そいつは今しがた地獄から戻ってきたばかりのおれに対して、まさにその地獄が人類にもたらすであろう恩寵と、全ての人が享受するであろう、豊かで輝かしき未来について語った。そうは言うがね先生、こちとらつい何分か前にその可能性の鉱山とやらから山ほどクソを投げつけられて、命からがらクソ塗れで帰ってきたんだぜ……などという嫌味を投げつける代わりに、おれはただ肩をすくめてみせただけだった。祝福された前途を語る男の横顔は、晴れ晴れとしてどこまでも無邪気だった。たわごととしか思えんような楽観的な展望を、ただ机の縁に寄りかかって聞いているだけの自分が不思議でならなかった。これが酒臭いボルジチの片隅でなく真面目くさった研究所の一室であることや、払いのいい雇い主──こいつはマーケットで大した値段もつかないがらくたにも大枚はたいて平気でいる──の口から出た話だからかは知らないが、とにかく彼のたわごとは、〈ゾーン〉に群がる他の連中と違い、おれを苛立たせなかった。ひとしきり演説をぶったあと、キリールは今日の収穫をおそるおそる、かつ大胆な手つきで回したり、傾けたりした。〈空罐〉は近頃の彼のお気に入りで、実を言うと帰りがけに危ない橋を渡ったのも、このくだらない二枚の円盤のためだった。もちろん安全そうなルートを把握した上での選択肢だったが、生きて帰れる完璧な保証など当然、なかった。〈ゾーン〉の安全は死んだりねじれたりしたあわれなやつらの犠牲の上にしか成り立たない。おれは自分の命をこのロシア人のご機嫌取りと天秤にかけ、危うくそれを皿の上からこぼしてしまうところだった。帰りの道を進む間は、のんきに待っているだけのこの男へぶつける文句のことばかり考えていたが、いざ対面するとそんな八つ当たりじみた毒気も霧散して、乾いたノイズを発する排気口へ残らず吸い込まれていってしまった。まったく、こいつの喜びようといったら! バカでかい骨を前にした犬みたいに、まずぽかんとして、それからじわじわとごちそうを認識し、無意味に歩き回っては『このサンプルが科学にどんな貢献をするか』を抑えきれない興奮を滲ませながら演説した。そしてお次はおれが科学にどんな貢献をしたかを滔々と語り、感謝の気持ちが盛り上がるあまり、おれに抱きついて背中を叩きさえした。今はようやく落ち着いて、研究者らしい観察の段階に入ったところだった。とめどなく喋りつづけ、口を挟む余地もない。報奨金を出そうかとかいう流れになると、おれはいい加減だんまりを決め込んでもいられなくなった。
「雇ったのがおれで良かったな。こんなつまらんものにいちいちそんな額を出していたら、他の連中にとっちゃカモにしかならんぞ」
彼は笑い、それで構わない、と信じがたい程のお人好しの意見を口にした。おれの心情はそのまま顔に出たのだろう、やつは朗らかな声を重ねて、大事な〈空罐〉を脇に置いた。
「〈ゾーン〉から得られたものなら、それだけで取引する価値はある……ただ、協力者として出会えたのがきみだったのは、確かに幸運だったろうな。きみはストーカーが〝つまらんもの〟と評するものを、隠さずそうと伝えてくれる」
おれは何故か赤面しかけ、慌てて言葉を継ぐことでそれを誤魔化しにかかった。
「勘違いしてもらっちゃ困る、〈空罐〉だって外じゃかなりの値がつくからな……おれがつまらんと言っているのは、そんなものいじくり回したところで役に立つとは思えんからだ」
「確かに〈電池〉のように分かりやすく役に立つものではないが、そういうものにこそ価値がある。事実、これらの円盤の間にどんな力が作用してこの形態を保ち続けているのかを解明できれば、何に応用できるかはそれこそ無限の可能性がある。わたしが解明しきれなかったとしても、ここで〈空罐〉をいじくり回した結果を記録しておきさえすれば、別の人間がわたしに続いて進むための道になるんだ」
希望と自信に満ちた口調に乗せられてつい、ばら色の未来を夢想する。その中ではおれも命を賭して人類の進歩に貢献した功労者として讃えられたが、なぜか目の前の夢見がちな科学者の姿はなかった。
それでおれはやっと理解した。こいつのたわごとが鼻につかないのは、金もうけとか虚栄心とかそういうものに縁がないからだ。彼の美しい展望において、科学の進歩と発展は、彼のためにあるのではなくて、人類すべてに降り注ぐものだった。日の光でさえ平等には差さないのに、彼の希望は平等だった。
彼はおれが聞いていなかった何らかの説明に、そうだろう、と同意を求めてにこりとした。おれはそうだな、とおざなりに返事をし、内心でこう付け加えた。そうだな、キリール、その通りだ。あんたはまったく聖人だよ……