再教育センターとやらで何が行われているのか、あまり知らずに過ごしてきた。長官などという仰々しい肩書きは仕事人間(かつ権威主義)のヴェスパーⅡのものだったし、俺はもとより興味もなかった。支配圏内の犯罪者や紛争地域で集めた捕虜のうち適性のある者をうまいこと調整して自社の戦力に変えるという、いわば人的資源の再利用の名目で稼働しているこの施設はアーキバスの威光に照らされるすべての星系に設置されていた。まだそれなりの節度を求められる文明の中心地では常識的な矯正施設の域を出なかったが、ひとたび銀河の果てへ目をやれば千年以上遡った倫理のもとで人間が実験材料として扱われ、巨大企業がしのぎを削る戦場にあっては捕虜になることが苦痛に満ちた死の運命とイコールで結ばれた。速やかな死が与えられるならまだ幸運といえる。おぞましさに口をつぐむような多くの研究では、被験者が生かされていることのほうが多かった。ならば銀河の果ての戦場であるルビコン3に人道や科学倫理の存在するはずもなく、人間を自由に加工して実験に供しては、臆面もなくファクトリーなどと自称していた。俺が知っているのはMTやACの中で理性も正気も(それと肉体の大部分を)失った状態の犠牲者で、あくまで結果に過ぎなかった。過程はスネイルの領分だから任せきりでも支障なく、むしろ個々のパイロットが持つ創意を刈り取ってしまう彼らの処置には反感すら抱いていた。どれほど弱かろうが、そのままの人間のほうが相手取って楽しく、たまに現れる外れ値にこそ価値を認める俺の考えは、安定と効率重視の社の方針には反するのだ。ノータッチで問題ない。
とはいえ、近頃はそうも言っていられなくなった。ヴェスパーの副長は現場への指示や上層部との連絡やほうぼうの事業の監督といったお馴染みの労務のほかにはファクトリーでの仕事にかかりきりになり、暇か、でなければ戦場で得た高揚感を持て余した第一隊長の相手をしてくれなくなったのだ。臨時の施設には長官閣下専用の実験室があり、スネイルは長い時間をそこで過ごしているらしかった。中で起きていることに誰も深入りしようとはせず、外野に聞き回っても答えは得られなかった。知れば自分がそこで消費されるかもしれないのに、誰が首を突っ込みたがるだろう? 俺は部隊の人間から始めて技術畑をたどり、果ては事務屋や雑役夫まで煩わせてようやく、彼らが言外に、例外なく発していたメッセージを理解できた。そんなの自分で聞けよ。その通りだ、スネイルは扉の裏にどんな恥ずべき行いを隠していたとしても、俺を切り刻んだりはしない。だが俺は通りすがりの単純な問答で済ませる選択肢を早々に放棄した。百聞は一見に如かず、お忙しい副長殿が夢中になって耽る趣味には一見の価値ありだ。腹いせの目的もあった。正直なところ俺は親に構ってもらえずフラストレーションを溜めている子供に等しく、優先されないことに怒る面倒な恋人でもあった。基地の廊下ですれ違いざま呼び止めても、返ってくるのは「こちらは貴方と違って忙しいのですよ」などという定型句で、改めて考えると俺の胸に湧く情動の名は「不満」だった。自覚してますますやる気になった俺は一人でざっくり計画を練った。もちろん簡単なものだ、いつも通り訓練かなにかに誘い、断られたら時間を置いて訪ねていくだけでいい。他の人間が入れるようなロックではないが、ヴェスパーⅠの権限はこういう時に便利だ。
