他人のつけた傷

 ジェンチリからの留学生をこの家へ受け入れるのに葛藤がなかったわけではない。私はどうもこのところナーバスになっていて(連日のように幸福だった日々のグロテスクな模倣品を夢に見た)あまり他人の人生に責任が持てそうな状態になかった。だが割り当ての教授室でひとしきり言い訳じみた無意味なお喋りを七度繰り返し、結局はバーでの一杯と引き換えに折れることになった。学部長のリノツクは歳を感じさせない溌剌した美貌に満面の笑みを浮かべ、私の肩を叩いた。その拍子に指の間から逃げ出した万年筆の先が生徒のレポートに染みをつけ、その子の成績にも色をつけてやる羽目になった。ネルと私は三十年来の知己で、こうしてお互いに厄介事を押し付け合うのも慣れたお遊びのひとつだった。彼女は私の事ならそれで本一冊(という程中身はない、つまらないパンフレット一冊)書き上げられる程に把握していて、その中にはジェンチリという国に対して蟠る淀んだ過去と、彼女を除けば何人たりとも三時間以上は家に居座らせない頑固なルールも含まれている。改修したばかりでつやつやしたオレンジ色のドアを開け颯爽と出ていく親友の背中を見送って、私はいかにも気の滅入った風に肘をつき、親指の根で頬骨を支えた。
 顔の右側はもうすっかりかさついて薄汚い瘢痕に変わっていたが、そこを指先で撫でていると、いつか彼が触れた時の感触が生々しく思い出されるのだった。生々しいとはいえ瑞々しいとは到底形容できぬその記憶は何度も取り出して撫で回すうち角がとれ、妙にぬるついた光沢を帯びていた。ぞっとする、傷跡を慈しむ彼の手つきに同情と戯れ以外の意味を見出そうとして躍起になった結果、この素朴な幸福の肌触りを卑しい行為の伴とすることが幾度もあった。あらゆる意味で彼を忘れることができなかったのだ、捨てられた犬のように、捨てられた女のように、彼を恋しがり、残り香に縋りついて、喪失を埋めるのに見せかけ、彼を引き止めるに足りなかった自己を必死に弁護していたわけだ。私は他人を家に上げたくなかった。当時はできることなら窓も締め切りにして彼が呼吸した空気を留めておきたいと願っていたが、そうもいかなかった。貯金が残されていたのが無性に悲しかった。不義理を責めることもできずに、私は少しずつ彼のいない我が家に慣れていった。私は自分自身には寛容だったが、彼が床板につけた傷と他人が刻んだものとが混じり合うことを恐れていた。来客がある日にはきまってダイニングの隅へしゃがみこみ、数えるほどしか記憶にない派手な喧嘩でできた窪みを確認してからでないと、眠りにつくことができずにいる。不必要な回想を中断しレポートの採点に戻った私はそれから数日の間、留学生のことは頭から締め出して考えようとしなかった。
 サイザール・バル・ワハトゥアが立ちのぼる朝靄を背景に戸口で握手を求めてきた時、私は妙な感覚に襲われた。
「よろしく、サイザール君」
「バルと」
 ジェンチリ人の名が二つの姓に挟まれることは知っていた。私は書類を渡された瞬間馴染みの調子で安請け合いしたことを後悔したが、その味が喉の奥からせり上がってくる。よりにもよって彼の子ども名を使わなければならないとは。運が良ければ副姓で済んだだろうが、そもそも運が良かったら、私はまだ彼と暮らしている。ジェンチリの、特にこの新しい同居人の出身である南部では、目上の人間に主姓も副姓も使わせないのが礼儀だ。
「ではバル、狭い家だが我慢してくれ」
「よろしくお願いします、先生」
 喜劇の小道具かと思うばかでかいスーツケースを運び込むのを手伝って、私はキャスターで床に傷をつけた。長身の居候は黒髪ではあったがその色は腐葉土のような温もりある茶の系統で、柔和な曲線を描く目は目尻に向かって下がってはいたものの、ニレでは稀な一重だった。長さを持て余したような指がプラスチックの取っ手を握りしめ、追い出された血が圧迫された皮膚との間に鮮やかなコントラストを作る。こうしてできた白も私の普段の色よりは濃く、黄色みがかっている。沈黙のまま、私はスーツケースとその持ち主をベッドの脇まで連れていった。彼が使っていたものがそのままになっていた。もちろんとっくに骨組みだけになっていたが、先週、寝具として機能を果たすよう足りないものを買い揃えた。昨日までこの国に居なかった住人は手荷物をサイドボードの上に乗せ、所在なさげに中身をかき分け、音を立てないよう細心の注意を払いながらこまごまとした生活の道具を取り出している。その姿は怯え縮んでいながらも周囲の変化を鋭く警戒していて、保護されてきたばかりのノスリに似ていた。
 早くに着くということが分かっていて、私はコーヒーを沸かしていた。トーストとジャムだけの軽い朝食を用意すると、思いのほか人懐こい笑みが返ってきた。会話はない。日は南国特有のテンポでのろのろと天を泳ぎ、我々に十分なコミュニケーションの機会を与えてくれているというのに。私は取っ手の欠けた茶渋だらけのマグカップにコーヒーを注いだ。落ちる雫を好奇心に満ちた黒い目が注視している、忘れかけるがまだやっと二十代に足を乗せたばかりの学生で、おそらくこの歳の見知らぬ男と朝食を取るのは初めてだろう。私は努めて朗らかに笑いかけ、ジャムをひとさじ、コーヒーに溶いた。
