I love you

 骨の間を歩く。完璧な温湿度に調整された空気の中、展示室の高い天井はよく足音を反響して、生きた人間の男二人の存在感をうまく丸めてしまっている。任務の間の短い余暇は他人と過ごすには悪くない機会だ。だから俺はアルコールもセックスもなしの娯楽に付き合ってくれそうな唯一の相手を誘って、ちょっとした遠足と洒落込むことにした。噂を手繰ってやってきたこの場所は聞き及んでいた通りかなり伝統的なスタイルを維持した博物館で、昔ながらの展示室には派手なホログラムも人工知能のおせっかいな解説も入り込む余地はなく、雰囲気を言い表すなら、静謐の二文字がふさわしかった。俺達以外に客は居ない。現代を生きる大多数の人間はわざわざ大枚はたいてこんな所に来るよりかは、現実と遜色ない精巧なバーチャル空間を選ぶはずだ。むしろバーチャルのほうが学びという点に関しては長じていて、どんなに巨大な生物を見るにしても、人の身には手に余るその重量も、貴重な標本を痛めてはいけないという配慮も必要なかった。おまけに不気味な死後の骸だけでなく、彼らが大地を踏みしめ歩くところを並び歩いて見ることさえもできるので、この閑古鳥もむべなるかな。とはいえ金が余っている立場からすれば貸し切りになっているのは都合がいいことこの上ない。同行者の存在すらもひととき忘れ、展示物と無言の語らいに興じる。おおむね系統樹に沿って進む順路の並びには、とうに死んだ生き物の組み上げられた骨格が、土とも木とも縁遠い、光沢のない樹脂製の土台に据え付けられている。彼らは金属板に穿たれた溝の並びにその名を記し、手を触れることのないようにと張り渡されたロープの向こう側に立ち、座り、あるいは寝そべり、あるものは支柱や金属線の助けを借りて浮かんでいた。大型偶蹄類の巨大な角の作る影をくぐり、わざわざ大枚はたいてこんな所に来る意味を噛みしめる。俺は完璧なバーチャルの自由よりも、不自由な現実の肌触りのほうが好きだった。一歩一歩が千年を飛び越え、進化が彼らに与えた武器と枷とが次々に視界を流れていく。多くはプレートに絶滅を示すそっけないシンボルが添えられていて、時代が下るほどに、彼らを淘汰した要因は気候変動や多種との競合から、たった一種の生物がもたらした乱獲や環境汚染に変わっていった。日々の糧にするでもなく、ニッチを争うでもなく、各々の個の繁栄のためにあっけなく他の枝をまとめて切り落としてしまうのだから、これほど暴力的な種はない。そんな生物の展示物としての出番は最後に訪れ、類人猿から原人へ続き、二十一世紀初頭に作られた男女ひと揃いの医療関係者の骨格標本をもって、展示は終わっていた。棒立ちになった彼らの前に立ち止まると、付き従ってきたもう一揃いの足音が、一拍遅れてこれに倣った。重いブーツの残響は、耳の奥に滞留して余韻を残す。その冷ややかな眼差しは価値ある標本の間にあって、終始俺にだけ注がれていたのだろう。目をやれば視線がかち合った。
「楽しかったか?」
「ええ」肯定の返事はどうせ展示物についての感想ではない。「貴方は楽しそうでしたね」
「楽しいに決まっているさ。どれもこれもその時々の環境を生き抜くために最適化を繰り返した結果だ。ACのパーツと同じだ。それぞれの目が兵器会社で、科はブランドのようだろう、明確なコンセプトの下に設計された……どちらも制約の中で最大限のパフォーマンスを出すことに腐心している。大豊の装甲とシュナイダーの機動は両立できないし、グリプトドンは羽ばたかない」
「時にやりすぎるのも同じですか。シュナイダーが出してきたあの試作品の設計図、ふざけているとしか思えません」
「試作品ならではじゃないか、許してやれ」
「許すも許さないも、私はまだ系列企業の製品に口を出せる立場にありませんよ」
 そのうち出す気満々か、と笑われた誤魔化しにか、苦い顔の男は顔をそむけ、ゆるやかに数歩運んだ。どんなつまらない動作も洗練されて見えるのは、この男の脳や神経節に植え付けられたインプラントが、あらゆる動きを無駄なく整えているからだ。全身の筋収縮は淀みなくなめらかな協調を示し、俺が思わず漏らした感嘆の息遣いに振り返るその所作も、舞踏のように美しい。眉をひそめるアーキバス謹製の重強化のサイボーグの背後には、我々がこれまで飛び越えてきた生命の歴史が重なっていた。どの眼窩の空洞にも、暗がりが溜まっている。袋小路に嵌まり込んだ人類が生み出した抜け道は、自らその肉体を拡張し、塩基の配列に依らずして進化することだった。俺はそこでふと、思いつきを口にした。
「なあスネイル、俺達が死んだらここに飾ってもらわないか」
 男の硬い表情が溶ける様子には、こいつ自身のコールサインが驚くほどよく馴染んだ。いい考えだろう、と俺は熱のこもった演説を続けた。「純人間と強化人間は雌雄に意味のないこの時代のホモ・サピエンスを説明する、最も分かりやすい対比じゃないか?」
 スネイルはただ、そうですね、とだけ言った。作戦や予算について言及する時と全く変わらぬ口調だった。俺はそれで満足して、真面目くさった顔の相手に歩み寄ってキスしてやった。両手は武器を握るためにあっても、唇はこのためにあるんだろうな。何気なく呟いた解釈にきつい注釈が添えられる。貴方のロマンティシズムには反吐が出ますよ。