楽園

 とある惑星に湧出する資源の全てを焼き払い、それがもたらす恩恵とまつわる人々の思惑をともに灰へと帰した未曾有の災禍は、レイヴンの火として歴史に記されている。私はこの事件を教科書の囲み記事で読み、挿絵もないやや批判的な文章が提示しようとした以上のものを受け取った。忘れもしない七年生の夏、老齢の化学教師が重ねた齢に相応しい威厳で皆に催眠術を掛けていたあの日、私は人の未来たりえた稀有な物質を残らず奪い去ったという炎に、私自身の残りの未来を奪われることになった。親が医者の娘を持ちたくて熱心に与えた教育は、たった十数行のために史学の道へと向けられて、どんな説得も彼女の決意を覆せなかった。数年後、当時の管理機関と企業が揃って出席した会見のニュース記録を横目に書いた論文は、ほとんど空想小説だなどとこき下ろされつつも、なんとか学位を得るに足りた。まともに残っている資料、わけても映像資料はそれくらいで、顔色の悪い企業戦士らが山程抱えていたであろう記録はみな、撤退の混乱の中で失われていた。当然の推理としてその紛失が故意だと解釈すれば、彼らが恥や苦痛、そしておそらくはいくらかの罪を、教訓もろとも葬り去ってしまおうとしたかのようだった。件の廃星へ降り立つ許可を求められる身分を手に入れるには、輝かしき学生時代から十余年の月日を要した。月日だけでなく説得力のあるキャリアと、宇宙のお偉いさん達の凝り固まった頭に染み渡るだけの回数の申請が必要だったのは言うまでもない。もう誰も星に開いた大穴の由来を語れないのに、人を締め出す理由を語る舌は際限なく回るらしかった。
 理由。物事には理由がある。史学調査を拒む理由が連綿と受け継がれてきた後ろ暗い過去の辛酸であるのと同じく、レイヴンの火にも理由があるはずだった。人為的なものだったという痕跡はあった。誰が、何のために? それがレイヴンの火と呼ばれるのは? 同僚のひとりが教えてくれた話が、私に一つの導きをもたらした。企業間闘争が激しかった時分に活躍した傭兵達の間で囁き伝えられてきた伝説に、レイヴンの名がある。戦う場所と相手を他者に委ねる彼らが選択のうちに自らの意志を見出したとき、彼らが等しく戴く名。使い捨ての駒の中から立ち現れる開闢の大鴉。要は歴史に名を残すような傭兵がそう名を変えるのさ、などと同僚は笑ったが、私は手から離れたコーヒーカップの後始末をする羽目になった。ルビコンでも沢山の傭兵が活躍しており、両者を結びつけるのは既にありふれた説ではあったが、同僚の話にはより具体的なロマンの響きがあった。このレイヴンは総称ではなく、語それ自体も星を灼いた業火に根ざしたものではない。
 あまりに不可能な要素が多すぎて、嘲笑とともに一蹴されてきた説がある。『レイヴンとは特定個人を指す名称で、事件を起こしたのは単独の人物である』。私は確信した、最もありえなさそうな与太話こそが真実だと。誰かたった一人の個人が、明確なその意志を薪として、星に火をかけたのだ。

 瞬きすると、分厚い耐熱ガラスの向こうで淡い弧を描くルビコンの稜線と、疲れた年増女の顔が重なった。長い旅だった。身じろぎすると、シートの合成皮革が非難がましく音を立て、船内を満たす低いノイズに起伏を与えた。知覚される全てが単調な宇宙旅行に飽き飽きしていた私は、かぶりつくように窓へ寄った。廃星はいかにも色彩に乏しかったが、包む大気の薄鼠色のヴェールは背後の宇宙の暗黒によく映え、どうせ岩と氷しかないという貧しい星を高貴に装わせていた。管理機関からの同行者は、招かれざる客の子供じみた振る舞いに軽蔑すら示さなかった。旅の中盤、八つ当たりの嫌味を込めて持ち出した強化人間の例えに対し、涼しい顔で祖父が強化人間の最後の世代だと語った彼は、図らずもあの時代の生き証人と言えなくもない存在だった。これが小説ならば祖父の生きた日々の硝煙の残り香に心揺さぶられる青年の姿はさぞ見どころになっただろうが、その顔に貼り付いたマネキンじみた無関心には、大気圏突入の間も一切変化が見られなかった。
 かくして、私はルビコンの地を踏んだ。季節としては春にあたる時期だというのに、防寒着なしでうろつけばたちまち身も凍りつき、そのあたりの岩と同化してしまいそうだった。さりとて私の体感を尻目に春は来にけりということで、確かに山々や大地からは厚く降り積もっていたであろう雪が退き、黒ずんだ岩肌が見え隠れしていた。視線で地平をなぞる。濃淡だけが差異として映る、水墨画の景色だった。
「先生、こちらへ。許可された滞在時間はあまり長くありません、無駄にできる時間はないのでは?」
