南国の朝は残酷なまでの明度で、俺のしでかした過ちを照らしている。ふかふかの羽毛布団は極上の肌触り、本当なら俺はコイントスで勝ち得たこのキングサイズのベッドを独り占めして、身体のどこも痛まない爽やかな目覚めと眠りの余韻を満喫している筈だった。実際はというと、右腕に元上司の頭の重さをズッシリ感じながら、どうすれば彼を起こさずにこのしびれかけた腕を重荷から解き放ってやれるか考えているところだ。酒が残ったことはないが、頭痛じみた鈍い後悔が目玉の裏側にへばりついている。
こうなったのはヨスタトがアイスクリーム屋のワゴンを放っぽりだして大捕物を繰り広げたからで、話によると、眼前で行われた犯罪を燃え立つ正義の心から見逃せなかったということらしいが、どう考えても被害者の金持ちレベルを目ざとく見極め、打算で動いただけのような気がする。ヨスタトの名誉のために付け加えておくと、もちろん正義の心も半分くらいはあったと思うが(あいつのそういう所が嫌いじゃない)、財布の持ち主がいたく感激してこのスイートルームを譲ってくれたところをみると、まあそういうことなんだろう。俺達は一週間の間、ここで自由にくつろぐことが許されていた。でかいホテルの最上階で、飲み食いの金も向こうが持ってくれる。泥棒に財布をくれてやったほうが安く済んだんじゃないかとも思うが、そんな不粋な推量で富の分配を邪魔するわけにもいかない。俺はまったく純粋におこぼれに預かる形で、この贅沢を楽しむことにしていた。
こんな最高の幸運に問題があるとすれば、それはベッドがひとつきりしかないという事だった。本来なら正義の功労者に譲るべきなんだろうが、俺はどうしてもこのでかいベッドで手足を伸ばして眠ってみたかった。置いてあるソファはどれも俺たちがふだん使っているベッドより柔らかいようだったし、ここはひとつゲームで何とかならないか、敗者はあっちで、勝者はこっちでという塩梅に、などと頼み込むと、ヨスタトはあっさり承諾した。こいつが俺に甘いのは知っていた。特に何杯か酒を入れてやると、すっかりご機嫌になり、少しでも面白そうなら、笑いながら許してくれるだろうと……加減を間違えたのか、ヨスタトはちょっとご機嫌になりすぎた。
「何してんだよ。男に二言はないって、あんた自分でそう言ったんだぜ……」照明を落としていよいよ眠るぞという時間、俺はベッドのへりで義足を外そうとするヨスタトの肩をやや強めに押していた。ここ備え付けのガウン(これは彼に譲ってやった、なんてったってヒーローだからな)は触れただけでいい匂いがした。「大人しくあっちで寝ろよ」
「膝が痛いんだよ。いいだろ、広いんだから」
「じゃあ俺があっちに行く。ちょっと我儘が過ぎたからな。スリを捕まえたのはあんたなんだ、いい夢見ろよ」
そう言い捨てて大人しく出ていこうとした俺の視界は、軽い衝撃と共に一気にシンプルになった。天井だ。作り物の足を外してほんの少し身軽になったヨスタトの腕が俺を引きずり倒していた。酔っぱらいめ。シンプルな視界に色男が登場する。さっきのいい匂いはガウンのほうじゃなかった。畜生、金持ち連中がもてるのはこのせいかよ。俺が石鹸で頭を洗っている一方で(こっちも十分いい匂い)、こいつはシャンプーも使ってたらしいな。
「ここに居ろよ。わざわざあんな狭いところで寝なくたっていい。それとも……俺とは嫌か?」
「おい、いい加減にしろよ。あんた、飲み過ぎだ」
いい加減にしてほしかった。俺は度重なる泥酔とそのありうべからざる結果の反省から、せっかくの高い酒もほとんど飲んじゃいなかったが、それでもこんな状態のヨスタトと居ると妙な気分にさせられた。雪のような肌、ばら色の頬、うんぬん。ガウンの裾から左足が出ないのにも、いつもは隠されている細かいまだらもようにも、妙にぞくぞくさせられた。うう、たぶん俺は下肢切断者の愛好家で、痘痕に興奮するトライポフィリアなんだろう。
「ジル、俺はお前を……」一時真剣になったまなざしが和らいで、驚くほど無邪気な笑みに変わる。「愛してるってわけじゃない。でもな、どうせ俺達は普通とは程遠いだろ。これでいいんだ」
何がいいんだよ、という言葉は胸につかえて出てこない。顔の火傷を撫でる手つきはぞんざいで、だからこそ心地よかった。兄貴なら弟の傷痕に触れたりしなかったろう。やっぱりこいつは兄貴とは違う。世話を焼いて甘やかそうとするところはそっくりなんだが。
「もちろんお前が嫌なら……」
「畜生、分かってるんだろ。もういい、覚悟しとけ。俺はいま、捨て鉢な気持ちになってる。こういうことだって平気でするんだからな……」
さすがキングサイズだ、俺たちが一回転してもまだ余裕がある。急にシンプルな背景を見る羽目になったヨスタトは目をぱちくりさせていたが、すぐに満足そうな顔になった。くそ、満足そうどころじゃない、にやついたしたり顔だ。いつもそうだ、言うつもりのなかったことも、するつもりのなかったことも、全部表に引っ張り出される。あんたは無様で必死な俺の姿を見て笑うんだ。なんでいつもこうなんだよ。
とまあ昨晩のあらすじは概ねそんな感じだった。思い出すだけで顔から火が出そうになる、死んだ家族はいつでも俺を見守ってくれているというが、正直最近はよそ見をしていてほしかった。朝陽がもたらした清潔な明るさの中で、俺は眠るヨスタトを眺める。胸には完全に素面のジルナクくんが付けた痣がいくつもあった。これでもう酒のせいにはできないが……人によっては彼の容姿を損なっていると表現してもおかしくない肌の凹凸は、光の下でも、頭がはっきりしていても、綺麗だと思った。もうなんでもいい、俺は正しい。こいつは綺麗なんだ。やけくそ気味の考えだが、悪い気はしない。後悔が抜けて頭が軽くなる(色々な意味で)。腕のしびれは忘れよう、レク、好きなだけ枕にしてていい。起きていると軽口ばかり叩く愉快な二枚目は、何かむにゃむにゃ言っている。寝顔は安らかで、悪い夢も見ていなさそうだった。