逃避行

 一緒に逃げないか。そう言われたあの駅のプラットホームだろう、俺がヨスタトを上司だとか友人だとか家族って分類でなくただヨスタトとして他と切り分けはじめたのは。こいつは俺を置いていかない、だから嬉しくなって有頂天で着いていったのだ、鴨の雛が親と認めた生き物にどこまでも着いていくように。彼が行くならこの世の果てへでも行けた。現実にはこの世に果てはなく、俺は結局間の抜けた南の暑気に取り残されてかきなれない汗を肌の上にべたべた張りつけていた。ヨスタトは旅に出たらしい。どこへ? 分からない。だがいまにきっと分かる日が来る。
「幸いがあなたの額に降りますように」
 大小さまざまな輪に彩られた指が、俺の額をそっと払った。「あなたにも同じものを」と返し相手の額に触れると、濃いチョコレート色の両頬に彫りこまれた刺青の魚が生き生きと身をくねらせる。剃りあげたこめかみの皮膚に動きはないが、不思議とそこに飛ぶサイチョウが羽ばたいたようにも見えた。天幕の布地が透かす光には独特の紫が染め出され、否が応にも神秘的な雰囲気をこの空間に与えている。香の煙も細く漂って、あぐらをかいて向かい合う俺たちに丸く囲いをする。俺が二三質問すると彼女は残念そうに首を横に振り、見事な金細工の耳飾りの先がむきだしの肩の上を滑った。深紅の石の嵌まったそのパーツを無意識のうちに数える。これはコミュニティ内での身分を表していて、若い彼女は驚くほど貴い存在だということに改めて気づく。彼女は占い師だ、それもとびきり優秀な。
「その人はあなたに会わない」
「だから探してる」
「いいえ。あなたは探さないでしょう。他の人が探すようには。あなたはその人に会わない。会えば置いていかれたことになる」ふっくらとした唇はなおも穏やかな調子で、あまり嬉しくない俺の本心を紡ぎつづけた。「それでも本当は置いていかれるのがあなたの幸せだった。けれどそれを受けとればあなたは彼を忘れる、だからあなたは追い続けることを選ぶんだ、いつかを夢みながらね」
「それで」俺は苛立ちから催促するのではないことを示すために、小さな笑いをひとつ添えた。「彼はどこに?」
 彼女も笑った。年相応に幼い笑顔だった。
「ハウドロへ戻りなさい。そこから舟でシニカへ。鉄道で西へ。あなたが乗るべき列車はすぐに分かります、しるべはどの道においても同じ」
 俺は座ったまま深々と体を折った。占い師は立ち上がり、俺の左肩に足を乗せ、下ろした。手と同じように足輪がこれを彩り、小指は霊的なしるしのために切り取られていた。