男はぼろぼろのダスターコートの前を寄せ、隙間だらけのバラックへ吹き込む風に抵抗した。この星の人間は極寒の惑星で打ち捨てられていることに慣れきっているせいか、もはや寝起きに用いない住環境の気密になど頓着していないようだった。もとは地元企業の生産施設だった廃工場の片隅にへばりつくように建て増しされたこの店は年増のルビコニアンが切り盛りしており、自分で集めたか持ち込まれたかしたジャンクパーツに埋もれるようにして、たまに訪れる客をとびきりの愛想でもてなしていた。地元の商売人は解放戦線に義理立ててどこの馬の骨とも知れない輩とは取引しなかったから、広く門戸を開け放っているところはどちらかといえば稀だった。当然ながら自衛のために独立傭兵が一人雇われていて、そのやや長身の姿は今日は珍しく事務所にあった。ましな建材で補強された住居部分の戸口の壁に寄りかかり、リラックスした様子だが、よく見ればこちらへ油断なく目を配っている。寡黙な女だ。客は鋭い視線に気づかぬふりで注文の品を待ち、ぼろぼろになって端のめくれたカタログに手を伸ばした。載っているベイラムの「新商品」は驚くべきことに冊子の見た目ほど時代遅れでもなかったが、企業がルビコンに侵入しはじめた頃には既に定番化していた品だった。手袋に包まれた指が愛おしげに写真の銃身をなぞる。TURNERは良い製品で、メンテナンスが容易な上に、壊れても汎用の部品で修理して使い続けることができた。そうこうするうちにがらくたの隙間から、油紙をくしゃくしゃに丸めたような風体の、しかめ面の老婆の姿が覗いた。着込んだ衣服で膨らんだ身体は重ねた労苦に折り縮められ、雪の照り返しで黒ずんだ肌は人種的な特徴を枯木の印象で塗り替えている。もとはコンテナの一部らしき錆びかけのカウンターの向こうに陣取ると、平たい携帯端末の画面を相手に向け、見た目と同じくらい嗄れた声で宣言した。
「はいよ、お望みのものは揃ってる。1200だ」
「高いな」彼は片方の目を僅かに眇め、気さくな調子で続けた。「少しまけてくれ」
「つべこべ言わずに1200出しな」有無を言わさぬ口調だった。毛糸の帽子から縺れ出た髪にはまだ黒いところが残っており、刻まれた皺の深さが示すよりずっと若い可能性もあった。
「了解した。他の客に売ってもいいところを、俺の為に残しておいてくれたんだろう。感謝は金で示さなければな」
 男が品目のチェックを終えて手首を軽く振ると、画面は支払いが完了した旨の表示へ切り替わった。まいどあり、の決まり文句とともに端末がどこへともなく引っ込められ、老婆の乾ききった手が卓上に残されたカタログを男のほうへやんわりと押しやった。目配せで両者は互いの意図を確認し、ベイラム社の広報誌は男の片手をふさぐことになった。ポケットにねじ込めなくもないサイズだったが、男はこれ以上ページを歪めることなく運びたかった。男が軽い礼とともに立ち去ろうと踵を返すと、それまで一切口を挟まずに備品よろしく佇んでいた傭兵が、男の背中にこう呼びかけた。
「あんたのMTはよく手入れされてる。珍しいよ、このご時世じゃ単なる重機はそう大事にしてもらえないからね」
「BAWS製品はコックピットの配線まわりは荒いが、全体的に堅実でいい作りだ。できるだけ長く乗り回したい」
「そうだろうね」の一言で会話は終わりになった。ぶつ切りのようでいて何とはなしに親しみの籠もったやりとりで、そういう会話ができる場面はこの惑星では稀だった。誰も彼もが余裕なく動き回っていて、明日の命の儚さに苛まれて眠れぬ夜を過ごし、寄る辺なさはどの勢力に属していても、属していなくても同じだった。
 外に出ると、鈍色に垂れ込めた雲がいまにも落ちてきそうなほどに視界を圧迫していた。あまりぐずぐずしていれば間違いなく雪を降らせるに違いない。男はもう一度外套をしっかりと身体に巻き付け、付近に停めてあるMTへ向かった。無口な女傭兵が褒めたとおり、機体には目立った錆や歪みもなく、外部環境に晒されれば当然の範囲を除き、どの隙間にも泥や土埃が堆積しているということはなかった。足元には小型のコンテナを載せた運搬用のローダーが忠実な使役犬のように寄り添っており、男の腹の底を朗らかな調子でくすぐった。ローダーの購入費を試算しながら、男は勢いをつけてタラップに足をかけ、コックピットへ乗り込んでいった。ハッチが閉じると風の影響は消え去り、暖房もない冷え切ったはずの空気がいくらか暖かく感じられる。必死になって外気の暴力に耐えていた全身の緊張をほどき、彼は座席へ体を預け、サービス品のカタログを物入れに差し込んで、のんびりとした手つきでMTを起動した。ローダーから荷物を取り上げ、操縦桿をゆっくりと倒す。動き出しに出力を上げたジェネレータの駆動音は、昼寝から戻った作業員の大あくびといった趣があった。緩慢な加速もひと山越えてしまえばあとは順調で、後方確認用の画面に映る空っぽの運搬車が、みるみるうちに小さくなって冗談交じりの愁いをかきたてた。さらば我が小さな友よ!