 むかつく物言いだが、真実だった。私が滞在を許されたのはたったの十時間で、予定を組むのにさんざん頭をひねったが、訪問できる観光地はどんなに頑張ってもせいぜい二箇所にしかならなかった。私はその貴重な二箇所を絞り込むため、予め提供されていた素っ気無い地図を前衛芸術に変えていた。時系列順に並べられた作戦の名称には、判明している限り全ての参加者と死者の数、その名前、用いられた兵器、消費されたコストなどの脚色抜きの情報が添えられた。事実は川底の石のようだ。きちんと並べて比較すれば、どの位置にあったか推し測ることができる。私は昼夜を忘れて捏ねくり回した地図を想った。決定的な始まりがあるとすれば、それは遠い日に「壁」と称された場所だった。移動時間を計算に入れて許容範囲内にあるもう一箇所はある企業施設だが、こちらは最悪、間に合わなくても構わないおまけだ。
 不器用なセンセイが小型飛行機の狭苦しい座席に尻を押し込むのを見届けてから、同行者は礼儀正しく口をきいた。
「選んだ根拠は?」
「対象は不法占拠したテロリストということだが、ここで少なくとも二回の大規模な戦闘が起きている。重要なのは二回目だ。ここから明らかにルビコン上での戦闘が激化している。戦線があちこちへ移動し、あらゆるコストが指数関数的に増えているんだ」
「そうですか」熱の入った説明に対し、まるで興味なさげな声色。「少し揺れますから、お気をつけて」
 揺れると警告されて身構えていたぶん、空の旅は思ったより快適だった。窓の外に山々と雪、そして雪が覆い隠せなかった巨大な廃墟郡が息を呑むような美しさで展開するあたりは、宇宙の旅より遥かに楽しめたと言っていい。魅力的な候補地が次々と眼下を流れ去っていった。下調べには一切姿を現さなかった、かといって無視できる大きさではない工場の跡地とか。少しでも目に焼き付けておこうと体を捻る私に向かって、パイロットが声をかける。前方に。紐で引かれるように姿勢を正した私の前には、まさしく壁と呼ばわるに相応しい威容を備えた建造物が聳え立っていた。
「もう壁に例えられた施設の本体以外にはなにも残されていません。強度的には十分ですから、あの上に着陸を」
「待って」私は外へ向かって無意味に身を乗り出した。「あの近くに」
 辛うじて原型を留める程度に風化した、巨大な──恐らくは兵器であろう代物が、戦場の廃墟へ長く引かれた線の上に、唐突に存在している。さながら塀の上でお喋りに興じていた誰かが置き忘れていったジャンクフードの殻とか、そんな感じだった。資料にあった機動砲台の記述を思い出す。彼らはこのでかぶつヽヽヽヽを下の平地ではなく、壁の上で運用したのだ! 私はその突飛な発想に舌を巻いた。人の身からすれば広い上面も、巨大な機械からすれば走り回るのは危険な幅に思えたし、その機械は万一落ちた時浮遊できるとは到底思えない失笑ものの大きさであるから尚更だ。とはいえこの場所での戦闘で企業側にかなりの損害が出ていたことを思えば、あながち間違った選択ではなかったのだろう。着陸してからの私がその馬鹿でかい残骸の写真を撮ったり、壁の上からの情景に想像力で砲台やらMTやらを描き込む作業に没頭した。観光客じみた動きだけでなく、持参した計測器は手書きの図面へ辛うじて残った地上のランドマークや機体残骸の位置を大いに活用してくれたし、同行者が崩落の危険がないと判断した室内の様子も少しだけ観察することができた。あたらしい餌を貰ったハムスターよろしく中外を忙しく出入りしているうち、日は中天を越えて昇り、薄雲一つなくなった空から惜しみなくその光を注いだ。
 この日何度目かの出入りの時、足元の踏み散らされた雪の間に溝が走っているのに気がついた。それは奇妙なことに、床材の構造と明らかに相関なさそうな流線を描いているらしかった。幅は約一メートル二〇センチ、深さは不明だが、少し掘っても底へ当たらないところから、恐らく相応に深かろうと推察された。
「見てくれ、ここに何か描いてある」
「……本当だ」無言で背景に徹していた同行者の瞳に初めて、学術的興味の光が宿った。「何でしょう? 排水に用立たせるには無秩序な……」
「雪をどかしてみよう」
 ちっぽけな人間二人で小一時間の作業に従事した結果、幸運にも位置が良かったのだろう、線は意味のありそうな形に結ばれた。ほんの一部でしかないものの、間違いなく誰かが、明確な意図をもって描いたものと判断できる。
「何に見える? 言ってくれ、正解は私にも分からないし、幸いにしてこの描き手には絵心がある。多分君の答えは間違ってない」
 ひとしきり渋る様子を見せた同行者は、さあと促す言葉と共に向けられた、私の輝く視線に屈した。
「マズル……でしょうか、イヌ科動物の」
「あるいはイヌのね」私は満面の笑みをつくった。「素晴らしい。全体を確認できそうにないのが残念」
