辺境の星は春を知らず、大気中のわずかな水分を根こそぎにした雪が地表を穢れなき白に装い続けている。海蝕と風雨が彫りつけた大地の起伏からは冗談じみた径の柱が数しれず立ち上がり、雲一つない澄んだ空を無骨な造形のメガストラクチャーが齧り取る。縮尺の概念を狂わせる巨大な建造物が山並みに覆いかぶさる様は、この星のありようを実に率直に表現している。自然とそれを征服せんとした人類種の遺跡が織りなす情景のただ中を、中量二脚の青いACが軽快に横切っていく。乗り組んでいるのは星外企業の膝下からやってきた人間で、ここより遥かに暖かい場所の出身だった。だからどの景観も見飽きることなく素晴らしい。フロイトはあえて自動操縦を使わずに、広大なルビコン3での移動をスノースポーツ風の爽快な娯楽に変えていた。疾走するロックスミスが足元の積雪を散らしながら風を切って進む感覚は、強化人間にあらずとも機体の振動や計器の数値から存分に受け取ることができる。ジェネレータの出力は安定していて、装甲にフィルタリングされたブースタの無機質な高音が耳に心地よく響いた。ヴェスパーの元首席は乗り物という乗り物をいくらでも試してきたが、やはり手ずから組みあげた愛機に勝るものはない。単調な平地を滑るのは気楽この上なく、奔放なシュプールへのお小言を聞き流しながらサブスクリーンで依頼内容をチェックする余裕すらあった。今回の依頼主はある独立傭兵のグループで、対立する別のグループの妨害が任務の肝だ。提携する新参の中小企業の試作機が輸送されてきたとかで、鹵獲の必要はなく単純な破壊を言い渡されている。実力に関しては折り紙付きの元ヴェスパーⅠは、敵機の性能が未知数な中で使うにはこの上なくちょうどいい。余程の実力者でなければ破壊を免れることはできないし、仮に依頼が失敗に終わったとしたらそれが引き際の合図となる。命を賭ける当人ら以外は誰も損をしなかった。
やがて山岳地帯に差し掛かると、地形は一気に複雑になった。急峻な山々が立ち上がり、粉をふるったような積雪を巌の黒と斑に彩っている。時折現れる針葉樹林を薙ぎ倒さないように気を払いつつ(環境保護や生命尊重の意味合いでなく、単に塗装のいらぬ傷を増やさないため)、山あいを地道に進む。戦略的な重要性のないこの地域は企業勢力も解放戦線も影すら見せず、この近辺は実に平和だ。独立傭兵とて、依頼でもなければ足を踏み入れることもない。
『そろそろかと思いますが、いかがですか』
「待てよ……見えた。結構でかいな」
尾根を越えると、スネイルの予告通りスクリーン上に目的の施設らしき塊が映った。ひときわ大きな峰と峰の間に隠れるようにして、建物がいくつか埋まっている。角張ったフォルムにはルビコンにありがちな大味の意匠が見て取れ、そこへ明らかに不格好な構造体がまとわりついている。おそらくは近辺の崩壊したグリッドを資材として利用したのだろう。独立傭兵にしろ企業にしろ、商機を狙ってやってきた連中の仮住まいは大抵、このような形式で作られていた。既存の施設を補強した簡易的な要塞の周囲にも同様の建造物が確認でき、嫌でもコミカルな比喩がフロイトの頭に浮かぶ。ルビコン原生生物の親子。人が捨てていった金属を殻として纏い、天敵であるACから身を隠すため山岳地帯に生息している……と、子になぞらえようとした一つから破裂音が鳴り響き、ほんの数十メートル先の雪が派手に弾け飛んだ。警告としての射撃はこのはじめの一回きりで、続く第二波は明確に、侵入者を排除するための弾幕だった。フロイトは居住まいを正すと、機体を素早く切り返した。一番近いタレットへ銃口を向ける。FCSの最適距離ではないが、動かない目標を高い日の下で撃つのは特段難しくない。小爆発がいくつか演出されたところで、煙と弾丸の合間を縫ってさらに目的の施設へ近づく。歪んだ障壁から吐き出された迎撃用ドローンを撃ち落としながら、障壁の隙間に滑り込む。補給基地とはいえ正面突破での進入は何らかの歓迎を予想させたが、高い壁に囲われた広場には輸送機が停まっている以外何もなく、MTすらも見当たらなかった。
