脳に遊んで夢を見る

 ヴェスパーⅡの手術予定が決まってから、私はこの日を審判の日の如く厳かに待ち焦がれていた。アーキバスの子飼いの中で最も執拗に調整を繰り返す強化人間、我が身の安全を無数の死骸で舗装する神経症の殺戮者。必要とされる水準は高く、我々は寝る間も惜しんで文献を読み漁り、シミュレーションに入り浸った。検証素材はいくらでも揃っている。人柱は彼ひとりのためならず、我々の側としても実験台は必要だった。ひとつの提案された術式が完成されるには実践が欠かせない。肩書きのない被験者は施し手を篩うのにも有用で、一人目が脳浮腫で死んだ後にはただちに検証が行われ、同僚の首がひとつ飛んだ。それから私の番がきて、以来五度、変わらぬ栄誉に浴している。確率には抗えぬことを教えてやるのも私の仕事だった。私は平生冷ややかに凪いだ彼の瞳に、紛れもない怯えが見て取れるあの瞬間が好きだった。そして白濁したレテの水がこれを宥め、彼が最後まで持ち続けるであろう人間らしい部分が薄い瞼の裏に隠されてしまうまで、私は無意味な質問を投げかけてはたっぷりと楽しむのだった。バイタルについて、精神状態について、術式に関する確認事項、事前と直前に隅々まで形成された合意をさらって、これから自分が何をされるのか、無影灯の下で認識させてやるのだ。すると高慢なヴェスパー上位が、雲の上から降りてくる。私は彼の前に絶対の神として君臨し、常に神託を授けてやった……

「閣下、御機嫌麗しゅう。今回も███が執刀いたします」
「お前の名など知って何になる。無駄口は叩かず仕事に集中しろ」
 うつ伏せになった彼の眉間に皺が寄るのを幻視できるほど、私はこのやり取りに慣れている。彼はつまらない技術者など記憶の片隅にすら留めていないかのように振る舞うが、私を知らぬはずがない。御自ら経歴を調べ上げ、記録に少しでも瑕疵があれば即座に候補者をすげ替えるだろう。自惚れを差し引いても、ルビコンで優れた技術者はこの私であり、これまでの手術は非の打ち所なく完璧だった。私は一礼して口をつぐみ、粛々と作業に戻った。丸めた背の凹凸をとりまく硬質の素材は膚の色とよく調和して、まるで一個の芸術だった。持ち主の意識が滞りなく麻酔され、無の深淵に落ちていったのを確認してから、私は仕事にとりかかった。
 助手二人は亡霊のように機材と処置台の間を行き来し、閣下の側近く控えているのは私だけになった。メスを取り、青白いカンバスへ創を引く。切開した皮膚の断面から、鮮血が玉になって滲んだ。できることなら鮮やかな粒のひとつひとつをこのまま固めて、舌の上で慈しみたいものだが。皮下組織を剥離し、乏しくも存在はする脂肪の層を、眠る赤子の手を除けるように脇へ押しやる。覗く筋繊維は私が手ずから繋げたものだ、型番まではっきりと覚えている。だが今回の目当てはその先、脊椎に抱かれた巡礼の路だった。中枢神経系の施術はとうに終わっていたが、オプションとして小さな機能を加えることになっている。ある特定の刺激に関してより優れた情報導体──無論コーラルに比すれば二流──を用いた側路を敷設すれば、機体の姿勢制御に最大二割の恩恵云々。理論は頭に入っていたが、そんなものはいま眼前に展開しつつある光景に比べれば遥かに矮小、顧みる価値のない下らぬ事象だった。予定された手順を違えることなく進めた私は、それを丹念に視線で舐めた。開創器が拡げた術野は、あまりにも明け透けに光の下へ晒されている。私は指先が震えるのを意志の力で抑え込み、露出した椎骨に軽く触れた。骨格のうち主要な部分はほぼ全てが、苛烈な加速度に耐えうる素材に置換されていた。脊柱をやったのは私ではなかったが、貫いて走る脊髄とその枝は私の手になる作品だ。私の作品、私の子。胸を突く衝動が吐息へ変わってマスクの内側を湿らせた。恥知らずの娼婦のように数知れぬ技術者に暴かれてきたこの肉体には、私の一部が植わっている!
 こちらの感動をよそに向かいに移動した助手が野暮ったいノズルを差し向け、流れ出る血を吸い取った。するとやや寒色に傾いた不自然な色合いが明瞭になる。いま視界にある人工物は、なべてアーキバス直下の機関が設えた特注品で、ヴェスパーの次席は、決して自らの調整に他社製品を用いることを許さなかった。この男は文字通り、骨の髄までアーキバスだった。一体どんな劣等感が作用しているかは推し量るすべもないのだが、社の所有物であることの愉悦こそ、本心では嫌で嫌で仕方ない手術室まで彼を連れてくる動機なのだろう。口惜しいのは私がスカウトされたのがヴェスパー創設の少し後で、当時は階級を持たなかったスネイルの、最初の施術に立ち会えなかったことだ。破瓜の苦しみは如何ほどだったか? 頭蓋骨を割り開かれ、脳深部へ捩じ込まれた電極はきっと悪夢をもたらしたはずだ、昔の技術は拙かった。生まれるのがもう少し早ければ、というイフの想像が緞帳を上げた。私はまだ不安を表に出すだけの初々しさを残した彼に、滔々と説明してやる。貴下の脳に設置する電極は地位に応じたグレードであるからして、これより細いものは使えない……彼は定めし怯えたはずである。男根に怯える乙女を前に嗜虐の快を知る、忘れ得ぬ日になったに違いない。私は淫靡な夢と並行してつつがなく現実に取り組み、接続部位を探し当てた。椎骨の小窓へ鑷子を差し入れ、余剰の端子を引きずり出す。主はこのように人の身を造られなかったが、技術者は常に拡張の可能性を考慮して製品を拵える。私は極めて微細な作業を黙々とこなした。既存の経路に編み込んでいった人工の神経線維がヴェスパーⅡを生かすのか殺すのかは分からない。ただ、また一つ自然から遠ざかったのは確かだった。強化人間は自らを切り分け、売り渡し、仮初めの価値を手に入れる。閣下、あなたはきっと御存知ないでしょう。御自身が捨てたあなたの一部を私が齧り、嚥下し、代謝したことを。組織の乾燥を防ぐため、一定の区間が終われば、創は順次縫い閉じられていった。終了予定時刻は二時間後だった。