覆いを忘れた窓から、月明かりが注いでいる。俺は隣で眠る男の落とす影の中、その背に並ぶ道具としての証明をひとつひとつ数え上げた。直接の神経接続という安直かつ単純な理論のもとに設計されたこのパーツの配列は、蜥蜴の背にも似て美しい。交わされた情の熱さは既に去り、規則正しい呼吸が相手の眠りの健やかさを教えている。男が寝返りをうつと幻想はひととき窓の外で解け、月は宿営を見張る常夜灯へと変わった。そしてまた俺は広い身体の影に入り、薄闇の中に戻る。ただし視界は華やかだった、恋人の
作り物じみた頬骨に触れると、薄い瞼が当然のように開かれた。長い睫毛のあわいには、淡く光を遊ばせた機械仕掛けの瞳が覗く。俺はためらいなく顔を寄せ、二時間前の熱を取り戻そうとした。重ねた唇を互いに淡く食み、しばらくの間吐息を分かち合う。舌を入れてもいいか考え始めた頃合い、男はやんわりと身を引いた。
「これ以上付き合う気はありませんよ」
「どうして」俺は身動ぎして距離を詰めた。「何か不満だったか?」
「満足したからに決まっているでしょう。残りの時間を睡眠に充てるのでなければ、何のために仕事を先延ばしにしたと思うのですか」
「デートのためじゃないのか」
俺は懲りずににじり寄った。この往生際の悪さに恋人は背を向けたばかりでなく、ほとんど俯せになるようにして拒絶の姿勢に入ってしまった。フォルムこそ違えど二枚貝が殻を閉ざすのに似ていて、その表面を彩る白金が受けた光を控えめにこぼす有り様は、なんとも品よく優美だった。俺はうっとり見惚れながらも、欲を満たすのは諦めなかった。相手にされなくとも楽しみ方はある。広い背中に半ばのしかかり、うなじを押す椎骨の突起に口づけを落とす。人間の肉体はそれそのものが素晴らしい。原始の海で打たれた鋼を38億年の歳月が研いだ、銀河に比ぶものなき業物だ。人類はそこへ付け足しをして、自らの手で進化なる事象へ手綱を着けようとした。人体感覚の拡張はなにも新しい概念ではない。長く伸ばした頭髪や衣服や靴から始まって、包丁や鋏といった手持ちの道具、自転車に自動車、重機に飛行機、そしてACで果てまで行った。しかし次世代の強化人間が、コーラルを用いた旧世代型から一歩退いたのは面白い事実だった。コーラルという物質はいまだ謎に包まれており、焼きつきという少々間の抜けた名で知られる中枢神経系の細胞変性に関する報告も、幻覚や幻聴、健忘、意識の喪失といった表面的な観測に留まっている。それらしい仮説は両手に余るほど立てられているが、要は向こう側へ渡ってしまうのだろう。人を失った彼らにはもはや兵士としての価値もなく、あるいはもはや他人の思惑で闘争に明け暮れることもない彼らこそ、人の業から離れた賢者なのかもしれなかった。
大袈裟に拡がりすぎた物思いはいかにも迷惑そうな呻きによって遮られた。どけと言われているのが分かり、俺はむしろしっかりと腕を回して寝不足の相手を抱きしめた。冷え気味の肌はなめらかで心地良い。アーカイブ上でしか見たことのない海棲哺乳類の手触りは、ともすればこんな風かもしれない。俺の思考はまたも見当外れの方向へ彷徨いだし、夢中になって問いをまさぐった。体毛を欠く官能的な曲面は両者に共通するところで、確かにささくれ立った神経を宥めるにはぴったりのような気もする。シャワールームでの情事の記憶を追って不意に力を込めた指は、弛緩した胸筋に驚くほど深く沈んだ。お陰様で頭は空っぽになった。女の胸と大差ない豊かな手触りだ。漫然と柔い肉を楽しみ、調子に乗って揉みしだく。そこまで至っても、躾のなっていない第一隊長を完全に無視することに決めたらしい副長は抗議のひとつも寄越さなかった。アンドロゲンは逞しい肉体を捏ね上げるが、行き着く先が赤子を抱くために育てられた乳房へと収斂するのはなかなかに倒錯的なエロティシズムだ。存分に味わった俺は趣向を変えて、指先を立てて触知できるはずもない心臓を探した。無意味な探索の末に分かったのは、一定のリズムで繰り返される、穏やかで深い呼吸だった。
こうして俺は振り出しに戻り、眠ろうと努める恋人に対してようやく思いやりらしきものを発揮する段階まで、未熟な自己を成長させた。身を縮めてなお大きなシルエットから離れ、ベッドを降りて窓辺へ寄る。煌々と照り続けるライトの光は、文学や詩歌に輝く太陽と違い、希望になぞらえるにはやや他人行儀で冷ややかすぎた。カーテンの端に手をかけて、なるべく音の出ないように引いた。少し隙間が余ったが、細い光の筋は腹のあたりを横切っているから問題はなさそうだ。俺は自前の視細胞が暗がりに慣れるのを待ってから、元いた場所まで慎重に身を運んだ。眠りを妨げないだけの適切な距離を置いて、ブランケットの布地を少しだけ分けてもらう。小山のような輪郭がもぞもぞと動き、くつろぐのに丁度いい、単純な仰臥の姿勢に落ち着いた。息を潜めて見守っていると、胸骨の裏がこそばゆくなる。結局は好き放題甘やかしてくれるこいつが好きでたまらないのだ。寝息を子守唄に、俺も夜ふかしを中断した。ほんの少し目を瞑っていただけで、愛情のあたたかさは騒がしい俺の脳みそを、夢も生まれない深い休息の世界へと連れて行くのだった。