「咎めるつもりではないんだが」わたしの右耳に、遠慮がちな声が響いた。「なんというか、好きなのだね」
わたしはそれまで顔をうずめていた黒髪から離れ、声の主を覗う。人によっては冷淡とさえ評する鋭く端整な面立ちは、やや戸惑った様子で、曖昧な笑みに彩られていた。こういう顔をするときはきまって、歯のぎざぎざした幼稚な男が彼を煩わせているのだった。
「もちろん」
幼稚なわたしが歯を見せて笑うと、彼の視線は驚くほど素直にそれをなぞる。この視線は心を浮き立たせもしたし、餓えた獣に餌をやりもした。
「ロス、きみはいい匂いがする。前に言ったかもしれないが、きみと居ると信心深くなる。おお、夜のうちに天使が香でも焚きしめているんだろうか? きみはもう長いこと教会には足を踏み入れていない筈だが(ところで……入れるのか? 一度試してみるべきだ)、きみの魂の深いところから、盗人、詐欺師、婬売、奴隷商、高利貸し、親殺し、そういう罪深い連中の心も慰めるような……甘い郷愁が香っている。誰にでも故郷はあるものだ」
彼はどこか憂鬱そうに目を伏せた。覆う瞼がおいしそうだ。「嫌なら止そう。家の者もいい顔はしない。いや、いい顔はするだろうな。ただし主人を馬鹿にしている顔だ、わたしはどうしようもない野良犬かなにかで、彼らのお気に入りの若君を困らせている場面がおかしくて仕方ないようだから」
「構わない。わたしのすべてはきみの物だ」
油断しているとこれだ。わたしは途方に暮れてしまった、陳腐な愛の囁きも、品のないくすぐりも、このやさしさの返事としてはあまりに不適切だった。なら犬は犬らしく。わたしはあの夜の一番はじめにしてやったように、彼の首筋を舐めあげて、軽く耳を噛んだ。彼は笑った。懐かしくいい匂いがする。わたしの故郷はきみなのだ、かつて祖父の枕元がわたしの居場所で、いまはきみの隣になった。