とある休日

 バーは盛況だった。雰囲気のいい店で、薄暗いながらもいかがわしさのない店内には控えめな音楽と和やかな談笑とが心地よく混ざり合い、仕事の引けた余暇の楽しみをいっそうくつろいだものに演出している。この場所を教えてくれたのはもちろん長年の僚機たる親友で、彼には訪れる町それぞれに洒落た行きつけがあるのだった。趣味のいい男だ、お陰様で店選びには困らない。基地の外で羽を伸ばせるせっかくの機会に外れを引くのはごめんだった……こと意中の相手と連れ立っているときには。
「まさかお前から飲みのお誘いがあるとはな。他の連中に声をかけなくてよかったのか?」
「いいんだ。あいつらはいつでも大丈夫だし、たまには大人と飲みたくて」
 そう出来のよくないジョークに対し、大柄な彼は肩を揺らして屈託ない笑顔を見せた。
「俺もまっとうな大人かどうかは自信がないが、お前が言うならそうなんだろう」
 光栄だな、と続けてフライを口に放り込む彼の、目に見えて幸福そうな表情がただのビールを最高の美酒に変えてくれる。空でも食事の話が多いこの人は評判に違わずの大食漢で、どちらかといえばあまり食事に興味の持てない僕にとって、一緒にテーブルを囲むには理想的な人物だった。彼の頬を緩ませる一口は、僕の舌にも美味しかった。
「それで、新入りはどうだ。見込みはありそうか?」
 僕は自分の隊に編入された雛鳥の軌跡を脳裏に描き、苦笑した。強気すぎるカーブが仮想の空を駆け巡る。
「あれじゃ早死にする。あなたからも言ってやってほしい」
「ああ。後ろで小うるさく注文をつけているだけの人間の言葉がどこまで届くか分からんが、今度見かけたら話しておく」
「ご謙遜。あなたに何度救われたか」
「我が軍のエースパイロットは褒め上手だな」
 僕は曖昧なハミングで軽い笑いを賑やかし、幅のある肩がまた朗らかに揺れるのを見守った。鍛えているのは軍人なのだから当然だ。リラックスした様子でテーブルに片肘をつき、目的もなくその視線を他の客や壁の写真にさまよわせている。
 僕の目はひそかにその下を盗み見た。引き締まっているというよりはバルクのある筋肉が、シャツの布地を押している。触れればシャツ越しでもその肉体を、はっきりと知ることができるだろう。怪しからん色を帯びた想像が意識の端に這い登るのを、頭を振って払い落とす。
「どうした?」彼は僕の奇行にやや心配げな目を向けた。淡いグリーンの瞳の中で、和やかな光が遊んでいる。
「なんでも……」と定型句を半分以上口にしてしまってから、よりもっともらしい言い訳に切り替える。「少し酔ったかもしれない」
「うまい酒はすぐ回る。そろそろ行くか?」
「いいや。もう少し話したい。たまの休みだ」
 彼は近くを通りかかった店員を呼び止め、水を一杯、と注文した。人好きのする笑顔を添え、どんな混乱した戦場でもよく通るその声で。そこに僕の名前が続く。いたわりの文言が付け加えられるのを、もっと別の場所で聞けたらと思った。追い払ったはずの妄想が性懲りもなく顔を出す。そこで都合よく省かれている現実を、僕は努めて視界に入れるようにした。薬指で光る、シンプルながらも品のいいプラチナの輪。共通の知り合いのちょっとしたエピソードを交えながらとりとめもなく会話し、運ばれてきた水が合間で涼やかに喉を越す。思い出話が盛り上がり、落ちのついたところでひときわ大きな笑いとともに、親しげに肩を叩かれた。僕も笑って、同じようにする。僕に許されるのはそこまでだ。穢れなき白銀の輝きが繰り返し教えてくれる。この人は僕とは違う巣に帰る。