報酬と使い道

 独立傭兵レイヴンはその日、最悪の形で任務を終えた。もっとも〝帰るまでが遠足〟の観点では、まだ任務を終えることすらできていなかったが。アーキバスから依頼されたのはほぼ放棄された調査施設に入り込んだ解放戦線の一団の掃討で、使い古しの坑道に四脚重MTを含めた十数機が潜んでいるとの前情報の他、何の支援も用意されていなかった。ブリーフィングの中で起用担当のヴェスパーⅧはそつない言葉選びで浅い思惑を包んだものの、与えられた作戦をじっくり精査してみれば、経済的価値のない廃墟同然の拠点の掃除には自社の部隊を割く気はないが、さりとて放っておくのも癪に障ると、いかにも企業らしい魂胆が透けて見える内容だった。星外企業の魂胆はともかく、傭兵の仕事は普段通り淡々と進んだが、最後の一手がまずかった。というより過ちは下準備の時分から始まっており、面倒な重機体への安易な解答として取り付けたソングバードの歌声は、長きに渡る採掘で虫食いにされてきた岩盤には少々うるさすぎたらしい。撃破から大した間を置かず崩れ落ちてきた天井は、ウォルターの警告虚しく大鴉を隧道のひとつに閉じ込めてしまった。
 轟音が鳴り止んだ後、621は機体の状態を確認した。幸運なことに(紛れもなく悪運の類)コアと両腕は無傷で、周囲には腕の動作確認が十分できる程度の空間があるらしかった。だが一方で悪いニュースもあった。逆関節の脚部は大岩に圧し潰され、片方などは根本から千切れかけていた。これでは這いずることがやっとの有り様で、さらに悪いことには広域通信の機能が失われ、ハンドラーに現状を伝えることもできなくなっていた。数分経つと骨董品の光源が辛うじて息を吹き返し、視覚情報に問題のないことが分かった。といっても視界に入るのはほぼ黒くつるつるした岩肌のみで、脱出経路になりそうな隙間はどこにもなかった。手綱の切れた猟犬は手元の小振りな岩をいくつか移動させ、しばらく無意味な努力に没頭した。動かせる大きさのものを全て消費しきってしまうと、今度は通信の復旧を試み、諦め、用無しの脚部を引っ張り出そうとし、ケーブルの千切れる感触を覚えてやめた。暇潰しをあれこれ試した末に万策尽きた強化人間は、物思いしかすることがなくなった。ACが稼働できるかぎり生存が可能なのは憂鬱だった。ここ最近の動乱は荒廃した第四世代の情動にちょっとした波風を立てており、彼はこの地に降り立ってから初めて、静けさに孤独を味わっていた。命綱たる機械の発するホワイトノイズは聞こうと思えばそこにあったが、恋しいのは人の声だった。もはや恒例となったウォルターの「戻って休め」というねぎらいや、アーキバスの調整担当からの形式ばった感謝の言葉、それから、タイミングが合えば他の勢力からもメッセージが入っているかもしれなかった。621はルビコンで関わる彼らの声が好きだった。ろくに返事もしない雇われのAC乗りに誰もが話しかけ、鼓舞し、時に嘲り、罵りながら何らかの関係性を築いてくれるのだ。わけてもラスティ、ヴェスパー部隊の第四隊長の声は耳に(正確には聴覚野に)心地よく響くのだった。気安さに含まれた親愛の情は、例えそれがこちらの勝手な思い込みだとしても、閉め切った部屋の戸を開け放ち新鮮な風を吹き込むように、塞ぎがちな気分へ瑞々しい喜びを与えてくれた。単純に言えば嬉しかった。石棺じみた岩の隙間で思い出すのは苦痛でしかなかったが。
 やあ戦友、と改造人間は頭の中で知人の挨拶を再現した。続く台詞が思いつかず、壊れたレコーダーのように何度も同じものを繰り返した。やあ戦友、やあ戦友、やあ………
『やあ戦友、聞こえているか?』
 まともな身体があれば飛び起きただろう程の衝撃が、囚われ人の意識をはっきりさせた。はじめこそ記憶の内から引っ張り出して何度も唱えさせたばかりの文言だが、己の脳が創った気の利いた付け足しと捉えるにはあまりにも明確な問いかけだった。傭兵は慌てて返事をまとめ、人工音声として出力した。
『聞こえた。どこにいる?』
『偶然近くを通りかかったものでね。音に釣られて来てみればこの有り様だ。少しやりすぎたな、戦友』
『なぜ?』
『これでもアーキバスの人間だ。企業の持ち物にトラブルがあれば確認せざるをえないさ。まさか君の機体反応を感知するとは思わなかったが……』
 最後の一言には朗らかなからかいの響きが乗っていた。この響きには聞く人の心を弾ませる力があると、621は常々思っていた。どんな苦境にあっても回線から冗談のひとつでも恵んでくれれば、いつまでも絶望せずに引き金を引き続けられるだろう。やるせない生き埋めの底にあっても同じことだ。自覚すれば素っ気ない心臓の代わりにジェネレータが温まるのを認識した。ラスティはいたって普段通りの声色で、作業進捗を実況した。メンテナンス不足で折れた骨組みがうまく道を作ってくれているとか、崩落を招かない位置の岩をどかしたとか、君の反応が近づいているとか、一撃で心臓部を撃ち抜かれたMTに関する称賛、ケーブルの走行から考えればこの横穴が正解らしいとか、彼はうるさくないだけの間を置いて、かつ沈黙が穏やかならぬ重みを持つ前に次の報告を投げかけてきた。生命維持すらAC頼りの強化人間に返せる言葉は決して多くはなかったが、それでも、二人の間には和やかな会話らしいものが形成され、遭難者の孤独を効果的に和らげた。そして遂に、無力に横たわるレイヴンの機体にも直接スティールヘイズの足音たる金属音とブースタのくぐもった唸りが捉えられるようになり、次いで出口を塞いでいた質量が取り除かれるのを感じた。最小限の電力以外は失われているため、相変わらずの暗がりだったが、それでもやや薄まった黒の中に、よく見知った鋭い流線がくっきりと浮かび上がった。
