ただいまの後は

 それからの俺は完全に理性を失ったけだもので、ヨスタトは執拗につけられた歯形と虫刺されでは言い訳できない数の肌の赤みについて雨あられと嫌味を降らせた(明日は水泳の授業があるらしい)。ただそれは何もかも終えてしまってからの話で、今夜の彼は手のつけられない弟分をとことん甘やかしていた。俺たちははじめ電気をつけたまま事に及び(久々のごちそうを目で楽しみたかった)、ムードが出てきたところで部屋を心地のいい暗がりへ変えた。殆ど忘れかけていた大嫌いな南国の湿度、まとわりつくような互いの肌の感触、吐息に混じる軽やかな冗談、それらは開け放しの窓から流れ込む重い緑の香りに包まれて俺に故郷を思い出させた。色のない冬に凍りつく生まれ故郷でなく、もう一度生きてもいいと思えた能天気な海辺の楽園……リゾート地でハイになった俺は恥知らずな要求を遠慮なく並べたが、気難し屋のヨスタトはその幾つかを一言で払い落としたそのあとで、残ったとっておきの望みを叶えてくれた。普段の彼なら間違いなくふざけるなの一言で片付けるやつだ。サービス過剰のこの男は想定の百倍ストレートなやり方で俺を満足させようとし、かわいい弟分に変態のレッテルを貼り付けることに成功した。肢端切断者の愛好家はすっかり消耗して判断力に乏しかった。
「ヨスタト、そう拗ねるなよ。あんたも楽しんだろ……」俺はひとつ痣をつけるたびに力のかかる指先と、それに髪を乱される感触を思い出した。「できたらもう一度したい」
「サイコ野郎かよ」
「ははは」その通りだ。「でもそのサイコ野郎の手際も悪くはないらしいな。あんたは嫌なことは嫌だってはっきり言う人間だ」
「調子に乗るな」
 憎まれ口の割に噛みつくようなキスで始まった「もう一度」は、のっけから最高だった。俺たちは普段なら絶対に触れ合わない場所で相手を感じ、どこ構わず撫でまわしている皮膚との少しの温度差に朦朧とした。今日は既に一度行くところまで行っていたせいか十秒とたたずに息遣いが熱くなり、熱に浮かされた手指の動きは雑になった。俺はヨスタトの首の痘痕に歯を立てたままもっと下へと指を滑らせた。薄く湿った皮膚の下にはしなやかで鍛えられた筋肉の重なりがはっきりと分かった。彼も同じように俺の身体つきを確かめる。近頃少しデカくなってきたのはちょっと運動するとすぐそうなる兄貴譲りの肉質がいけないんだが、お陰で単純な力比べならヨスタトにも勝てるようになってきた。もっとも、それができるのはこの元プロが何も考えていない時か手加減してくれている時に限ったが。
 俺は未練の残るところをやっとの思いで断ち切って、彼から一度身を離した。焦りすぎのきらいはあったが、なんといっても初めてじゃない。向こうもすっかり察したようで、俺はなるべく興が削がれないよう気を使いながら(というかむしろあっちが気を回してくれた。ヨスタトはこの用途では人よりも脚がうまく使える、スペースの問題で……)支度・・にかかった。絵面は多少馬鹿馬鹿しいが、ほんのちょっぴりの手間と時間で健康面での安全性が増すんだから別に構わない、こういうのが思いやりってもんだ……
 どうでもいい考え事とどうでもよくない作業は実質数秒のことで、あとはもうやりたいようにやるだけだった。先が半端な長さになったほうの膝を抱えるようにして腰を沈めると、ヨスタトはわずかに息を詰め、肺に溜めたゆっくりと吐き出していった。雪解けの水が土の隙間から染み出してくる有り様に似た長い吐息が、シーツに描かれた細かな陰影をくすぐって流れた。抱き込んだ身体を優しく揺らすとヨスタトの眉間に皺が寄り、いつもは余裕綽々に笑み慣れた目元が切なくなる。これにはジルナクも大喜びだ。俺はこの年よりぶった同居人にいつも無理をさせていた。とはいえ正直なところ、優しさなんか捨てて早いとこもっと荒っぽく彼とひとつになりたかった。最近はヨガなんかに凝っているリノツク師曰く、頭は空っぽにしてはじめて大きな流れとひとつになることができるんだそうだ。ちょうどよく俺の頭は空っぽだが、ヨスタトの頭はそうでもない。
「ヨスタト」
 声色のどこかに不吉なものを感じ取ったんだろう、彼はこう囁かれると俺の身体に回した腕へ露骨に強く力を込めた。遠慮をなくしていくごとにそれはますます強くなり、時折激しく爪を立てるようになった。それと裏腹に反射的に逃がれようとするヨスタトを肉食獣さながらの粗暴さで押さえつけていると、彼はうめき声と息つぎの合間に俺の名前を呼んだ。こうなると正常にものを考えるのが難しくなる。綺麗だよ、とかお決まりのフレーズをいくつか口にしたかもしれない。好き勝手言いやがって、なんて返ってきた気もする。
 という訳でこの日の夜は名残惜しむような口づけで終わった。文句のつけようがなかった。家に帰ってくればヨスタトが待っていて、俺をこんなにも甘やかしてくれるんだから……