勘違い

 聖アラシカの日はニレではかなり人気のある祝日だったが、クグニ・マノ・アラシカの生涯をちゃんと知っているやつはさほど多くなかったと思う。丸い蝋燭はアラシカの心臓の中から出てきた石だとかいうが、俺はその石ってのが実際にあるとしたら膀胱結石かなにかだったんじゃないかとにらんでいる。人の身体から石が出てくるってのは奇跡っぽくていいんだが、シモの臓器だと格好がつかないから、もっとドラマチックで格好のつく心臓のほうにしたんだろう。どうでもいい。なんで俺が聖人の結石のことなんて考えなきゃならないんだ? もちろん真面目に掲げてる説じゃない、そんなもんが出てきたら興ざめもいいとこだ。ともあれ伝説では、この聖人は世の中がめちゃくちゃに荒れて、みんなが貧しく、一粒の麦でいがみあってピリピリしていたときの人だ。彼は教えによって民衆を混沌から救おうとしたが、残念ながら宗教で腹は膨れない。お前は俺たちにお喋り以外の何をしてくれる? なんて痛いところを突かれたものの、「わたしの心臓から石を取り、それを売ってパンを買いなさい。」と広場の真ん中に寝そべって、自分の胸を叩いてみせた。なにせ荒れてる時代の話だ、すぐに肉屋がやってきて、彼の胸を手際よく裂いて、心臓を取り出してしまった。みんな嘘つきを嗤うつもりだったが(死んだ人間を馬鹿にして何になるんだ?)心臓からは本当に宝石が出てきたものだから、人殺しどもは改心して不平不満を封印し、寂しい懐からみんなで金を出しあって広場におっ建てた教会へ、例の玉を飾ったそうだ。彼らは業つくばるのをやめて施してやるようにすらなったが、すると神のご加護かみんなどんどん豊かになった。精神的な豊かさが結局は経済的な豊かさをももたらしてくれますよ系の訓話の典型だ。俺個人の意見としては、金が先で心は後だ。クソくだらない結石説はともかく、多分聖人の心臓は血液以外空っぽだった、虚無説ってのは割と本気で唱えてもいい。みんな妙な熱狂から一気に醒めちまったに違いない、さっきまで動いて喋っていた人間の、血脂にまみれた汚ならしい死骸を見下ろして。俺も自分が蛆虫以下の屑になったみたいに──蛆虫に失礼だということは承知の上でこの表現だ──感じたものだ、地面に掘った穴にぞんざいに放り込まれた死体の山へ、燃焼剤をふりかけて火種を放り込んでやって、そいつらがきちんと灰に(無害に)なってくれるかどうかしばらく見守っている間はずっとそうだった。 待てよ、どうしてこんな思い出話を長々としゃべくってやがるんだ、俺は? そうだ、聖アラシカだ、聖アラシカの日だ。今日は聖アラシカの日で、自分によくしてくれた死人に感謝して蝋燭に火を灯す日なんだ。俺には世話になったやつがいるにはいるんだが、あのくそ野郎のせいで今日蝋燭に火を灯すべきなのかそうでないのか分からない。生きてるやつを対象にするのは縁起が悪い、それには別の日があるし、蝋燭はきれいな絵のついたやつになる。いっそ死人扱いして不慮の事故でも誘ってやろうかと思うが、あいつは生きていたいんじゃないかって考えが後ろ頭の裏っかわに貼りついて取れないから、丸い蝋燭は両親と兄貴の分になる。