決行したのは思いついた翌日で、俺は愛すべきベイラム社員との小競り合いから帰投したその足で司令室へ向かい、翌日の作戦内容をまとめたスネイルをシミュレーションルームへ誘った。無論断られ、理由を聞けば捕虜の処遇がどうとかいう話になって、俺達はあっさり別れた。当初の予定通りシャワーを浴びて、髪を乾かしている間に時間が潰れた。ほどよい頃合いだろう、俺はあまり長風呂しない方だし、髪もさほど長くない。さっぱりして廊下に飛び出すと、戻ったばかりの隊員が俺の方をちらと見て、コンマ数秒で目を逸らした。首席隊長が誰も伴わずひとり笑む様子はその評判と相まってさぞ不気味だったことだろう。スネイル閣下とは別の意味でフロイト隊長を恐れる人間が多いのは俺本人も知るところだ。にやついたまま二、三人の動揺を追い越していく。俺の足取りは軽く、少し背中を押すだけの刺激があれば走り出しそうなくらいだった。俺は面白がっていた。長く付き合いのある悪友を、久々に遊びに誘う感じだった。そのまま廊下を進み、扉を抜け、角を曲がり、エレベーターを使い、幾つもの色調の異なる照明の下を歩いた。道中で何度か要求されたセキュリティ上の資格はアーキバスの規定に忠実で、例外なく最上位の番号に屈した。警備の人間の誰も俺を止めなかった。渡り廊下を越えた先ででかでかと自己主張しているポップなロゴマークの存在で、目的の区画に着いたのが分かる。思った以上の長旅だったが、外気には一度も触れなかった。再教育センターには支部の枝があちこちにあり、いずれも主要な拠点に寄り添って設置されている。分散することで襲撃のリスクも分散しようというわけだ。ただ、今回の実験で内部からの侵入には弱いことが証明された。ヴェスパーの番号付きが囚人を逃がそうと考えたらどうするんだ? 想像した風景はロゴマークの馬鹿馬鹿しさと合わせて笑いを誘った。それが成立する状況においては、大脱走も些事だろう。
除染を済ませて踏み入った悪名高いセンターでは、行き交う人も少なかった。時折悲痛な叫びが響き、命乞いとか自身の境遇を嘆く台詞が聞こえてきては避けるべき方角を教えてくれた。手元の端末で重要機密の地図を確認する。特別研究室はすぐそこだ。角を曲がって突き当り。もとは予備の実験室として作られたのだろう、内部はいくつかの部屋に分かれており、前室からそれらの内部の様子が確認できるようになっているはずだった。覗き見には都合がいい。さしものスネイル閣下も上位の権限には手出しできないので直前でお預けを食らって地団駄踏む心配はなかったが、懸念はひとつだけあった。俺は警報とか警告とか何かしら入室者の存在を知らせる機構がないことを祈りながら、最後のロックを解除した。ぴかぴかした塗料に塗り分けられた分厚い合金製の扉が、居室のそれと同じだけの雑音のみを伴ってあっけなく開く。賭けに勝った。もう一つの賭け金も問題なく懐に入ったのは、充満する静けさと薄暗さから分かる。前室は思いのほか広かった。右手の壁には空っぽの書架が並び、ここがもはや純粋な研究者の縄張りではないことを伝えている。奥に並ぶ二つの扉のどちらかが、第二隊長閣下のプレイルームだろう。俺は残りの空きスペースに造り付けられたコンソールの前に立った。並ぶ画面は当然使う人もなく、薄っすらと埃をまとっている。それらしい二つのボタンのうち、一つははずれだった。角のひとつから見下ろす構図で、真っ暗な空室が映る。角から見下ろす構図の中央にはコックピットにあるのによく似た座席が据え付けられていて、いかにも怪しげな雰囲気だ。陳腐な絵面に興を削がれつつ次のカメラに切り替える。映し出されるのがスプラッター映画の一幕なら帰ろうかと思いはじめていた俺は、次の瞬間、見事画面に釘付けになった。
