この世の人間は二種類に分けられる

 ヴェスパーⅢが出してきたものを、その日集った他の五人は興味深げに眺めていた。しばし無言の視線の先には透明のフィルムに包まれた色とりどりの球体が散らばっており、各人の鼻腔へほんのりと甘い香りを届けている。アーキバスの隊長格が雁首揃えて何をしているかと言えば、単純に人との交流を求めているというだけのことで、新人をぎょっとさせる以上の意味もない集まりだ。軽食の為に設えられた基地内のちょっとした空間は、これまでにもしばしば彼らの談話室となっている。参加者は偏屈と一匹狼の偶数を欠いた五番目までと、最も新顔の第十世代のヴェスパーⅧ、あとはその間の二人が居たり居なかったりといったところで、今日はヴェスパーⅥが顔を出していた。直前の話の流れは幼少期の思い出に及んでいて、齢を重ねた上位二人は相応のノスタルジアを披露し、首席隊長は誰もが羨む“天然物”に囲まれた子供時代を回顧して一同の「ほう」とか「わあ」とかいった感嘆を引き出したのだが、続く年若い二人の過去がまったく子供らしくない無味乾燥な訓練の日々であったため、場の空気は企業支配の功罪に重苦しく沈んでしまった。そこで気の利く第三隊長の手のひらからおもむろに転がされたのが、いかにも楽しげに彩度を遊ばせる、かわいらしいサイズの飴玉だった。
「飴なんてどこで手に入れてきたんだい?」ホーキンスが楽しげに尋ねる。答えが分かり切っているのにわざわざ尋ねるのは、たいてい秘密多き後輩をからかうためだった。
「配給品のリストにはなかったようですが」
 ペイターの訝しげな視線に対し、オキーフは意味ありげな笑みとともに、肩をすくめてみせるに留めた。彼が時折ルビコニアンやドーザー連中と取引して、配給品には絶対に含まれないような珍品を仕入れてくるのは一部の隊員にはよく知られた話だった。渦中の品はガラス細工のように照明の光を透かし、それぞれの色を天板へ投影している。木目調の天板が得た彩りはやや黄色みがかった光によって暖められており、フィルムの皺の具合によって影は複雑な文様を描き出した。年かさの男の手が伸び、近場のひとつを摘み取る。
「懐かしいついでにひとつ貰おう。これはレモンかな?」
「第五隊長殿、入手経路の不確かな食品を口にするのはいがかなものかと」
「少なくとも今は第三隊長から入手したことになるよ。うん」さっさと包装を剥いて口へ放り込む。「驚いたなあ。香りだけでなくちゃんと味つけがされているじゃないか」
 期待以上だろう、とオキーフは答え、自身もひとつ選び取った。新世代の若者たちは上位二人が口の中で満足げに飴玉を転がす様子を一歩引いて見つめていたが、一座の重鎮による「君たちもどうかな」の一言に折れてこの未知の甘味に挑戦することになった。場で最上位の番号付きは、ただその様子を見守っていた。彼らが何故だかエンブレムと同じ色合いのものを選んだことや、普段は感情表現の控えめなメーテルリンクが美味しいと顔を綻ばせたこと、堅物のペイターが素直にそれに同意したこと、どれも和やかな同僚同士の交流の場面であって、なおかつ観察の場でもあった。傍観者に徹しているのを見咎められも気遣われもしないのは、首席隊長が好奇心旺盛な変わり者だと誰もが知っているからだった。好評にまんざらでもない様子の第三隊長は、その目がいつの間にやら自分に向けられているのに気づくと、促すように首を傾けた。フロイトはそれを合図に沈黙を脱した。
「二つ貰っていいか?」強欲な提案は肩書きの重さに遠慮しない二名の小さな笑いを誘う。
「ルビコンでは何もかも貴重だが」と、厭世家の第三隊長は冗談めかしてこう答えた。「高級品じゃない。余りは好きなように持っていって構わんさ。皆もそうしてくれ」