 笑みから一転、肩を落とす学者先生に対し、同行者は飛行機に戻るようにと告げて施設内へと入っていった。私はこれまでの仏頂面とは異なる彼の無邪気な企み顔を信用し、素直に着席して待った。風がないだけで暖かいと感じて初めて、壁上の寒さを自覚した。夢中になっていたものだ。寒さを忘れて、と言うとあまりにもお遊び感が出るのだが、その通りだった。そして今は相棒のとっておきの秘策を待っているところ、なんと幸福な時間だろうか……そんなくだらない物思いにふけっていた私の平和な脳みそを、突如轟音が揺らした。慌てて外へ出ると、なんと施設の搬出口が盛大に軋みながらも開機かけているところだった。化石のようなこの場所に、よくぞ機能が残されていたものだ。分厚い扉は開ききる前に大きく嘶いて動きを止めてしまったが、その隙間から、さらに驚くべきものが歩み出てきた。
 MTだ。一時間前に発見し、何枚も写真を撮った骨董品の。
『接続完了。センセイ、危険ですから中に戻ってください』
 飛行機のコックピットから、ノイズでざらざらになった同行者の声が響いた。
『まだ非常電源が生きていて助かりました。この機体もいつまでもつかは分かりませんが、雪かきには足りるでしょう』
「驚いた」私は飛び込んだ機内でシンプルな感想を述べた。「どこで操縦を?」
『コックピット』
「そういうことじゃない」笑いがこみあげる。彼からジョークが聞けるとは思わなかった。「君の、能力についての話!」
『祖父の遺品整理をしている時に。大昔のマニュアルが僕にとっての絵本でした』
「それでも、知識と実践は違う……センスだね。よし、そのまま頼むよ」
『了解しました』
 私は自宅で寛ぐ勢いで、小型機の固いシートの背にもたれた。窓越しに駆動するMTを何枚もカメラに収め、うまく盾を使って進められる雪かき作業を自分の目で眺める。こんな光景が過去にもあったのだろうか。ノスタルジアが胸をふさぐ。かつてここに居た誰かが、同じ光景を見ていたかもしれない。打ち捨てられた廃墟に血が通う。ここは多くの人が生き、死んでいった場所だった。数時間を退屈知らずで過ごすと、日は大きく傾き、廃星の遺構は黄昏に染まった。長い作業を終えた同行者は驚くべきことに壁上の半分ほどを綺麗に露出させてくれ、太陽が恵んだ熱エネルギーが彼の仕事を仕上げてくれていた。溝に残った雪はむしろ線を際立たせるのに良いくらいだし、陰影に富む夕刻のライティングは同じ観点から見て完璧だった。大仕事をやり遂げた助手を待って、ドローンを飛ばした。作品が小さな画面に収められ、私達は言葉を失った。
 それはおとぎ話の挿絵のような図案だった。二頭の獣が連れ立って、壁上の床面を、ところ狭しと駆け回っている。片方は首輪から察するに犬、もう片方は風貌から犬より狼に近そうだ。豊かな毛皮を風になびかせ、踊るように入れ替わり、飛び跳ね、寄り添い合い、また駆ける。残った雪に隠れた部分にも続いているのだろう。この面を埋め尽くすように、睦まじい二頭の姿が繰り返し描かれている。犬と、狼。過去の記録の膨大な登場人物の中で、私には思い当たる存在があった。たった一度きりしか目にしたことはないが、独立傭兵のオペレーターの中に、ハンドラーと呼ばれる人物が居たはずだ。その配下の傭兵を猟犬と称していた記述を添えて。そして個人所有の企業発行物から、当時の作戦に参加した人員の中に狼をエンブレムとする隊員が居たことが示唆されている。
「これを描いたのはACかもしれない」
 同行者が呟き、私の思いつきを補強した。
「線の幅と深さが一定でしょう。まさか建造時の装飾ではないでしょうし、専用の機械を使ったとは思えない。だとすると、この精度の作業ができるのはACくらいではないかと……道具にしてもそうですし、乗り手にしても熟練を求められますから」
「絵を描くのはよくあること?」
「いいえ、流石にそれは」彼は愉快げに肩を揺らして笑った。「どうしてもここに残したかったのでしょう。大きくはっきりと、後世にも残るように」
 かつてこの地で戦ったのと同じ強化人間の若き末裔の言葉は、鐘の音のように私の中で反響した。その響きの中に、私は幻視する。生きとし生けるものが死に絶えた星に独り、名もなき傭兵が墓標を立てる。企業勢力が血で血を洗う闘争を繰り広げたこの場所を選んだのは、思い出深い場所だったからか。狼に象徴される企業の兵士とどのような関係だったかは、もはや空想の話になる。ただ、描かれた線の切実さには、その答えが含まれているような気がした。
 おそらくきっと、現実はこうならなかったのだろう。沈みゆく太陽が与えた色彩は、やがて宵闇の手によって優しく滲み溶かされていった。私達は無言のまま帰路につき、星を出る直前にドローンのデータを消した。あれはごく個人的な作品で、好奇の目に触れさせるべきではないものだ。今回の調査を棒に振った私は早速、違うテーマを探そうと思いはじめている。

実現されなかった世界で、二頭の獣が戯れ遊ぶ。描かれた楽園は、この星に訪れたいかなる末路とも無縁だった。