みてくれは良いに越したことなし

 嫌だ、見て……と囁き交わす二人組に向かって、俺は一瞥もくれてやらなかった。大学というのは思ったより多様性に富む籠で、その中には俺の親友のようなおおらかなやつも居たが、誰もがネルシャ・リノツクじゃない。こうしてひそひそ話をしたり、薄気味悪いツラを向けんなよ、と面と向かって罵倒するやつもいる。ひとの犯罪歴まで聞こえよがしに噂するんだからたまらない。俺は机の上でテキストを揃えると、ブックバンドをぞんざいに巻き付けて、うんざり気分で席を立った。
 その日休みだったヨスタトは、義足を床に転がしたまま行儀の悪い姿で遅い昼食をとっていた。カバーを張り替えたばかりの薄鼠色のソファの上、肘掛けに肩を預けほとんど寝ながら食べるパスタは残り物をあえたもので、あまり美味しそうでもなかった。この男の見てくれはまず間違いなく俺の知る誰よりも上等だ、多少のだらしなさはけだるい色気に変えてしまうし、視線ひとつで他人を操ってしまうこともままあった。何をしても絵になる。
「おい、ほっぽらかしとくなよ」俺は金属と樹脂ででにた高価な足を拾ってソファに立てかけた。「あんたらしくもない」
「お前に俺らしさが分かんのか? ジルナク、その気になれば几帳面なヨスタトだって食べ終わった食器をテーブルに置きっぱなしにして、歯も磨かずに朝までソファで眠ったりできるんだぞ」
 なんだこいつ、酒でも入ってんのか。俺は背凭れに手をかけ、ヨスタトの顔を覗きこんだ。自暴自棄のニヒリズムにぼかされた物憂い眼差し、それでもどこか優しいカーブを描く唇のありさまと、視界の端にいやでもちらつく首元の凹凸、どれもヨスタトらしからぬ倦怠に包まれて温い気温と溶け合っていた。
「おいおい、子供っぽい真似はやめとけよ……親切なジルナクがお片付けをして歯を磨いてやって、お姫様抱っこでベッドまで連れていってやろうか?」
 ヨスタトの返事は簡単だった。「そうしてくれ」
 俺は無意味な冗談は聞かなかったふりをして、大してスペースもないソファの座面に、彼の体を押し退けるようにして腰かけた。いつになくだるそうな同居人は休息の時間を邪魔されても怒らなかった。顔を近づけると、濃くなった暗がりのせいで、意外と長い睫毛の落とす影が見えなくなった。整然と並んだ雨よけの庇、これも彼を構成する一要素だ。柔らかい曲線に富んで甘くなりがちな目元を涼やかに引き締める眉の形は、左右が完璧に対称で美しかった。こいつの顔はどのパーツもそうだ。鏡を立てたみたいに対称で、そのバランスが他の個体を惹き付ける。
「あんたは綺麗だな」
「お前はいつもそう言う」伏した目が時間をかけて瞬く。「どこが綺麗なんだ?」
 さっきまで思っていたことをそのまま伝え、二、三補足する。あんたは完璧なんだ、もちろんその痘痕と足のことがあるが、そいつは後から付け足されたもんだろ。むしろ元々のつりあいの良さが引き立っていい。あんたは本当に綺麗だよ……などと、俺のろくでもないお喋りは一端堰をきってしまうと止まらなかった。
「あんたを見た友達が王子様みたいだって言ってたよ」
 俺はひとりでに緩む頬の動きに任せて笑った。ジル、あんた王子様と暮らしてるんだ……その時は肯定も否定もしなかったが、そうだよ、と答えても良かったような気がする。普段は素敵な王子様も、今日は随分手のかかるお方になってしまっているが。
「ジルナク」ヨスタトは突然、上目遣いに俺を見た。現れた故郷の色彩にたまらない郷愁を覚える。「もっと近くに……おいおい、逃げるなよ。お前のこの火傷の痕だって悪くない。そうくすぐったがるなって……なあ、さっきの話だが、俺は本気だぞ。たまには世話を焼かれるのもいい」
 それまで俺のケロイドの表面を撫でていたヨスタトの指が離れていく。名残惜しそうに、と形容したくなるのは空しい願望で、熱っぽくなった頬があまり赤くなっていなければいいと思うのと同程度に無意味だった。ニレの冬空から目をそらすと、ニスのへたった床板の細かな傷に焦点が合う。 俺の傷痕は多分、この床の傷にもヨスタトの痘痕にもなれないのだと思う。