中央に思わせぶりな椅子があるのは変わらないが、間違い探しならその他全てに大きな丸が必要だった。持ち込まれたであろう調度品には明らかな生活感が宿り、隅には生命維持装置のポッドがでかでかと鎮座している。それから男と思しき人影が二つ。例の椅子に腰掛けているのは、(斜め)後ろ頭でもよく分かる、親の顔より見慣れた俺の副官だ。心拍数を跳ね上げたのは、もう一人がやつの足元にうずくまり、その靴の甲の部分へ熱っぽく接吻している姿だった。カメラを切り替えるボタンを探す。こういうのは複数台用意されているものだ。少し固くなった突起を押し込めば、斜め前からの映像に変わる。尊大な構えでACふうの玉座に座す強化人間の様子はどこか戯画的だ。従者が顔を上げると、スネイルはなにか言葉をかけたようだった。もう少しよく見聞きしたかった俺は、一秒のうちにヘッドフォンを見つけ出した。すぐ手元に置いてあったにしては遅いスコアだが、俺は相棒の秘密の逢瀬にすっかり夢中になっていたから仕方ない。音声はクリアだった。人工知能で処理されているのか、空調や衣擦れの音こそ聞こえず静かなものだが、声に関しては息遣いまではっきり拾っている。スネイルはまた口を開き、お前の好きなように、と声をかけた。首の後ろの毛が逆立つのは、それがあまりに物欲しげで、あまりに情感に満ちていたからで、こんな物言いを他人にするのは一度も聞いたことがなかった。男は頷き、そのままスネイルの脚を持ち上げて頬ずりすると、肺腑の底から深い溜息をついた。恍惚に色づく呼気は継ぎ目なく崇拝の呟きに引き継がれ、やや乏しいながらも率直な語彙の賛辞が捧げられるたび、受け手の表情は緩み、唇は満足げな弧を描いた。やつが報酬に差し伸べてやった手を男は恭しく取り、またも熱心に唇を押し付けた。第一印象に違わぬ古ぼけた権威の構図。そして男は膝立ちになって相手の腿に頭を預けると、御主人様、と口にした。身に余る光栄を、とすすり泣きに滲む涙をそっと拭ってやりながら、スネイルはやつの辞書にそんな慈悲深い語句があったのかと驚くほどに甘い言葉で臣下の苦痛をいたわった。頬や頭を撫でてやる手つきも、普段の傲慢で態度のでかい、お高くとまった冷酷で気難し屋のヴェスパーⅡとは別人だ。やがて男が主人を見上げ、「聡明無比なる我が王よ」とやや過賞気味の文言から「貴方はとても美しい」とかいう俗っぽい褒め言葉を出してきたとき、俺の心臓はまた跳ねた。というのも、言われたスネイルがかなりまんざらでもない様子で手招きしてみせたからだった。男はそれに従って身を起こし、動きの鈍い両手がおずおずと強化人間のトルソーを這い上った。立ち上がり、さっきまですがりついていた膝の間に片膝をついて向かい合う。俺は息苦しさを感じてようやく、詰めていた息を吐き出した。このまま傍観していたらどこまで行くのか興味が湧いた。崇拝者の口づけは頬に落ち、首筋に落ち、肩のあたりで祈りに変わった。骨ばった強化人間の手が男の背骨をなぞる。恐らく時間の問題で、行くところまで行くだろう。依然として面白かった。スネイルが他人を好意的に受け入れている様子など滅多にお目にかかれない。だがこの戯れに小さく笑う声が混じると、邪魔立てしてやりたい欲求が猛烈に湧き上がり、窃視症の愉快を上回った。俺はヘッドホンをむしり取り、ぞんざいに投げ捨てて生体認証のパネルへ突進すると、ためらいなく扉を開けた。
誰も訪れないはずの密室で、侵入者は一拍遅れて認識された。スネイルの眼差しにははじめ純粋な疑問符が現れたが、すぐに不信感と怒りがないまぜになって眉間に深い皺を刻んだ。
「フロイト……?」
「なるほど。お前は自分に傅いてくれるおもちゃに夢中だったか」俺は大股で歩み寄った。勢いにわざとらしさが滲むのは我ながら幼稚に過ぎる行いだ。
「なぜここに貴方が居るのです」
「俺は行きたければどこにでも行く。そいつは何だ?」俺は御主人様に抱きついたままの男を顎でしゃくった。「ルビコニアンか?」