『やあ戦友』と彼は改めての挨拶を寄越した。
『ひどいな。ウォルターには悪いが、機体は放棄したほうがいい。私がそちらに手を伸ばしておく、乗り移ってくれ』
 分かった、と言いかけた強化人間は、この提案の致命的な点をどう繕えばいいか悩んだ。〝生命維持すらAC頼りの強化人間〟にとって、機体を放棄することは己の肉体を放棄するということで、すなわち死の直喩でしかない。幸いにして、もっともらしい言い訳はすぐに立った。現に破損した機体からは多くの機能が失われているのだから、もう一つ欠けさせたところで目立たないだろう。
『ハッチが開かない』
『そうか。なら、もう少しだけ辛抱してくれ。何とかする』
 機体が下がり、時に蹴り飛ばしながらいくつか追加で石を転がした。これでよし、とばかりに伸ばされた腕に掴まって、損傷だらけの鉄の塊はようやく穴蔵から這い出すことに成功した。621は耳障りな音の振動でまた岩壁が崩れやしないかと気を揉んだものの、杞憂だった。もっともこの牽引で止めを刺された左脚は、すっきりと無感覚になってしまったが。
『すまない、乱暴に扱ってしまったようだ』
『問題ない』
『だが一人で帰れる状態ではないだろう。ウォルターに助けを呼んでもらっているか?』
『いいや。広域通信が不可能になっている』
『では、そうだな……やりようはある。暴れてくれるなよ、戦友』
 スティールヘイズが屈みこみ、両腕がスクラップじみた機体の下に差し入れられる。と、次の瞬間にはコアの座標が移動させられていた。少し上、地面から身丈の半分ほどの位置に留まる。回りくどい認識へ単純に向き合えば、この姿勢にはやや居心地の悪さがあった。
『軽量機体で助かった。このまま君の拠点近くまで運ぼう』
『コアだけにしてもらって構わない』
『どうした、戦友』問いかけの声は悪戯っぽく揺れていた。『何か不都合でも?』
『持ち運ぶには突起が多すぎる』
『むしろこの方が安定する。腕は……そうだ、そうやって回してもらうとありがたい。あとは私を信頼して、体を預けておいてくれ』
 レイヴンはばつの悪さを投げ捨てて、戦友の指示に従った。いくらヴェスパー上位とてこのような形でACを運んだ経験があるとは到底思われなかったが、ラスティは実にそつなくこれをこなした。ブースタの炎はこの瞬間における最も強力な光源で、ひとかたまりになった両機の影を岩肌に投射していた。シュナイダー製のフレームはデザイナーの拘りを随所に感じる仕上がりで、いかにもスマートな速度重視の軽量機体だ。やや突き出した胸部の装甲が自機のそれと擦れ合うたび、621は自らの胸にこそばゆさを覚えてならなかった。おそらくは摩擦刺激の変換先が誤っているのだろう。さいわい既に道の開かれた出口まではすぐで、彼はそれ以上惑わずに済んだ。閉鎖空間で籠もって聞こえていたACの駆動音が、唐突に広い空間に解き放たれる。ルビコンの空は傾きかけの陽が寄越す朱と成層圏に拡散したコーラルの薄いヴェールに彩られ、美しかった。陳腐な表現だが、詩人でなければこれを適切に形容するのは難しく、C4‐621は詩人とはかけ離れた人種だった。
『感謝する。来てくれたことにも』
『お互い様だ。今後の事を考えれば、むしろ助けられる事の方が多いかもしれないぞ』
 いよいよ地平線の向こうで燃え尽きかけた最後の陽光が、企業に枷を嵌められた狼の面を、その塗装に反して赤く彩った。ルビコン3で流される血潮と、この惑星を流れるコーラルの色は共通している。いずれ彼もまた、人の思惑が煽り立てた炎と嵐の渦に呑まれてしまうのだろうか? まさにその闘争から糧を得ている傭兵は、ひどく感傷的な思いに囚われた。敵対企業の依頼により自ら彼を手にかけるというのとはもっと別の、大きなうねりのようなものが、この男を灼き尽くしてしまうのかもしれなかった。
『ウォルターと通信できる範囲まで案内してくれ』
 621は我に返った。と同時に、長い物思いの間じゅうずっと、彼の顔を――スティールヘイズの、ではあったが――見つめていたことに気づいた。とはいえまさかそれでアラートが鳴るでもなし、どうせ相手は気づいていない。視線を彼方へ移し、記憶にある方向を指させば、了解した、という短い返事とともに壊れかけのACを抱えた機体は雪原を滑りだした。去りかけの光の筋を追うようにして、彼らは進んだ。再び会話はなくなった。岩場を飛び越え、渓谷を渡るたび、またしてもあの〝刺激の誤変換〟がはじまったが、621は努めてそれを意識の外へ追いやることにした。時折、普通の通信では銃声やプラズマの音に掻き消されてしまっているであろう、息遣いや小さな咳払いが耳に入った。鋼鉄の殻の中に、人間が一人。同じ目線で、声帯と鼓膜を使って会話するには一体幾ら必要なのだろう。計算するには相場を知らず、空想するにはやや模糊としすぎていた。なので結局強化人間C4‐621はただ、もっと稼ぎたい、とだけ思った。