『フロイト。分かっていますね』
「ああ、俺好みの展開になりそうで嬉しい」
スネイルが返した相槌はほどんどうめき声に近かった。『警戒だけは怠らないように。これは私の失敗です。条件をよく確認しなかったのは軽率でした……見え透いた罠に貴方を送り出すとは』
「仕方ない。話の流れで適当に決めただろう。俺にも責任はある」
そう言うと彼は思い切り機体を翻し、クイックブーストで横に飛んだ。さっきまで立っていた場所にパルスブレードの残影が弧を描く。勢いのままに降り立ったのはメタリックな光沢を放つ濃紺のACで、ほっそりとしたシルエットは間違いなくシュナイダーの意匠だが、胴体パーツは細身でもやや角張った印象のエルカノ製だ。特筆すべきはその脚部で、見慣れない型だが以前資料の中で目にしたこともある試作品の可変四脚パーツだった。それはリンクを滑るスケーターのように広場の弧に沿って疾駆し、ロックスミスに向き合う形で停止した。
『戦いの勘はオペレーターの頭ほど鈍っちゃいないか。良かった。ヴェスパーⅠ、会えて光栄だ』
聞こえてきたのはまだ若い響きを含んだ女声で、フランクな口調は遊びの興奮に跳ねていた。
「申し訳ないが俺はもうヴェスパーを辞めた」同類の気配を感じ取り、自然と頬を緩ませる。「独立傭兵が俺のような脇役を狙うとは、余程暇しているらしい」
『ご謙遜。あんたを殺したい奴は大勢いるの、恨みじゃなくて憧れから。もっとも、依頼人は違うけどね。撃墜するだけじゃなくて、死体を一部でも持ってくれば倍額払うって言われたから、その時はそうさせてもらう』
「耳でも千切るのか? 古風なやつだ。面白いな」
『フロイト、勝手におしゃべりを始めないでください。そこの傭兵、誰に雇われた。それだけでも吐いてから死んでもらわなければ、余計な懸念が増えて煩わしい』
割り込んできたスネイルのこの言い草に、殺し屋の声はますます弾んだ。
『あんたの大事な相棒が死ぬ可能性は?』
『ゼロです。たかが傭われの殺し屋風情に負けるようなら我々はここには居ません』
違いない。フロイトは呟きを心中に留め、喉の奥で愉快げな声を転がした。そのままの調子で前方に飛び出る。相手の出方を伺うための少しばかりの銃弾は、張りぼての輸送機をむなしく抉った。横っ飛びに距離を取った相手の反撃から、残りの兵装を見定める。右手には取り回しのいいレーザーピストル、連射された一閃が脚を掠めるが対した損傷には至らない。追撃にかかろうとした瞬間、プラズマ独特の振動とともに映像が荒れる。影響範囲から抜け出たフロイトをまたレーザーの雨が襲った。ジグザグに飛んで切り抜ける。手数で追い詰める構成はフロイトにヴェスパーⅣを思い出させた。あれほど鋭い殺意に裏打ちされてはいないものの、隙を見せれば致命の一打を掠め取られる。蹴りで逸らされた一撃の埋め合わせに、飛び出したレーザードローンがエルカノ製の胴体部を焦がした。ジェネレータのざわめきに満ちたコックピットにヒュウと口笛の音が響き渡る。癖のあるこの装備はヴェスパーⅠの象徴だ。ただ追従させるだけでなく相手の行動を制限したり先回りさせたりと、自在に使いこなせるパイロットは少なかった。飛び上がる相手を追って放ったMORLEYの砲撃は右肩のパルスシールドに防がれた。ヴェスパーでも制式採用されているものだ、と余計な感想を抱く彼を尻目にブースタが唸りをあげれば、敵機はたちまち視界から姿を消した。速い。勘で振り向いた方向のさらに先から飛んできたレーザーを体で受ける羽目になった。計器からAPの減少を読み取る。