その日は忙しかった。俺達は洋上都市、今や空中要塞と化したザイレムを墜としに、雲の上まで上がってきていた。このまま走れば宇宙空間ぎりぎりの高高度で、目も眩むような高さだった。文字通り俯瞰してみれば呪われた星も白雲をまとって青く美しく、宇宙開発のはじまりの神話を思わせるいい眺めだった。俺は左右に分かれた馬鹿でかい艦の、右側を担当していた。RaDの頭目が率いているとかいう組織は流石に兵器も潤沢だったが、幸いにして封鎖機構から奪った機体は相手の無茶な火力にもいい仕事をしてくれていた。幸運は俺に味方して、ケチな会社が今回の作戦ではLCを割り当ててくれていた。機動力に助けられ、トイボックスの猛攻をかいくぐって始末する。林立するビルを使って四脚機体の重撃をやり過ごすのもお手の物だ。俺は半ば鼻歌交じりに仕事をこなしていったが、作戦はじりじりとしか進んでおらず、爆発や硬質の摩擦音、レーザーの射出音や実弾兵器の炸裂音といったSEは戦場に絶え間なく響いていた。時折、下で露払いに出ているというスネイル第二隊長閣下の偉そうな声が賑やかな通信回線に飛び込んでくる。あいつの声がどうも耳につくのは、過剰にポッシュな発音のせいとも、聞き逃がせば八つ当たりの標的となりかねない緊張感とも理由付けられる。朝からご機嫌なスネイルは独立傭兵の襲撃にもあまり動じていないらしかった。旧世代型にコンプレックスがあるというのがもっぱらの評判で、アイスワームにとどめを刺し、技研兵器を退けて再教育センターからジャンク機体で脱出してみせたかの猟犬を些事と侮る上司の発言を聞きながら、俺は嫌な予感に襲われていた。処理を命じられた奴が死に(確か優秀な乗り手だった)、持たせろと雑に言い渡された奴がこれまた死んで(番号付きになるのも間近かと噂されていた男だ)ますます、俺の頭の片隅でわいた不快感は膨張していくようだった。目の前の軽MTを連射でまとめて爆散させながらも、俺はその名状しがたい靄のようなものを吹き飛ばすことができなかった。レイヴンはいつでも戦局をひっくり返してきた。番号付きの何人がこいつの手にかかって死んだんだ? 第一隊長も勝てるかどうか怪しいんじゃないか?
幹線道路沿いで頑張っていた重MTがようやっと黒煙を吹き出してスクラップに変わった頃合い、ヴェスパーⅠの呑気な声がコックピットに転がってきた。この期に及んで放っておけなどという第二隊長の指示にすんなり従う返事が聞こえてきたが、その後の沈黙が示すのは回線の切り替えだろう。あの人は気ままに見えるが判断は正しい。もちろん個人的な興味(いつかウォルターの猟犬と戦いたい、とくに最高傑作の個体とは必ず、などとのたまっていたのは部隊では知られた話だ)が最大の動機なのだろうが、趣味と実益がきちんとリンクした行動は上だけでなく下の平隊員からも評価が高かった。気難しい第二隊長を表面上のおもねりや薄っぺらいおべっかなしにあしらえるのも彼だけだった。ともすると、スネイルとまともな敬意の介在する人付き合いができる唯一の人間かもしれなかった。
続報が入ったのは突然だった。おずおずと、言いづらそうに始まったそれは不吉な予感に満ちていて、続きを聞くのが恐ろしかった。
『第二隊長閣下、報告いたします……独立傭兵レイヴンとの戦闘を続行していたロックスミスが』短い溜めが挟まる。『撃破されました』
そうですか、といたって冷静な返答の後、スネイルはパイロットが脱出したかどうかを聞いた。またも短い沈黙が設けられ、嫌な気配に包まれた。
『周囲に生体反応はなく、残骸のコアブロック内に遺体を確認しました。操縦桿を握ったままでした……最後まで戦闘を続けようとしたものと思われます』
決定的な情報に、返答はなかった。戦況を報告する声も止み、無音が続いた。建造物の影から飛び出してきた小型MTに対応する。難なく処理できたのに、爆散した破片が信じられない正確さで脚部の機構の隙間に刺さった。重大な損傷には程遠いが、インターフェースに表示された小さな警告と膝を掻く違和感が憂いを塗り重ねる。未来のビジョンは薄暗い。重苦しい無音が続いた。戦況の報告がぴたりと止んでいた。独立傭兵の動向すら上がらない。この空白に割り込む勇気のある人間は一人も存在しなかった。しかし耐えがたい時間は突如として終わり、スピーカーから割れるような大音量の絶叫が叩きつけられた。
『ふざけるな!! フロイト!! 私ひとりをこんな所に置いていくな!!』
次いで獣じみた呼吸音が数秒聞き取れ、次第に落ち着いて静かになった。それから至って冷静な指示が、普段通りの口調で平然と各所へ言い渡されていった。俺の属する一団も何かすべきことがあるはずだったが、激昂の余波が集中力をめちゃくちゃに荒らし、ぼんやりとしか記憶には残らなかった。俺はどうせ無意味な任務をひととき放棄すると、ビルが邪魔にならない高さまで上昇し、できるだけ遠くへ目をやった。真っ昼間の青く澄んだ空が呑気に晴れていて、どの方向にも限りがなかった。開放的な眺望は、俺の息を詰まらせた。行く先は既に塗りつぶされてしまった。帰りの切符はとうに手の中で燃え尽きて、道はこの点で途切れている。俺たちはここに閉じ込められた、こんな所に。避け損なったMTの欠片が、宙ぶらりんの膝でひどく痛んだ。