先ほど見えた負の感情が取り澄ました顔の裏に引っ込み、スネイルは平然と答えた。「ええ。補給拠点の車両に破壊工作を仕掛けようとした一人です。感心なお仲間が大人しくなっても、この男は頑として反抗的な態度を改めなかった。ファクトリーでの使用が決定されたのがひと月ほど前でしょうか。今は見ての通り従順そのものですよ。親を求める子のように……フロイト、まさか妬いているのですか」
瞳に人工の光を抱く双眸が意味ありげに細められ、それと呼応して変わり果てた捕虜が少しばかり頭を傾け、乱れた髪と服の間の暗がりから俺を見た。焦点の定まらない目が台無しにしているが、顔立ち自体は整っている。しばらく無意味な視線を向けたあと、元の体勢に戻って主の服に皺を寄せた。憐れな男の後ろ頭に置かれた手はゆっくりと彼の恐れを宥めてやった。実に愛情に満ちたやり方だ。蝋細工に似る血の気の薄い指が髪を梳き、低めた声で何かしら囁いてやれば男は動物じみた仕草で額を擦り付けて応えた。また高慢で嫌味ったらしいヴェスパーⅡの口元に微笑みが浮かぶ。俺は素直になることにした。
「妬いてる」
「はい?」瞬く間に笑みが引く。
「妬いていると言ったんだ。お前が思った通りにな。あまり買いかぶってくれるなよ、俺だって恋人を寝取られるとなったら面白がっていられない」
いつになく俗っぽい言い回しに呻き声で返事して、スネイルは男をどけると椅子から降りた。よれた服を直す背後では取り残された奴隷がぐったりと座面にもたれかかり、光から顔をかばって動かなくなった。
「あれは失敗作です。インプラントの試作品が周囲の……細胞の腫瘍化を誘発している。摘出したところで再度使えるようにする手間と彼自身の価値が釣り合わないので一般的な順化処置を施したまでですよ」
「初心者向けの説明に感謝する。これが一般的とは驚きだな。〝とても美しい〟?」
「黙りなさいフロイト。貴方に他人の趣味をとやかく言う権利があるとは、それこそ驚きです。先ほどの発言は聞き流します、恋人などと……どうせ明日には忘れているでしょう。貴方の言葉は軽すぎるんですよ」言い捨てて切り上げかけた会話を、スネイルは一呼吸ぶんの間を開けて続けた。「ただまあ、貴方があれに妬いているというのは悪い気分ではありませんでしたよ。どうせ持って一日か二日です。前線の作戦を追加で割り当てますから、それで憂さでも晴らしていなさい」
そうして第二隊長は俺に背を向けて、死んだように動かないままの男の面倒を見に戻った。余命いくばくの病人はまだ生きていて、ひび割れた声で歯の浮くような甘いフレーズを混ぜた感謝の言葉をいくつも並べた。強化人間の両腕が苦もなくそいつを持ち上げて、ポッドまで連れていく。蓋を閉じる前に恵んだのは安らかな眠りを祈る定型句だ。賞賛に値せず、祈る資格などない男の声は優しかった。ルビコニアンは同胞の命がこんな悪趣味のために弄ばれたと知れば、こいつを八つ裂きにするだろう。スネイルはしばらくポッドの上面に手をかけて、死にゆく中身を眺めていた。俺はやつが振り返らないうちに退散することにした。薄暗い前室を越えて、再教育センターの過剰な清潔さを抜ける。研究員の視線が俺の頭蓋を横切り、生体認証のパネルと警備員の不安、型番の違うライトが作る色違いの明暗、整備士の悪態、負傷したパイロットの不揃いな足音が意識の表層をやる気のない空調から吹き寄せる風のように撫でていった。俺は帰り道を行く途中、あることを考えて、自室に至るまでにそれを予定に変えた。一日か二日後で計画する。こんな味気ない環境でできる限りのロマンチックなディナー、思えばご無沙汰の気怠いセックス。肝心なのは褒めてやることだ。脳をいじくるまでもなく、俺が一番うまくやる。ほむべきかな、やつの美点なら惚れた弱みで山程挙げられるのだった。