ヨスタトが消えてから二年経った。俺は彼が居なくなった時の虚無感を今もはっきりと覚えている。それは例えて言うなら、苦労して塗った塗料をアセトンで拭ったような、積み上げてきたものをほんの気まぐれでまっさらにしてしまったときのあの感じに似ている。ダイニングの椅子に腰かけて何時間もぼんやりして過ごした、そうすることで二人で過ごした時間が徐々に嘘になっていくのを受け入れた。傷だらけの床に落ちる影が机の角を離れてキッチンの方へ向かうのは、ヨスタトの姿が俺の手の届く──目の届くところから消え去ったのとまったく同じことなんだと、俺は呆けた頭でひとり納得したのだった。
数ヶ月ぶりのうっかりで作りすぎたサンドイッチをぱくついていると、木漏れ日にしなやかな輪郭の影が重なった。顔を上げるまでもない、ネルシャだ。俺は律儀に食事を中断し、ひどくのろのろとしてはいるが確かに、親友へ視線を送った。こんな薄暗がりでも溌剌とした笑顔が眩しい、太陽をもろに見たときのように、瞬きのたび残像がちらつくほどだ。
「ジル、お願いごとはもう埋めた?」こいつの目は小さな身体を好奇心でいっぱいにしている雀の雛のそれだ、巣立ったばかりでまだ親をハラハラさせている。
「お願いごと? ああ、忘れてた」俺は素直に白状した。寝坊したせいで朝は余裕がなかった、二人分の朝食を用意してしまうくらいには。
「そんなことだろうと思った。はい、ジルの分」
短い礼を言って、俺はネルが差し出した物を受け取った。小麦粉を練って平たく焼いただけのシンプルなビスケットみたいなやつだ。ただし、食用じゃない。俺は初めてこれを渡されたときすぐに齧って友達連中全員に笑われた。もちろん世間知らずのニレ人のやることだ、彼らは懇切丁寧にこのビスケットの使い道を教えてくれた。これはイズカイアの風習で、焼きしめたビスケットに願い事を書いて木の根本に埋めると、その木が願い事を吸い上げて精霊まで届けてくれるんだそうだ。だから木は大事にしなきゃならない、みたいな事を滔々と語られた。みんな妙に真剣で、俺は茶化すこともせずペンを取り出して「A+」と書き込んだ。みんな声を揃えて笑った。
俺は家に帰ってから、ネルがくれたビスケットをテーブルの上に置き、それを延々眺めながらお願いごとを探した。掃除機がいいか。この家は俺には少し広すぎて、二本の腕で掃除するのがいいかげん億劫だ。あるいは鍋……取っ手がとれかけている気がする。それともシンプルに金がいいかな、こんなこと書いたら精霊も呆れて逆に家を取りあげるかもしれない。たったひとりの住人の笑い声はがらんとした部屋の中で妙に大きく反響し、俺はきまり悪くなって口をつぐんだ。静かになった部屋は何もかもいつも通りだったが、今日はそれが妙にこたえた。空っぽだ、この部屋は。正確には半分空っぽ。ひと揃いで買った椅子の埃を集めがちな向かいの半分、ペンキのはげかけた食器棚で使われずにしまいこまれている半分、あまり手入れしないせいで雑草だらけの庭の裏側半分、いまだに手をつけられずにいる寝室の半分。それから玄関では、俺以外の人間の靴が置けるスペースが半分。女々しく残されていることに気づくとやるせなくなる半分。俺は何日も牢に繋がれているような気がした、疲労感が背を這いのぼり、肩を抱いて微笑みかけた。それに応えて俺の右手はのろのろとペンを掴み、堅く焼きしめられたビスケットの上へ、ヨスタト、と書きつけた。