 まずフロイトが先の宣言通りの数を取り、それから次々と色が欠けていった。そして最後の一つが机から消えると、飴の話はひとまず終わった。話題が別に移っても、フロイトの物思いは、なかなか菓子から離れなかった。

「それで土産に持ってきたのですか」
「ああ。俺の分とお前の分で」
 ローテーブルへ放り投げたばかりの飴玉が、小言とともに拾い上げられる。スネイルの居室を我が物の如く椅子の上で寛ぎきったフロイトは、その紫が強化人間の指の間で乏しい光を拾ったり逃したりするのに合わせ、黒にも青にも変わるのを見ていた。この部屋の照明はいつでも薄暗くされていて、内装も無彩色のわずかな濃淡に落ち着いている。鋭敏に過ぎる強化人間の神経を刺激しないよう、こと重強化の第二隊長閣下のためにかなり精密に調節されて作られたものだった。偶然この薄暗がりではよく眠れると気付いたフロイトは、以来遠慮なく居座って、朝まで過ごすことが多くなった。スネイルは毎度嫌味こそ投げつけはしたものの、既に十二分に知り抜いた第一隊長の奔放な振る舞いを止めようという気はなかった。彼はフロイトと向かい合わせに腰掛け、薄いフィルムの包装を丁寧に剥がし取る。漂う香りは分かりやすく色と結びつき、示すフレーバーは果実そのものの形態も相まって分かりやすかった。口に含めば想像通りの甘酸っぱさが唾液に溶けてみるみる広がり、知識として脳裏に置かれた味の予想と結びつく。
「葡萄だったろう?」
「ええ」
「お前にはぴったりだ」
 何がぴったりなのです。寄せられた眉間の皺に、フロイトは相手の言わんとすることが理解できた。彼は大人しく口をつぐんでいる第二隊長をただ見つめ、面を彩る豊かな陰影を心置きなく楽しんだ。時折向けられる視線の奥の、何千もの電気信号が織りなす色の閃き。意味のある情報はほの蒼く虹彩に躍り、瞬くたびにそのまなかいへ夜を差し招く。品よくとり澄ました顔がコックピットではどんな風に歪むのかを知っていればこそ、静けき余暇に浸る強化人間の顔立ちは、より一層と彫刻じみて見えた。やがて控えめに遊ばせていた咬筋が緊張し、がり、と硬くも鈍い音が聞こえてくる。音はざりざりと細かくなり、舌の運びに連動すると思しき口元の緩やかな動きを経て、ほどなく何も聞こえなくなった。フロイトは弾かれたように身を起こし、スネイルの顔をしげしげと眺めた。稀代のエースの奇行に慣れた第二隊長は、彼が立ち上がるのを黙したまま目で追っていた。純人間はおぼつかない足取りでテーブルを迂回する。かさり、と小さな音がして、口元へ運ばれた手の中からほんの一瞬、半透明の空色が見えて、隠れた。そして彼は幸福そうにぐもぐとやりながら、スネイルの椅子の座面のわずかな余りへ体をねじ込んだ。非難の呻きとともにスペースを空けた相手の肩を抱き、気ままな首席隊長の頭は機嫌よく揺れた。
「お前は噛むんだな」やや舌足らずの発音がスネイルの耳を間近でくすぐった。「いつまでもお上品に舐め転がしている奴らばかりだから、アーキバスの文化圏ではとんでもないマナー違反かと思ったぞ」
「まさか。単に彼らが暇なだけでしょう」
「何にせよ俺達に堪え性がないのは確かだな」
 くぐもった破砕音が顎の動きと連動して響き、次第に細かくなっていく。それが砂粒になる前に、どちらともなく唇を寄せる。スネイルは直前に聞いた台詞を反芻しながら、ロマンチックな柔い皮膚の触れ合いに興じた。確かにこの分野において、我々は我慢強さとは無縁なのだろう。口づけは甘く、ソーダの爽やかさの中に、幻のようにかすかな葡萄の香りがした。砕けた破片の残りを追って、夜の時間は溶けていった。