おい、ウソだろ。
俺は何でもいいから神様に祈りたい気分だった。ヨスタトが俺のベッドで、俺の上着を抱いて寝ていた。人を子供扱いして余裕ぶってるこいつも、こうして眠っている間は無防備で幼く見える。薄いカーテンを透かした淡い月明かりの下、反りかえった睫毛が形のいい鼻のほうまで、ため息の出るほど長い影を落としている。彼はもぞもぞと身じろぎすると、両手で掴んだ俺のパーカーを自分の胸に引き寄せた。どことなく幸せそうに口許が緩むのを見て、ただただ愛情を感じていた。ああ、ヨスタト。心臓が激しく鼓動して苦しい。俺は額に落ちかかった前髪を、ごく慎重に避けてやった。震える指が彼の肌に触れてしまうと、ヨスタトは吐息とともにくすぐったそうに微笑んだ。俺は思わず口を抑えて深呼吸した。なんてかわいいんだろう。まさに天使といっていい、こんな純粋で綺麗なものがこの世に存在していいのか。柔らかく結ばれた唇は彫刻じみた完璧すぎる造形を和らげて、透けるような白い肌へほのかに赤みを乗せている。俺はまた上がりかけた心拍を沈めるためにうずくまり、胸に両手を当てた。静まり返った部屋の中、ヨスタトの規則正しい寝息が響く。意を決してもう一度向き合うと、さっき俺の心を乱した唇から、今度は甘い囁きが漏れた。
ジルナク……と、彼は言い、次いでンン……と意味のない声をあげて寝返りを打った。握りしめたパーカーはそのまま持っていき、薄着の体へ斜めにかかった。俺はもう少しで声をあげるところだったが、頬の内側を噛み締めてなんとかこらえることができた。ヨスタト、ヨスタト……どうして俺の名前なんか呼ぶんだ?耐えきれずに視線を落とすと、むき出しの左足が嫌でも目に入ってくる。うっすらと浮いた傷痕は、彼の滑らかな断端を、妙になまめかしく飾っていた。ああ、今すぐ頬擦りしたい。きっと信じられないほど柔らかい。酔っぱらった俺は執拗にヨスタトの傷を愛でていたらしいが、覚えていないのが狂おしいまでに悔しかった。何で覚えていないんだ、くそったれ、くそったれ、ほかのどうでもいいことなんか全部忘れろ。待てよ、今はこいつも寝ているし、ちょっとキスするくらいなら許されるかもしれない。俺は息を整えると、徐々に体を傾けた。焦るな、焦るな、慎重にいけ、慎重に……ああ! だめだった。ヨスタトはまた体勢を変えた。今度は仰向けだ。半分戻ったかたちになるから、パーカーも半分、いやそれ以上に戻る。俺の、俺の! 服を握った片方の手は脇腹の上に置かれていて、何やら緩んだ様子だった。空いたほうの手はなぜか甲の側を外向きにして、肩の高さに残されている。頭はほとんど横を向いたままになっている。こうなると首筋から鎖骨にかけてのラインにたまらなく色気が出てしまう。それを追いかけるうち、とんでもないものを目にしてしまった。あろうことか、ヨスタトのシャツのボタンは三個目までが開け放たれ、はだけた胸元からセクシーな痘痕が覗いていた。俺は息を呑み、生唾を飲み込んだ。こんなことがあっていいのか?夜半の陰影は芸術的にこの繊細な凹凸を彩っている、ヨスタトの過去の受難を無言のうちに物語る病苦の痕跡……俺はそれにぞくぞくした。わが手を反対の手で包みこみながら、ひたすらにやきもきした。この指先は彼の手触りも知っているはずだが、畜生、俺は酔うと記憶をなくすから頭は覚えちゃいなかった。服の隙間に手を差し入れて感触を確かめたなら、こいつは起きるんだろうか。起きるに決まってる。それで俺を変態野郎と罵って……たまらない、あのヨスタトのあの声でそんな風に言われたら、きっと元には戻れなくなる。想像だけでも恐ろしい。俺は丸めた指の関節を噛み、ひとまず気持ちを落ち着けた。ヨスタトの表情ははまだ幸せそうだった。さっき俺の名前を呼んだのは、俺が夢に出てきたからだろうか。自分自身に激しい嫉妬を覚えるのはこれで通算何度目か、今夜だけでも既に二回、酔っていた時の自分に妬いている。何で俺は覚えていられないんだ。改めて俯瞰してみると、今夜のヨスタトは信じられないほどかわいかった。いくらなんでもかわいすぎる。無邪気な笑顔のままヨスタトはこう呟いた。ジルナク、あんまりがっつくな……俺は思わず天を仰いだ。天井にはこの前雨漏りした時の染みがある。このがっつくな、は確実に食事に関することなんだろうが、現実の俺も間違いなくがっついていた。ああ、ヨスタト…… 歳上で世話焼きのハンサムな同居人が、どうしてこんなにも愛くるしく見えるのかは自分でも分からなかった。ただ、ほとんど恐慌状態に陥った俺の精神は不埒な衝動に支配されかかっていて、これを退けるにはいっそこいつをやっちまうか(最低最悪の野蛮な手段。下手したら命を落とす)、前の道を全力疾走するか(現実的手段)、海に飛び込んで沖まで泳ぐか(非現実的手段)、そのどれかしか手の打ちようがないらしかった。ヨスタトは一秒ごとにかわいくなっている。その上なんて綺麗なんだ、心底惚れ惚れさせられる。どこ構わずキスしたい。ヨスタト、ヨスタト……
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外はわりかし過ごしやすかった。走るのも気持ちいい。この時間帯の海は思ったより波が高くて危ない。以上。