 出力が安定した後はそれこそ昼寝しながらでも家まで帰りつけそうで、男はもぞもぞしながらいっそう寛いだ体勢を整えにかかった。この間敷いてみたキルトがいい具合に尻を受け止め、機内に快適さと日常らしい温もりを添えた。抱えた荷は中で買った品が転がることもなく、全体が均一な重量になっているためバランスに影響することもない。このあたりの手厚さが、商売人の質を物語っていた。息の長い店にはそれぞれ何かしら他と差別化される点があり、先の老婆はちょっとした配慮を売りに生業を繁盛させていた。彼女がノマドで、独立傭兵を雇っているのも良かった。こうもり的なふるまいは敵は多いものの実入りはよく、続けていくだけでも勢力間の情勢をバランス感覚を要求するものだし、金に基づいた契約コントラクトの上に信頼関係を築くことのできるようなまっとうな傭兵を見定める目は、得てして経験を糧に養われるものだ。それに用心棒と誠実な取引のできる雇い主であれば客との間でもかくあらんやといった具合で、相場に照らせばやや割高であっても、金を積む価値があった。資金は潤沢とまではいかないが、付き合いを選べるだけの余裕が男にはあった。画質の悪いメインカメラの映像に白銀の平面が絶え間なく流れる。遥かにそびえる雄大な峰々の上に、文明が残した巨大なスクラップが重苦しくのしかかっている。狭くなった空を塗る鈍い色彩は、ルビコン3にありがちなどっちつかずの天候にぼやけている。岩肌にしなだれかかる靄には雪が降り出しそうな湿った気配が漂うも、あたりはまだ帰宅を焦るには至らない程度の明るさがあった。レーダーも暗黒のまま変化なく、氷雪に閉ざされた不毛の大地で生きて、動いているのはこの一機のみだった。買い出しには恵まれた幸運だ。時には後をつけてくる追い剥ぎを撒くために燃料の限界ぎりぎりまであちこち散歩する羽目になったり、血の気の多い企業の輩に因縁をつけられることもあった。仕事の際はいざ知らず、普段の生活では目立たないよう振る舞うのが戦乱の世を生き延びるコツだった。
 荷を抱えたMTは遠い昔の採掘拠点の影へ入った。コーラルの井戸は涸れ果て、均衡を失って揺れる新しい世界でも戦術的価値を見出されずに放置されていた。廃墟よろしく横たわる輸送機の中に潜り込み、所定の位置へ停める。荷の積み替えをしたら、ここからはトラックでの移動だった。パイロットから運転手に変わった男は、手探りで学んだ手順を踏んで旧式の自動車のエンジンを回した。このおんぼろを起動するまで修理するのは随分と骨だったし、大型車を満足に操れるようになるまでにはそれなりの時間を要したが、彼はそんな過程も余さず愉快に平らげた。苦労には試行錯誤の楽しみがつきもので、人とは似つかぬ構造を自分の手足の如く知覚して操れるようになる喜びは得難い価値のあるものだった。荷台を牽いた車がぼやけた陽の下に出る。焼き尽くされる前のルビコン3の気候がどうだったかは男の知識になかったが、もとから雪深い土地ではあったのだろう。路面には積雪もなく、車は死んだはずの街の血管を滞りなく進んだ。シートに背を預ければ、一定した緩やかな振動が全身を包む。駆動体の唸りは男のよく知る機械より遥かに小さいはずなのに、確かな存在感をもって心臓まで届くのだ。面白いな、彼の口元は自然と緩んだ。マシンオイルとは無縁の出自でありながら、男は生まれつきこうした乗り物や作業機械に興味の強いほうだった。それはありがちと評することのできる子供時代を過ぎても変わらず、ますます強くなっていった。まず明確な目的があり、そこへ至るために数多の技術が生み出され、組み上げられて形を成している道具特有の美しさは、いつまでも彼を虜にし続けている。
 いくつかなだらかな坂を経て、車はまた別の輸送機の懐へ潜り込んだ。男がいったん外に出てごそごそと外壁をいじると、閉ざされていた格納庫の扉が開く。朽ちかけているのは見せかけで、外壁にも扉にも隙間ひとつ存在しなかった。小綺麗に整えられた内部の施設にはネズミ除けヽヽヽヽヽのタレットが配置され、通路の先には巨大な影がふたつあった。トラックはそびえ立つ影の足元を抜けて、コンテナが積み重なったエリアに停車した。荷解きはせず、運転手だけが片隅に停められた小型のスクーターに乗り換える。追加の防寒着を着込み、ゴーグルを着け、ジャミング装置が正常に機能しているかどうかを確かめてから、裏口を抜けて外へ出た。これまでと比べスケールとしては数段階落ちているものの、風を切って走る感覚は大型機械にはないものだ。寒冷地の空気は肌を割るような冷たさだが、その分清涼でもあった。居住区画に差し掛かり、途方もない大きさの直方体の間を縫うように進む。複製を繰り返したような単調な風景の中から正解を選び出し、二輪は速度を緩めて止まった。男は亡骸じみたアパルトメントを慣れた足取りで踏破する。この移動に必要なのは記憶力と観察力で、どちらが欠けても安全な足場を踏み外す危険があった。ひびだらけのコンクリートに囲まれた生活の残滓は、時に色褪せた日用品のラベルとして、時に壁に描かれた拙いグリッドとして現れ、男の胸に郷愁をもたらした。かつて営まれていたものが止まず流れる時によって拭い去られ、ルビコンは彼らを忘れていく。ただ、空き家には野良猫が住み着くものだ。汚水溜まりを飛び越え、彼はついにねぐらへ帰った。錠前のない扉を開けると、カビや埃ではなく血の通った暮らしの匂いがした。部屋の奥から出迎えに来たのは彼の同居人で、手にしたカップからは淹れたばかりのフィーカの香りが、湯気とともに漂ってきた。
「ただいま、スネイル」
「お帰りなさい、フロイト」