「いま何と?」
「食事に誘ってる。そんな霞にも劣るビスケットを食って満足しているのはお前くらいだ」
フロイトは相手の指の間から食べさしの”主食B-2 “を取り上げると、一口齧って渋い顔をした。辺境の惑星で配給される糧食は聞きしに勝る味気なさで、ぼそぼそとした口当たりと相まって、さながら紙を固めて食べているように感じられた。彼は苦労して飲み下したそれの残りを机の上に放り出すと、しかめ面を引っ込めて、はじめにしたのと同じ質問を繰り返した。
「少し時間をもらえるか?」
スネイルは眉一つ動かさず画面に向き直った。「私のスケジュールが空いている訳がないでしょう。暇つぶしなら余所でやりなさい、相手が欲しければ私から命令したっていい。スウィンバーンか、メーテルリンクか、楽しい食事会ならホーキンスあたりが適当ですか」
「つれない事を言うな。ベイラムの相手ならここからここまで俺がやってやる。一人でいい、寄り道も浮気も無しだ。浮いた戦力を他に回せば一日で片付く」
ヴェスパーの副長の視線は素早く画面上の数値をさらい、数秒の沈黙のうちに結論が出た。フロイトが順繰りに指差したのはどれも施設破壊を目的とした作戦領域で、補給物資の輸送阻止だとか派遣された小隊の殲滅だとかいった彼好みの戦場は、みな候補から外れていた。確かにロックスミスが指示通り動きさえすれば、作戦進度の辻褄合わせはこれ以上いらない。戦闘のほうはMT部隊をまとめて雑に物量で押してしまえば、たとえレッドガンの番号付きが出てきたとしても及第点の成果が得られそうだった。
「分かりました。その言葉忘れぬように」スネイルはすぐに頭を切り替えて立ち上がった。「ではさっさと済ませましょう。共用の食堂など使いたくはありませんでしたが」
「お前は嫌われ者だからな──おっと、怒るなよ。心配するな、会場は俺の部屋だ」
「嫌われ者で結構。そんな些細な中傷に腹を立てるほど幼稚ではありませんよ……あなたの部屋?」
ただ頷いただけで会話を終わらせたフロイトに先導され、スネイルは重い足取りで廊下を進んだ。解消されずに残っていた疑問符は、どうせ後になれば分かると道中で捨ててしまった。前を行く男の背にはアーキバスの社章が乗っていて、軽んじられた証拠の皺が斜めに大きく走っている。この帰属意識に欠ける部隊の長に首輪を着けた上層部は、無能ではあっても人材確保については相応の手腕を発揮するらしかった。彼らがどのような契約を結んだかの具体的な内容はスネイルにも秘されていたが、彼が許された多くの特権の中に、部下を好きなように連れ回す権利が含まれていないのは断言できる。しかし日常の範囲に限っては、奔放な上官に振り回されるのもそう悪いことではなかった。スネイルに友人と呼べるような近しい関係性の他人が存在しないのは入社当時から変わらぬ事実で、気晴らしといえば寝るか度数ばかり高い酒を飲むか、あるいは無意味に人を呼びつけて応対次第で処罰するといった陰湿な行為しか選択肢がなかった。乏しい娯楽に加わったフロイトとかいう男のために、スネイルは既に少なくない時間を割いて分かち合っていた。とはいえ軽く会話をしたり戦闘訓練に付き合ってやったりする程度で、部屋を訪うことなどこれまでに一度もなかったのだが。
自室の扉を開けたフロイトは脇目も振らず隣のエリアへ突き進み、客を置き去りにしてしまった。下士官のものとは比較にならない面積のある居室は、殺風景であるにも関わらず端々から生活感が漂っていたが、幸い不潔な環境ではなかった。が、妙な一画があるのは用意に察知された。家主が向かった先には、近代的で無機質な企業宿舎には馴染まない──どこから運び込んだかは考えたくもない──薄汚れた使い古しの調理用機器が据え付けられていた。その上では明らかに無理やり増設されたと思しき換気扇が動き出し、絶え間なく空気を吸い込んでいる。
「フロイト」
「適当にかけてくれ。ソファの上の服は気にするな、そのまま下敷きにしてくれて構わない」
能天気な返答だった。そんなことより真っ先に弁解すべき事があるだろうが、と内心苦りつつも、追求を諦めたスネイルは脱ぎっぱなしにされた肌着をつまみあげ、軽く畳んで脇によけてから座面に腰を下ろした。手持ち無沙汰に様子を伺うと、フロイトは何やらを手にとっては台に向かってごそごそやっているようだった。しばらくの間は辛抱できたものの、もとは夕食がどうとかいう話だったことを思い出し、スネイルは不安に襲われた。作業の正体が料理であることはもはや疑いの余地もなかったが、問題はその献立だった。彼は席を立って主な材料がミールワームでないことを確認したくなり、次の瞬間にはその通りに行動した。腕をまくったフロイトの肩越しに見える光景はおおむね予想通りのものだったが、幸いにもおぞましい軟体動物の影はなく、缶詰やプラスチックトレーの代わりにあったのは一口大に切り分けられた根菜だった。
「スネイル、お前は客なんだから待っているだけでいいんだぞ」食材は次々と水を張った鍋に放り込まれていく。「それとも手伝いに来たか?」
「思ってもいない癖によく言う。私は自分の摂取する予定のものが安全かどうか確かめに来たのですよ、信用のない事を自覚なさい……しかしまさか野菜とは。本物ですか?」
「当たり前だろう。でなければ意味がない」
平然と言ってのけた本物の野菜のくだりは、おおっぴらに触れ回れば無用な妬みを買いそうな話題だった。紛れもなく社がヴェスパーⅠに与えた特権のひとつで、土くれになど触れたこともない富裕層の言うところの「大地に根ざした自然な食物」は、それがどんなに地味で価値なく見えたとしても(鍋の底に沈められた芋と根っこはまさに地味でつまらない代物だった)、コストと効率を度外視した単なる贅沢品として扱われた。ことルビコン3のような辺境の開拓星では、ただでさえ高い商品価格に輸送費が上乗せされる。
「私にその意味とやらが理解できるかは疑問ですが、まあいいでしょう。それにしてもあなたという人は。こんながらくたを持ち込んでいたなどと、こちらまで話が上がってこなかったのが不思議です」
「ドーザーと取引した。グリッドには入植当時のこういう設備が残っていて、少し手入れすれば使えるものが多いんだそうだ。さて、お前が気にしているのは俺が鍋の賑やかしにミールワームを入れるかどうかだろう。問題ない、蛋白質のほうは食堂で出されているのと同じ素材を使う」
「あなたにもわずかながら分別が残されていると知って安心しました」
「そういう物言いでからかうのは俺だけにしておけよ。さて、もう役者は揃ったな。あとは……」
フロイトは言いながら、調理台の隅に置かれていたくしゃくしゃの紙袋を手に取った。あまりにもごみ同然に置かれていたため、それまで視界に入っていても認識されていなかった怪しげな袋を、スネイルは訝しげに観察した。フロイトの存外ごつごつした指の先に挟まれて飴色の塊が取り出されると、たちまち不安が湧き上がった。何だこれは?
