「お前が四番目か。時間はあるか? 訓練に付き合ってくれ。お前の戦い方が知りたい」
ラスティは眉を顰めた。突然の提案は背後の誰だかが寄越したもので、追いつこうとする足音は、三秒ほどして前に回った。行く手を遮った男はごく普通のパイロットに見えた。“お前が四番目か”とは結構な挨拶だったが、平凡な容姿からは一体その無遠慮が何に根ざしているか推し量るのも難しい。ラスティの視線はそれとなく滑り、ジャケットの胸に縫い付けられた文字の上に留まった。V.Ⅰ Freud。この短い文字列をもって、新任の第四隊長は起きた事に納得した。この男なら誰のことでも、それこそあの高慢なスネイルのことでさえも、お前呼ばわりして咎められる事はない。それに噂も耳にしていた、ヴェスパーの首席は無茶な調整を施され、壊れてしまった戦闘狂だと。馬鹿馬鹿しい与太話の類いではあったが、あながち的外れでもないらしい。少なくとも男の眼差しには、異例の出世を遂げた“第四隊長”に向けられがちな羨望や嫉妬はおろか、味方に引き入れようとか弱みを握ってやろうとかいった駆け引きも影すらなく、先程自ら述べた通りの期待だけが浮かんでいた。ラスティは頷いて、使い慣れたよそ行きの笑みを浮かべた。この笑みには人を侮ったところがあったが、気づくことのできる人間は稀だった。
「戦い方か。そう呼べるほどの物があるかは分かりませんが、付き合いましょう」
「よし。あとその堅苦しい喋り方はもうしなくていい。俺もオキーフも気にしない。スネイルは、そうだな……何か言われたら俺から命令されたと言っておけ」
「了解した」
第一隊長は意図の読めないフランクな表情のまま頷くと、ゆったりとした足取りで先導した。「行こうか。先に行っておくと、格納庫のACを見た。シュナイダーだな。上から下まで。見た目通り切れのある機体だ。うかうかしていると危ないだろうな」
ご謙遜を、と呟いて続き訓練室へ向かったラスティは果たして、仮想空間の中で対峙したヴェスパーⅠの戦いぶりから、何ら圧力を感じなかった。もちろん並のAC乗りとは技量の点で一線を画していたが、帥叔やあのよく分からない異国かぶれの戦士と大差ない程度の強さだった。かねてから聞き及んでいたアイランド・フォーの無敗のエースは、想像していた怪物とは異なり、あまりにも普通だった。特徴のない旧式の二脚はなぜかベイラムの意匠が目立ち、武装は右肩の大物にさえ注意していれば、特に脅威を感じるでもない。FCSはおそらく近距離偏重のものなのだろう、詰めてきた距離をスティールヘイズの機動力で開ければ、むしろ相手はこちらの間合いで踊ることになる。両手撃ちのライフルの衝撃は確実に蓄積し、負荷限界を迎えかけた。直前で展開されたパルス防壁の向こうで、ロックスミスの単眼がスティールヘイズのメインカメラを真っ直ぐに捉えた。
『そうか、なるほど。休ませてはくれないな』
左肩に据え付けられた機構が空中に何かを吐き出した。垂直プラズマミサイルに似ているが、明らかに別種の兵器だ。本能が警鐘を鳴らし、ラスティはそれに従って操縦桿を素早く引き、クイックブーストで死の印象から逃れ出る。バイザーへ投影された視界を裂いて輝線が走った。アーキバスお得意のエネルギー武器だが、こんなものを見るのは初めてだった。追随してくるドローンの射線を次々に避けながら、同時に本体の攻撃をいなす。斬撃を横っ跳びに躱し、カウンターとばかりにレーザースライサーの一撃を見舞う。深追いせずに引くのはバズーカの直撃を防ぐためだったが、予想に反し飛んできたのは近接攻撃だった。強力なエネルギー斬撃に視界が揺れる。ラスティはとっさに蹴りで距離を開けた。チャージ後の連撃でなかったのは幸運だった。アサルトライフルの命中精度に助けを借りてさらに機体を離し、体勢を立て直す。塗装の散った青い機影は一度高く飛び上がり、牽制のために放ったプラズマミサイルが狙いをそらされた。放たれた拡散弾は一部が掠って火花を生じ、ラスティの目はそれに紛れて再びドローンが展開するのを捉えた。