まだ死には程遠いが、スピード重視の軽量機との戦いでは小さな損耗が思いの外響くものだ。かつてアリーナでも最上位に位置づけられていた男は、興奮を抑えられずに口角を上げた。今のルビコンはカオスの余波で以前よりずっと面白くなったらしい。数度の方向転換を余儀なくされてようやくスクリーンの範囲に収めた四脚機体は、シュナイダーの理念を体現した軽やかな流線を描いて空を駆けている。金属質の光沢に富んだ塗装は、文明の遺骸が落とす影から晴天の光へと飛び出す瞬間が美しい。グリッドの遺構に塞がれた空を背景に、徐々に照準を合わせたライフルの弾道が追随する。狙われた乗り手はそのまま予測通りの進路を取る気などさらさらなかった。急激な方向転換に空気が軋み、ひと飛びに距離を詰めた軽量機がブレードを振りかぶる。フロイトはあえてこれを最小限の動きで避けた。回転の軸にした左足が厚い雪の層を抉って土くれを跳ね上げる。それから彼は思い切った行動に出た。空振りで間合いに入った獲物の前肢を掴み、慣性のベクトルをほんの少し傾ける。地面にぶつかりかけた華奢な機体が危ういバランスで身をよじり、腰部のブースタが火を吹いて背にした面の積雪が一瞬で蒸発した。折りたたまれた脚部が砕けんばかりの衝撃音を発し、浮いた二脚から繰り出される先端だけの蹴りが片方、ロックスミスの頭部に直撃する。生じた音波そのものは雪崩でも起こしそうな激しさで戦場を震わせたが、直後に関節部にねじ込まれたレーザーブレードがその機構を焼き切る妨げにはならなかった。傘下の大豊ほどではないにしろ、ベイラム製のフレームは十分に堅牢だった。センサーへの損害もなく、フロイトはもがく相手を半ば踏みつけにするように蹴り伏せると、ほぼゼロ距離の炸薬弾を躊躇なく見舞った。衝撃に跳ねた機体を囲んでレーザードローンが展開する。それらは立て続けに発射されたライフルの弾丸と同時に装甲を灼き、破裂してめくれ上がった板金の隙間からコアブロックが覗いた。
『作戦記録にあるよりずっと野蛮だね……企業戦士のあんたも喧嘩を覚えたか』満足げなセリフには背後にスタッガーを知らせるアラートが重なっている。『やんなよ。楽しい殺し合いだった』
「礼を言う。お前のお陰で自分がどれほど退屈していたか分かった」
フロイトは乱れた息遣いを隠さずに通信に乗せた。輪郭に沿って汗が垂れるのを、手のひらで雑に拭う。本来ならば始末しておくか、もしくは拷問でもして依頼主の情報を吐かせるかしたほうがいい状況だったが、彼自身としてはこれ以上何の付け足しもいらないように思われた。今回のじゃれあいには満足していたが、次があるならそれも悪くない。機体の修理費用について考え、補填するからまた遊んでくれと頼もうか思案し、そのせいで迫る気配への反応が遅れた。背後から突っ込んできたMTは衝突の手前で踏ん張り、滑る片脚が雪を押し上げて動きを止める。メインスクリーンの中央に投影されたその姿はとても戦闘用とは思えない不格好な見てくれだが、両腕に抱えるようにしてAC用のハンドグレネードを携え、狙いはロックスミスに向けられていた。フロイトは動かなかった。直撃であっても一発食らったところでACS負荷はたかが知れている。しかしながら、まさにその故にフロイトは遅れた初動を反撃で補おうとせず、様子見を続けざるをえなかった。戦場に現れた純粋に作業用のMTは、何か不吉なものを予感させた。警戒心を裏打ちするように、通信回線に低い掠れ声が混じった。
『油断はしても勘はいいらしいな、ヴェスパーⅠ』
揺らぐ声色には、他人の心の持ちように無頓着なフロイトにさえ来訪の理由を悟らせるだけの憎悪の響きが含まれていた。これほど感情的になるのは紛れもなくルビコニアンだろう、と彼は見当をつけた。ビジネスでやりあう連中はもう少し淡々としている。
