合金を融解させながら破壊する硬質の破砕音が響き渡った。無傷のままのカストルが、頭部のカメラを横へ向ける。直前で横から割り込んだポルクスの脚部は完全に砕け散り、残りの部分が慣性のままに床を滑った。耳障りな金属音が収まった頃には、兄弟機に庇われたACの前にヴェスパーの二機が立っていた。オープンフェイスが右腕を上げ、眼前のカストルに狙いを定める。
『フロイトの首輪の設定を解除なさい。その後で、ここで死ぬか再教育センターに行くか選ばせてやるとしましょう──』
『おい、よせスネイル』ロックスミスが殺意剥き出しの同僚と、既に戦意なき対戦相手の間に入った。『処刑は無しってルールだ。拘束もなし』
『そうだ、ヴェスパーⅡ。お前があのまま突っ込んできていたならこちらは大人しく死んだが、今の状況でやるならルール違反として扱わせてもらう』
 ようやく脚を床から引き抜いたカストルが続いた。兄弟機の無線にノイズ混じりの音声が加わる。
『つまりフロイトを道連れにするって事だ。お互い得もない』
『……成程。理解しました、まったく貴方らしい』
 レーザーライフルの銃口が落ち、クローズドの通信回線に盛大な溜息の音が乗った。スネイルはそれきり追及するのをやめ、名目上の上官が二人の独立傭兵と健闘を称え合い、お互い生きていたらまたやろう、などとさも友人じみた約束を交わすのを黙って聞き流していた。相棒を抱えた軽量機がどこにあったのかと問いたくなるようなハッチの下へ消えてからも、彼は沈黙を貫いていた。物資輸送のためのレール上を滑る間も、二人の間に会話はなかった。そして道が尽は、機体が外気に触れた。傾きかけた陽が大気を赤く染めている。上空を流れ続けるコーラルの残滓は、この星の夕景をいっそう鮮やかに演出していた。
『理由を聞いても?』
 フロイトは飛び降りかけた姿勢のまま静止し、それから相手へ向き直った。彼に限らずAC乗りには、巨大な鋼鉄の機体でも自らの肉体でやるように振る舞う癖があった。
『何の理由だ』
『私を巻き込んだ理由です。貴方なら二対一でも十分に興味を引かれたことでしょう。やり遂げるだけの実力もあります。相手が求めるのが命ではなく遊興のための戦いというなら尚更私を呼びつける必要などない』
『お前はこの先忙しい。もう二人で戦える機会は無理矢理作りでもしない限り無いと思ってな』
『だからといってあんな取引まで。まあいいでしょう、過ぎたことです。私も少しは楽しめました』
 フロイトが口を開きかけた時、どこか遠くから、鈍い轟音が響いてきた。見上げれば、高速の飛翔体がルビコンの空を横切っていく。彼らにはそれが封鎖されているはずのグリッド高層部から射出された骨董品のコンテナであることなど知る由もなかったが、向かう先が大海を越えた不毛の地だという推測は、口にせずとも共有していた。ヴェスパーでも複数の部隊が中央氷原への到達ルートを開拓している。遅かれ早かれ、事態が次の段階へ進むことは明らかだった。
『奴らはこのまま少しグリッドに潜伏してから、頃合いを見てルビコンを出るらしい。俺達とやり合えたらそれで満足だそうだ。別の理由もあるかもしれないがな。ミシガンは俺よりアポイントが取りづらい』
 スネイルは鼻で笑うと、一足先にグリッドの縁から跳んで、帰投するべく降下をはじめた。ロックスミスはもう一度空を仰いでから、僚機の姿を追って飛び降りた。双子のものらしい輸送機の反応がセンサーに捉えられたが、わずかな手順でレーダー上から拭い去られ、二度と戻ることはなかった。

 フロイトは双子の使った正確な言い回しを伝えなかった。彼らの使った動詞は『逃げる』という語で、ネズミはいつだって沈む船を知っていた。