「私は甘いほうが好きなんでね。何においても。だから学部長には成績のつけ方で散々小言をもらうよ、彼女からすると不真面目な態度で落第すべき連中にDをくれてやるのは間違いで、他の学問に真摯な生徒の妨げになるということらしい。君も関わることがあるかと思うが、彼女は明るく見えて厳しいぞ。ただ私は彼らを落第させる前に、一対一で話をする。だいたいはきっかけを逃していただけさ、最初つまらなそうにしていても、熱心に聞いてくれるようになる。酒と夜遊びばかりで一見救いがたく見える奴らもいるが、私はそういう子供たちの目に純粋な興味の光が宿るのが好きなんだ」
 私は言葉を切り、喉を潤した。ジャムはネルの手作りで、地味になりがちな食卓にほどよい甘さと香りを添えてくれた。バルは何も塗らずにトーストを齧り、会話を始めない口実にするかのようにゆっくりと咀嚼していた。やがて喉仏が音もなく上下し、控えめな微笑みとともに薄い唇が開かれた。
「先生、あなたは先生に向いていますね」はじめに使っていたイズカイア語ではなく、流暢なニルカ語だった。私は面食らうが、表情には出さない。喜ばしいことだ、州立大には優秀な生徒が増えた。「僕をおいてくださってありがとうございます」
「気にするな、どうせ私一人で寂しく暮らしているだけだからね。賑やかになっていい。それよりも、ニルカ語はどこで?」
 後半は私も懐かしい母国語を使った。切り替えはたどたどしく無様だった。一音一音はっきりと発音するニレの言葉は聞くにしても話すにしても懐かしく、自分で認識していたよりずっと激しい故郷への愛を自覚させる。今までは同郷の人間と話すときでさえ、あえて母語は使わなかった。ニレ人なら相手も私に何があったかわきまえている、こちらから説明せずとも私の派手な傷痕に視線を走らせ、人によっては間に通訳を立てる配慮さえしてくれた。しかし、ジェンチリ人でこれほど美しいニルカ語を操る人間にお目にかかったことはない。両国の軋轢も今や過去のこと、単に発音の問題だ。彼らが普段使いする優雅な言語に特有の、曖昧な音が混じりすぎる。
「隣人がニレ人で。昔から言葉はすぐ覚えました、今は七カ国できます。会話だけならもう少し」
 私を上目遣いに伺う瞳はほとんど真っ黒で、わずかに赤みが差している。得意がる様子はなく、むしろ私の機嫌を損ねてはいないか心配しているようだった。私は短い賛辞で安心させ、話題を膨らませる。
「そっちの方面に進む気はなかったのかい」
「いいえ。考えたことはありますが、僕は彼らの言葉が知りたくなったんです。鳥たちの。僕をそう例えた人も居ました、周りの人のさえずりをすぐに覚えてしまうから。そういえば、先生のお名前にも鳥が居ますよね。雛のほうもハヤブサですか?」
 私たちは声を合わせて小さく笑った。隣人がニレの人間なら知っているのだろう、子ども名に絡めたジョークは親密さの証だ。出来はそれほど良くないが、会ったばかりならこのくらいのほうが礼儀正しい。私は自分の研究について話してやりながら、少ない朝餉を時間をかけて片付けた。熱心な眼差しでそれを聞いていた生徒は、皿洗いを申し出て家主を椅子の上に押し留め、頑なに譲らなかった。こう見えて頑固なところがある。私は昔の自分と、呆れながらも折れてくれていた男のことを思い出した。シンクの前に立つ他人の背中にどうしても彼を重ねたがっている、愚かな恋心を落ち着かせる。これでは先が思いやられる、もっと前に息の根を止めておくべきだったというのに、放っておき、手のつけようもない程増長させてしまった。ゆっくり過ごしたわりに時計の針はさほど回らず、私は今日の予定に悩みそうだった。まだ午前が四時間は余っている。弟子と話し込むのも悪くはなさそうだが、明日から話すことがなくなっても困る。丁度いい答えを求めてさまよわせた視線が良いヒントをとらえた。数年前ネルや同僚たちと撮った写真だ。日の当たる場所に置いておいたせいでやや褪せ気味の青空を背に、弾ける笑顔が並んでいる。私はその真ん中でやや乗りの悪さを発揮していた。
「大学を案内しようか。明日からは忙しくなる」
 水音が止み、黒髪の男が振り返った。私は凪いだ心に懐かしいさざ波が立つのを感じ、頬のひとつも叩きたくなった。今日は休みたいというのなら別だが、と付け加え、天板の木目を指でなぞる。若い学生は置いてあったタオルでもぞもぞと手を拭った。まるでそうすることが咎められると思い込んでいるように。気を使いすぎているな、と私は内心肩をすくめた。やけに緩慢な瞬きのあと、礼儀正しいジェンチリ人はイズカイア語でこう答えを返した。
「お願いします、先生」
「わかった、支度は最低限でいい、ドレスコードはないからね」
 そうと決まれば善は急げと席を立つ。ジェンチリからの留学生をこの家へ受け入れるのに葛藤がなかったわけではない。私はどうもこのところナーバスになっていて(連日のように幸福だった日々のグロテスクな模倣品を夢に見た)あまり他人の人生に責任が持てそうな状態になかった。しかしまあこちらが気負わずとも、この生徒は自分で自分の責任を取れそうな人間だった。環境を変えてみるのも悪くない。私は車のキーを取り出しながら、無責任にそう思っていた。