「独立傭兵を雇ったのはお前か。自信満々で現れるあたり、ただのグレネードではないな。自爆覚悟のとっておきか」
肯定の意味を込めたハミングが沈黙の間を取り持った。おそらくはどちらも正解だ。能天気なやりとりに対し、いかにも人殺しらしいな、と襲撃者は吐き捨てるように応答した。
『企業と独立傭兵……お前らのような人間がルビコンを腐らせているんだ、俺達からコーラルを奪い、生活を奪い、命を奪って当然だと軽んじている。お前らを殺してようやく、弟たちに顔向けできる』
「ひとりずつ殺したところで意味はないように思うんだが。それに訂正しておくと、俺だって今は独立傭兵だ。つまり独立傭兵二人で」
『構うものか。お前は俺の家族や仲間を殺した。俺の力では、これが限界だ……だが、やり遂げ──』
男は続きを言えなかった。巨大な質量が前触れなく降ってきて、轟音とともにMTを押しつぶした。レーザーランスの切っ先が憐れな建設機を貫き、コックピットのあった場所を灼き融かされた黒い穴に変えている。復讐に燃える搭乗者は、痕跡すらも残さずにあの世へ行ってしまった。小山のような重量二脚が身を起こし、ホバー移動のVE-42A特有の滑らかな動きで機体を相棒へ向ける。このところめっきり出撃の機会が減ったせいか、塗装の艶がメインカラーの紫をことさら鮮やかに見せている。
「外でオープンフェイスを見るのは久しぶりだな。いい色だ」
『知っています。スキャン結果によると、通常のグレネード弾ではなくコーラル兵器のなり損ないのようです。破壊力はそれなりですが、むしろ汚染のほうが主目的といったところでしょうか。出てきたのは正解でした……猿ごときに手間をかけさせられるとは』
ひしゃげて横たわる残骸を見下ろす仕草は驚くほど人間じみていて、単眼のアイセンサーの光には軽蔑の色すら乗っているように見えた。強化人間が操縦する場合、しばしば乗り手の身体的な癖はACの挙動へ直接的に反映される。コア理論における身体感覚の拡張という点で追求された、用いられる技術のレベルに比して実に短絡的な回答であり、純人間であるフロイトには部分的にしか理解できない、完全には理解し得ない境地だった。
「なあ、こいつはどうすればいい?」彼はあっけなく話題を変えた。
『好きにしたらいいでしょう。私は先に戻りますよ、これ以上エネルギーを無駄にしてはいられない』
これまたあっけなく会話は閉じられ、オープンフェイスは山肌を滑って早々に瓦礫の向こうへ姿を消してしまった。味方機を示すレーダー上の光点が鈍重に見えるのは、機体重量のせいではなく奇襲されたばかりの仲間を待っているからだろう。フロイトは“ひそひそ話”に回線を切り替えて、独立傭兵と二三、短い言葉を交わした。内容はもう襲撃してくれるなというもので、楽しいがコストがかかりすぎるというのは両者同意するところだった。どうせまた別の人間がフロイトとやりたがるとしても、候補が一人減るだけで楽にはなるに違いない──来るもの拒まずな趣味人の元首席ではなく、いまだに副長らしい振る舞いの抜けないスネイルの方がだ。それと感謝の定型句とともに、いくらかの金額が敗けたパイロットの懐へと移動した。「騙されて正解だったな」と締めくくられた台詞に女は笑い、壊れたACで小さく手を振ってみせた。彼は踵を返すと、怒れるルビコニアンの墓標を飛び越えて帰路についた。それから自動操縦でオープンフェイスを追尾するように設定すると、頭の後ろで手を組んで座席の背にもたれかかり、昼寝でもするように目を閉じてしまった。目まぐるしく展開した今日の戦いをダイジェストにして思い返すと、彼はひとりでに微笑んだ。どの瞬間も鮮烈に心に刻まれていたが、中でもひときわ胸踊らせるシーンだったのは、やはり久々に見る相棒機の、容赦ないレーザーランスの一撃だった。