マグカップ

「もう見えないんだ」
 俺は俯いていた。どうせぼやけてるヨスタトの顔だが、少しでも暗い影が落ちるのを目に入れたくなかったからだ。乳色の濁りの中、両手の皺がうっすらと浮かんでは沈む。
「いつから」
「何日も前だよ。大丈夫さ、俺はあんたがいなくてもやってけるよ。杖もある。こいつで足元を探るんだ」
「本当か?」
「本当だよ。今からやってみせるか?俺はこう見えて勘がいい」
 思ったより冷静な声色に安心して、俺は少し微笑んでみた。顔を上げて。調子に乗るべきじゃなかった、ぼやけているどころではないヨスタトを見た途端、激しい後悔が襲ってきた。離れて暮らすようになって半年経つが、その間どうして一度も会わなかったんだろう。あの灰色が見たくてたまらない。無意味な瞬きは彼をうろたえさせたようだった。影法師がミルクの底で揺れる。木枯らしが窓を叩いた。寒いところで暮らすのは気が進まないくせに同じ町で部屋を借りている、お人好しだか嫌みなんだか分からない男、俺を心配しているのか憐れんでるのかも分からない奴、何か言ってくれれば楽に呼吸できるのに。
「それにまだ耳はいいからさ。なんとかやっていけるよ。なあ、やってけるよ」俺はかがみこむ彼の輪郭を追った。「あんたのこといらないって言ったら怒るか? 俺、もう他人に執着したくないんだよ……」