「聞こえるかい。そのエリアがブルートゥの縄張りだよ。また罠が増えているみたいだね。注意しな」
「こちらヴェスパーⅣラスティ、了解した」
朽ち果てたグリッドの死骸じみた骨組みの合間を縫い、スティールヘイズが降下する。警告されていた罠──浮遊機雷やレーザーセンサーは、持ち前の機動力で難なくやり過ごした。数が少ないように見受けられるのは錯覚ではないだろう。数日前に独立傭兵レイヴンが通った道だ。壁越えで名を売った彼は類まれなAC乗りで、この程度の戦力で退けられる男ではなかった。ライフルの弾がトイボックスの関節を穿ち、RaD謹製の重MTが火花とともに機能停止する。通信回線にシンダー・カーラの溜息が響いた。
「毎度のことながら胸が痛むよ。まったく、ビジターはどうしてあんな男に誑かされちまったかねえ」
ラスティはレーザーセンサーを照射する機体を近接で処理しながら、同意とも弁護ともつかないハミングで応じた。ビジター、つまりレイヴンの直前の仕事はRaDの裏切り者を片付けてカーラの古い発明品を取り戻す事だったが、排除対象との戦闘中に自ら回線を切り、そのまま通信不能になった。ヴェスパーの番号付きが一介のドーザーの依頼で出撃するのは例のない話だったが、許可を求められたヴェスパーⅡは二つ返事で了承した。レールキャノンは技研の兵器を退けるのに不可欠な道具だった。
『あなたはレイヴンのご友人ですね? 歓迎しましょう』
四脚が装甲を散らすのとほぼ同時に、男の声が耳に入る。オーネスト・ブルートゥは馴れ馴れしくかつ慇懃で、カーラから聞かされた前評判に違わぬ人物だった。ラスティは、そんな人間に与して任務を投げ棄てた戦友の胸中を想像しようとし、先程RaDの頭目がしたのとまったく同様の溜息をついた。前触れらしきものはひとつもなかったという。ただ、彼のハンドラーは一言、あいつにはあいつなりに思うところがあるのだろう、とだけ言っていた。
『カーラのご友人のレイヴンの、そのまたご友人とお近づきになれるとは。素敵だ……』狭まった通路に愉しげな声が反響する。
『ご友人のご友人、あなたはきっとうまく踊るでしょう。レイヴンはとても上手になりましたよ、スロー、スロー、クイック、クイック、スロー。ああ……ご友人のご友人、彼があなたをもてなす様子は、本当に、素晴らしいものになるでしょう』
狂人の恍惚とした口調とは正反対の苦いトーンで、カーラの呟きが入る。
『ビジターが出てくるか……油断できないね』
見えない先行きとは対照的に、視界が明るく開ける。シュナイダー製の軽量二脚は崩落したグリッドの縁を蹴り、大きく傾いたメガストラクチャーの残骸へと降りていった。天井から下げられた試作品と思しき巨大な装置を、奇妙な静けさが取り巻いている。何かがおかしい、そう思う間もなくコックピットに警告音が鳴った。飛び退いた先で横ざまに食らった逆関節の蹴りがACS負荷を跳ね上げ、間髪入れずにショットガンの衝撃が襲う。スティールヘイズは牽制のためにハンドガンを連射し、当たらない前提の弾は死と狼の間に猶予となる距離を与えた。あと一撃でも食らっていれば、とラスティは相対する機体の左腕を見た。パイルバンカーの追撃で装甲を打ち砕かれていたことだろう。
『戦友、君なんだろう。話し合えないか』
重い弾丸とミサイルアラート。的確に逃げ場を塞がれていくつか被弾するが、近距離での駆け引きはスティールヘイズの得意とするところだった。踏み込み、躱し、撃ち込んでまた踏み込む。回避の機動をそのまま攻めの一手に繋げて相手の選択肢を潰し、かと思えば追い詰められて至近距離の射撃を受ける寸前に危うく切り返すことになる。やはり君は脅威だ、とラスティは恐怖に限りなく近いものを感じた。だが恐怖ではなかった。もっと別の、より中立なものだった。何にも拠らぬ傭兵の強さは、意志のない天災に似ていた。何度も攻防を続け、両者は幾度となく互いの喉元に刃を掠めたが、雌雄を決するだけの創を刻むことはできなかった。だが好機は待つもので、遂にそれはラスティの手の中に転がり込んだ。レイヴンの左腕は空を切った。火花が弾け、無防備な一瞬の隙に懐へ潜り込む。完全な間合いの中でVvc-774LSのブレードは、果たして展開されなかった。装備を投げ捨てて軽くなったレイヴンの機体から、スティールヘイズの左腕へ向かって鋭い手刀が繰り出される。電気系統が制御を失った刹那のうちに武器が叩き落され、空いた前腕が握り締められた。耳障りな金属音が生じる。裏切り者の傭兵はそのまま誘うように腕を引いた。予期せぬ挙動に対応しきれず、急な重心の移動が目眩を引き起こす。ほんのひとときの間に二機の間に充満していた殺気は消え失せてしまい、緊張感のない戯れの気配が漂った。空いたほうの手がコアと脚部の間に添えられ、彼らは一定のリズムで歩み、滑り、回った。ラスティは抵抗せず、ただ害意のないことだけを察して相手の様子を伺った。
〈スロー、スロー、クイック、クイック、スロー〉
ブルートゥと呼ばれた男の声が延々と続く。それは明らかにループ再生された、質の悪い録音だった。
〈スロー、スロー〉と、レイヴンは軽やかにステップを踏んだ。〈クイック、クイック、スロー〉
『戦友。君は一体何がしたい。私には……君の意図が分からない』
当惑を隠さないラスティの問いかけに、ダンスに興じていたACはぴたりと静止した。そしてその頭部が、人形繰りの戯れのように傾いだ。
『[あなたは]{俺}《を》【置いて】〔いった!〕〘これで全部、〙〈大丈夫〉』
継ぎ接ぎにされたラジオや通信の音声で造られた返答はいたって無邪気な調子で、その文言とは裏腹に、非難がましさは一切含まれなかった。彼はまた踊りだした。ラスティは今度も抵抗せず、友人のするのに身を任せていた。いつかは終わりにしなければならなかったが、どこで区切りをつけたものか、判断がつかなかった。しかし舞踏は終止記号(フィーネ)を知らず、この世の終わりまで続きそうだった。
スロー、スロー、クイック、クイック、スロー。
スロー、スロー、クイック、クイック、スロー。