酩酊のバリエーション

 ヨスタトは泥酔して帰ってきた。無茶な飲み方をした夜はきまって、日付をまたいで何時間もしてから、後ろめたそうに忍び込んでくる。自分の家(そうだ、俺たちはそれぞれの仕事が決まってから町外れのボロ屋を借りた)なのに足音を忍ばせて、ベッドの上でこそこそと義足を外し、じりじり時間をかけて横になるのだ。そういう時、俺は寝たふりをしてやる。軸の歪んだ彼の左足が床材と喧嘩する不規則な音も、聞こえないふりをする。もとの持ち主に二束三文で売り払われて不平たらたらのスプリングの軋みも、横たわって必ずつく長い溜め息も、俺の耳には入らない。ただ、田舎の明るすぎる夜が流した乳色の暗がりに浮かぶ、丸めた体のシルエットを盗み見て、切ないような、そうでもないような感傷に浸る手前勝手は、悪いと思ってもやめられなかった。このくだらない感傷は、元々彼に抱いていた漠然とした敵意(あるいは反感)の角ばった部分が俺の神経をチクチク突つかないように、少しずつそれをくるんでいった。俺を醜男にした爆弾の、小さな破片を芯にした脂肪の玉。南国の元気すぎる太陽は、陽気なあんたにもしんどいらしいな。外に出るたび火傷している、痛むだろうに、どうってことないという顔で冗談なんか飛ばしている。ジルナク、俺がシミだらけのおやじになっても見捨てないでくれよ……
 今夜のやけ酒は妙な効き方をしたらしい。ヨスタトの千鳥足はやかましくパレードし、間違ったほうのベッドに乗りあげた。マットレスの端から伝播する衝撃に、起きて教えてやろうか迷う。もし、家をお間違えですよ。彼はそのままごそごそやったあと、飛び込むようにして俺の隣に寝転んで、背を向けた俺の身体を抱いた。
「ハニー、ただいま」
 悪趣味もいいとこだ、返事をするのも面倒で狸寝入りを続けていると、濡れた唇がうなじに押し当てられる。吐息はこの国のアスファルトで炙られた風の温度で、熱い。首までケロイド男にはなりたくない。
「帰りが遅くなってごめん、怒ったろ? わかるよ……」腹に回された片腕が、俺を抱き寄せるべく力をかける。畜生、こんなことなら上を着ておけば。激しい後悔に全身の傷痕が騒いだ。しかし今日が熱帯夜じゃなくて良かった、そうだったらこいつを今すぐ絞め殺してる。「機嫌を直してくれよ。今からでも優しくさせてくれないか。埋め合わせに……」
 どうせそんな事だろうと思ったが、ヨスタトはロマンチックな口づけの合間、俺の知らない誰かに繰り返し呼びかけていた。いい名前だった。ツァーレクほど珍しくないが、響きの綺麗な、やや古風で由来のはっきりしたやつだ。俺はニレで一番淡い色彩を乗せた花の香りを思い出した。地味だが香りはピカいちで、乾燥させればお茶にえもいわれぬ爽やかさをもたらすし、不思議なことに、蜜にはわずかに鎮静作用もあるのだった。気持ちよくなるにはふた瓶まるまる(でかいやつ)一気に飲み干さないといけないが、あんたは毎晩飲み干したんだろう、差し挟む軽口の割に愛撫は情熱的で、真剣だった。
 俺はためらいにためらってようやく、この不毛なロールプレイを終わらせる決心がついた。拘束はきついが身動きできないほどじゃない。もぞもぞと体の向きを変えると、当然のことながら目を開けている勇気が失せる。酔ったヨスタトの顔なんか見たくなかった、こと昔の女を抱いている時の顔なんてのは。
「ヨスタト、俺だよ」
「知ってる」
 なんだって?
「ジルナク、お前だろ。かわいいクークー……」額に他人の肌(と髪)を感じる。最悪だ、鼻の頭が触れ合ってむず痒い。むず痒さでいえば親と親みたいに歳の離れた兄弟にしか使われない子ども名を使われたのも、腹の底を百足が這っているような気分にさせられる。
「俺をかわいそうなやつだと思ったろうな。そうだよ、俺はこんな風に酒に溺れて、人肌恋しさにあろうことか元同僚に縋りついている、かわいそうな男さ。憐れんでくれるか? ジル、目を開けてくれよ。お前の色が見たい」
 俺は裏切られた心持ちのまま、かわいそうな男の望み通りにしてやった。この距離で見るヨスタトの瞳は、息を呑むほど綺麗だった。兄貴の目も灰色だったが、あれはもう少しぼやけたまろやかな色味で、ここまで鮮やかじゃなかった。鮮やかな無彩色とは我ながら投げやりな表現だ、灰色というより青なんだろうか、可視の波長から、有機物でなく石や金属が選び取った色を除いた反射光……瞼の曲線はこんなも柔らかく、眼差しはこんなにも温もっているのに、射すくめられた俺の瞬きは凍りつき、歯の根が震えそうになる。勿論今夜の気温はニレの暖房がせっせと暖めた空気の温度と同じくらいだし、むき出しの皮膚に感じる布越しの体温も頑張り過ぎのラップトップと大差ない。全部気持ちの問題だ、精神的な風邪を引きかけながら、俺は陰気な冬に病む故郷を、無性に懐かしく思う。
「見えてるのか? こっち側は」
「ぼんやりな。目が見たいだけならもっと離れろよ、鬱陶しい……」意図に反して、全くうんざりした響きがこもらない。
「これ以上は」ない胸を(あっちゃ困る)撫で回す手のひらに肌が粟立つ。ハンサムな元上司の傍若無人な振る舞いに、俺はすっかり縮み上がった。「しないから安心しろ。あんまり白いからもったいない……」
 これ以上ってなんだ。聞けないまま好き放題され、そのまま朝まで微睡みすらできなかった。夜が短かったのが幸いだ。ヨスタトは無責任な眠りに落ちるまで、他人の名前を呼んでいた。