「何ですかこれは?」彼は疑問をそのまま口にした。「食材には見えませんが」
「味付けに使う。ルビコニアンはこれをスープの石と呼んでいるそうだ」
「待て、待ちなさいフロイト、今ルビコニアンと? まさかあなたは──」
「直接買いつけた訳じゃない。協力者の名前は明かせないが、とある伝手を通じて手に入れたとだけ言っておこうか。こんな見た目だが確かにお湯に入れると香りもいいし、こくが出てうまい」
石とやらは静止する間もなく小さな放物線を描き、鍋の水面に飲み込まれた。前時代的な機構をいじり、調理器に火を点けたフロイトは呆気に取られる同僚の肩を叩いて、少し待てと口ずさんで別の作業に行ってしまった。スネイルは今からでも自室に帰るか、ルビコン産の怪しげな石を没収すべきか迷ったが、結局はどちらもやめにして、元いた位置に退散した。
ほどなくして、テーブルの上には湯気の立つふたつの皿が並んだ。ダイニングセットとして使われるのが尋問室にあるのと全く同じ製品であることは、今日の客人には問題にならなかった。むしろこれ以上ドーザーに金を払った形跡を見つけるよりは、硬く座り心地の悪い椅子に据えつけられる方が何倍もましだった。フロイトは野営で使う樹脂製のカップを食卓に加え、スネイルと差し向かいの位置に腰掛けた。
「時間がかかって悪かったな。思いつきでやるものじゃない。他に手軽な料理が作れればよかったんだが、生憎と俺のレパートリーはスープかシチューの二択で終わりだ。どちらにしてもそう大差ない」
彼は喉の奥で笑い、自分の食事に手をつけた。スネイルは柄にもなくぼんやりしていたが、遅れて自分も匙をとった。技巧も芸術性もない琥珀色のスープは具材から滲み出たり崩れ落ちたりした澱でやや濁っており、お世辞にも客に出すような料理とは思われなかった。だが確かに香りは良かった。ルビコニアンが暮らす地上の汚染度合いについて考えないようにしながら、彼は手頃な大きさの芋のかけらを口に運んだ。思いの外つるりとした感触が舌の上を滑り、噛めば臼歯の間で、ある程度の形を保とうとしながら細かい破片に砕けていった。固くはないが煮すぎでもなく、小気味いい歯ざわりだった。汁自体にしても、性質の違う風味がよく調和して香りに深みを与えており、温まった液体が胃の腑へ落ちていく感じもなかなかに好ましい。仏頂面の副官の品よく澄ました食事の様子を、フロイトは上機嫌で見守っていた。素朴で不格好なスープと隙なく装った企業の男の組み合わせはいかにもちぐはぐで、おかしかった。
「お前の口に合ったなら嬉しいが」
「悪くはありません。足りない栄養素は後で補えばいい」
「そうか。好きにしてくれ」
それからはいくつか他愛のない会話が交わされ、夕餉の時間は実に和やかに過ぎていった。フロイトの喉仏が嚥下に伴って上下するのを眺めながら、スネイルの意識はまたぼんやりと空をさまよった。これほどまでに時間をかけて食事を摂ったのはいつが最後だっただろうか。
味覚は彼が最初に手放した機能のひとつだ。一般的に味とされるものは嗅覚に依る部分も大きいため、ヴェスパーの首席が手ずから用意したスープはまったくの無味でもなかったが、舌で分かるのは固形物の質感と液体の温度、そこに溶けた細かな粒子のざらつきだけだった。もとから食に興味の薄かったスネイルにとって、味覚の喪失は危機管理上の些細なデメリット以外に考慮すべき点もなく、無視できる副作用に過ぎなかった。怯える同期のパイロットを尻目に、ためらいなく同意したのを覚えている。だが彼はここに至って──無改造の男から手料理などというものを振る舞われるに至ってはじめて、自分の胸に小さな翳りが潜んでいるのに気がついた。それはおそらく世間一般に、後悔という名で呼びならわされているものだった。