楽園は東、南には地獄

 ここは地獄だ、と男はひとりごち、額の汗を儀礼的に拭った。擦れあった肌はどちらも霧吹きしたように濡れていて、互いに表面の水分を押し広げるだけの無意味な行為だった。北国の乏しい光量に慣れて育った若い皮膚は、未だ南方の激烈な日照に適応できていなかった。彼にとって太陽は疲れ知らずの獄卒、うなじに熱い炎を吹きかけては贖罪を促している。あるいは年増の愛人の熟れた吐息、はじめこそ心踊らせるものの既に飽いた煩わしい愛の囁き、疎ましい情の残り香。
「俺をこんな所に置き去りにしやがって」
 男はまた額を拭った。べたついた感触が浅い傷跡からしつこく滴る血のように感じられた。三十二番! 掠れた厚みのない声が鋭く飛んだ。三十二番は男の黄緑色の作業着の背中と胸元に標識されていて、これが囲いの中で彼を示す名だった。足首の腱の横には十ミリほどの傷があり、僅かに膨れて弧を描いていた。男は無味乾燥な数字を読み上げられる度に、昔浸っていた世界のことを思い出した。足輪をつけるのだ。それには特殊な資格がいって、彼は必死に勉強してその資格を取ったばかりだった……
「何か?」
「口を開くな」比喩でない本物の獄卒は、だらりと下げられた男の両手に目をくれた。「手を止めるな」
 はいよ、と男は母国語で答えて、看守に向かってにやりとした。袖の短い制服の紺色は、赤銅色した彼女の肌によく調和していた。
「その態度も改めろ。懲罰房行きだぞ」
「悪くない。ルームサービスを頼んでいいか?」
 男はニルカ語で言い、笑った。ケロイドに覆われた顔の右半分が痙攣し、縫い合わされた瞼の下にあるものを、一層おぞましく暗示した。女看守はこの一撃で遂に彼に罰を与えることを決め、この囚人の右目が抉り出された顛末を、頭の隅から追い払った。そして懲りずに自分をからかおうとする終身刑の囚人の肩を、警棒で二回、殴りつけた。