ビーチ

 散々説得した末、俺はヨスタトを海に連れ出すことに成功した。この成果は親友のネルシャ・リノツクの協力によるところが大きい。あいつが最近狙っている“セクシーな”ロボットオタクは、丸みのある体型と裏腹に海で泳ぐのが好きだった。
「だから、あんたにも来てほしいって」
「なんで俺が」
「二人きりは恥ずかしいって言うんだよ。かといって三人だと変な感じになる。俺とネルはただでさえ誤解されやすいし」
「おい、質問は変わらないぞ。お前とネルシャの間に何もないって示すのにもう一人必要なのはまあわかる、なんで俺なんだ。それこそ変な感じだろうが」
「いや、あんたじゃなきゃ駄目だ。俺がぞっこんなのはあんただからな」
 あの時のヨスタトの顔を写真に撮っておけばよかった。俺はこの面倒見のいい兄貴分が浮かべる大袈裟な呆れ顔が好きだった。なんだかんだ言っても俺の頼みを拒まない。ヨスタトは兄貴と同じかそれ以上、弟に甘かった。
 ビーチはパンフレットや宣伝映像そのままの美しさを、しもじもの者にも惜しげなく分け与えていた。イズカイアの絵葉書はその風景に憧れた人間を裏切らない。抜けるような空の青と、色相のやや緑に傾いた、それでも透明感のある海の青とが水平線で手を繋ぎ、沖の小波が彼らの境界を銀の粉で彩っている。それが本当に遠く遠くまで続いているからすごい。ここでは世界が広かった。
「波が高いな」と、傍らのヨスタトが目を細めた。パラソルの模様を透かした色つきの影が、その横顔に演出を乗せている。映画のワンシーンみたいだ、やっぱりこいつは俳優になれたと思う。今からでも遅くないが、それはちょっと困る。彼のしかめつらの向こう側に、気合いの入ったネルシャの水着が映りこむ。俺にデザインの知識はないが、見たままの感想、シンプルながら結構攻めてる。ヨスタトが主演ならネルは売れっ子のヒロインだ。その後ろでメロンソーダを啜っているのはメカニック。地元の人間らしく小麦色の肌をしたこの太っちょは気のいいやつで、俺の火傷を見ても全く動じなかったばかりか額の切り傷くらいにしか思ってないというのを聞いてから、俺はこいつを信用している。親友の恋を全面的に応援してもいいくらいに。
「泳がないの?残念、ジルが水もしたたるいい男を楽しみにしてたのに」
「ネル!」
 おちゃらけ女は彼氏候補の手を引いてさっさと波打ち際まで行ってしまった。俺は笑って見送ったヨスタトを小突く。
「俺たちも行こうぜ」
「いいや、俺の仕事はここまでだ。水には入らない」
 ヨスタトは手ぶりまで交えてきっぱり言い切った。ビニールシートの上に寝そべると、頭の後ろで組んだ腕を枕にし、これ見よがしに目を閉じた。シャツの胸に挟んだサングラスがずり上がった。
「水の中なら片足立ちでも負担にならない」
 俺は当たり障りのないことを口にした。本当はさ、ヨスタト、あんたの痘痕を明るいところで見たいんだ。言えずに喉を滑り落ちた言葉が心に戻って他の色々な望みと混ざる。今夜は肉が食べたいとか、一緒に出かける時俺にも運転させろとか、、たまにはあっちからキスしてほしいとか、家の扉をやっぱりオレンジにしてみたいとか、そういった些細なことと。俺は兄貴分と同じように、シートの上に寝転がった。
「お前は泳ぎに行ってもいいんだぞ」
「いや、いい。だってさ、ヨスタト……」
 影に入りきらなかった足が日差しを浴びてやたらと白く見える。多分帰る頃には真っ赤だ、あんまり痛かったら切っちまうかな。そしたらヨスタトも足に関する言い訳が使えなくなる。
「あんたに泳ぎを教えてもらいたかった」
「どうして」
「俺が浅瀬でバチャバチャやってても馬鹿にしないだろ。馬鹿にされたとしても、あんたからなら悪くない………」