レーザー網をかいくぐりながら、視野の端で機体情報をチェックする。思ったよりも損耗が激しかった。致命的な一撃は回避できていたものの、合間に差し込まれる射撃の精度は明らかに上がっていた。フロイトはこちらの回避行動を読んでうまく距離を詰めてくる。豆鉄砲でも、当たれば確実にダメージは入るのだ。フレームの耐久力を考えると、機動力のために他を削ぎ落としたNACHTREIHERは被弾覚悟の持久戦では分が悪い。ここがルビコンの廃墟ならばいざ知らず、シミュレーションの戦場はどこにも隠れることのできない開けた、かつ限られた空間で、獲物はいつその立場を逆転させるかも分からない、冷静で強かな獣だった。
だが、とラスティはこみ上げかけた焦燥を逆接の語で打ち消した。レーザードローンのパターンは概ね読めてきている。ブレードとバズーカは脅威だが、どちらも隙の大きい攻撃であることは間違いない。それにもとより“被弾覚悟の持久戦”に持ち込む気などない。ただ機を伺っているだけだ。ラスティには不利な状況にあっても適切な勝機を待つだけの忍耐と精神力があり、その瞬間を見定めればひとひらの躊躇すらも捨て去って踏み込むだけの大胆さがあった。他の解放戦線の人員に欠ける資質であり、フラットウェルはこれを見込んで企業の人事担当者に渡りをつけたのだった。
アサルトライフルの射撃に追われ、ロックスミスが身を翻した。ライフルの一定した銃声に割り込む、爆発に近い右肩武器からの発射音。機体の横をクイックブーストで抜け、鋭角に切り返す。展開されていたレーザーの一閃が装甲を焼くが、致命傷にはなりえない。チャージしておいた左手のバースト射撃がほぼ全弾、コアパーツの表面を穿つ。向こう方がACS負荷限界に近づいたところで、ラスティは思い切りペダルを踏み込んだ。迎撃のために振りかぶられたブレードのエネルギー刃が展開される前に、異形の二脚の蹴りが繰り出される。スタッガー。機体の制御システムが落ちるのと同時に持ち替えられた双刃が追いすがり、ヴェスパーの首席隊長機の、最後の耐久力を残らず切り刻んだ。
「シミュレーションはいい、何度でも死ねる。お陰で俺も軽量機は対策不足だと分かった……いい動きだった、ヴェスパーⅣ」
ヘルメットを脱いだフロイトは、装置から出てきたばかりのラスティへ歩み寄りつつ、楽しげに話しかけた。その声色には敗北の苦味も屈辱も滲んではいなかった。ただ単に満足げで、ほんの僅かに混じる悔しさが、まるで兄弟同士のじゃれあいか、飲み仲間とのカード勝負に負けたかのような、気安くあっけらかんとした印象を強めていた。
「世代は?」
「第八世代」
パイロットスーツの前をくつろげながら、ヴェスパーⅠは会話を続けた。「そう思われ続けたいなら回避直前の挙動はもう少し平坦にしておけ。お前のは鋭すぎる」
ラスティは多少面食らった。警戒心が頭をもたげたが、企業所属のAC乗りは告発者にも脅迫者にも見えなかった。“靴紐が解けているから結んだほうがいい“と同じ調子で差し出された助言には、字面以上の意味が込められていないように感じられた。
「それよりも、無理に羽ばたこうとするのはやめろ。お前は鳥に向いていない」男は喋りながら記憶の中のスティールヘイズの軌道を中空に描き出し、うっとりとそれに見惚れた。「しつこく狩り立てて、相手が弱みを見せれば一気に追い詰める。狼の戦い方だ。相性さえ良ければ、僚機がいたほうがうまく立ち回れるだろうな」
押し黙るラスティの肩を軽く叩き、フロイトは小さく声をたてて笑った。あまりにも平凡な、普通に生活する人間として当たり前の感情の発露だった。だが命懸けの計画に身を捧げている解放戦線の密偵を、心胆寒からしめるに余りある笑いだった。何に誓うでもなく、何を背負うでもなく、何を目指すでもなく、ヴェスパー最上位のAC乗りは純粋に、単純に、軽率に、機体を駆ること自体を楽しんでいるだけだった。だからこそ敵に回すのは恐ろしかった。きっとこの男は自分が殺した誰の声も、ひとつとして覚えてはいないのだろう。