「やはりわたしには必要ないよ。外に出るわけでもないし、きみが家に人を呼ぶときには書斎にいるわけだし……」
「きみにいつまでもぼろを着せていては、わたしの沽券に関わる。この間だって新しい奴隷だなどと……面倒をかけさせないでくれ。ああいう礼儀知らずに躾をいれてやるのも疲れるんだぞ」
「そうは言っても」
仕立て屋が体を触るたび、きみはくすぐったがっているようだった。この男の清貧ぶったお下がりのシャツ(彼はわたしが着なくなったものや使用人から譲り受けたものを好んで身につけていた)をどうにか剥ぎ取ってまともな身なりをさせてやりたいと思いはじめたのは、遡ること一ヶ月、わたしの友人のかなりましな部類のひとりが、こう漏らしたからだった。「あの子、見違えるでしょうねえ」
あの子とはもちろん彼のことで、この友人は厩をうろうろしている時に会い、二言三言言葉を交わしたらしかった。
「ぱっと見貧相だけど、育ちのいいのはちょっと眺めてればよおく分かったわ。あなた、贅沢三昧のわりにお金の使い道を知らないみたいね。ひとそろい拵えてあげればいいじゃない、綺麗なのを」
わたしはふむふむと顎をさすっただけでその場は流したが、考えるに彼女は正しい、気品があって優雅な彼に相応の身なりをさせたら、さぞや美しいことだろう。香水など振ってやらずとも彼はこの上なくいい匂いがしたし(これはわたしの青毛も同意見のようだ)、もともとはまっとうな貴族の家で教育されていたわけで、高貴な装いが似合うのはまあ間違いなかろうと思われた。歯の根がうずうずした。だが、問題は当の本人がそうした金の使い道に全く興味がないことで、きみにおめかししてほしい、などとなだめすかして頼んでみても首を縦には振らないだろう、となれば勝手にやるよりほかない。わたしはまったく突然に仕立て屋を連れてきて、孤独慣れした司祭が狼狽えているうちに、採寸をさせることにしたのだった。
「お披露目は身内でやろうじゃないか、一曲踊るのもいい。ワルツでもポルカでも、なんならもっとめちゃくちゃでもいい、この屋敷を酒場にしよう」
「だったら今のままでも構わないだろう」
「やはりワルツにしよう。習ったんだろう、たまには昔を思い出せ」
彼は渋い顔をした。祝福されていた頃の話は、まだこの男に痛みを与えるようだった。くだらない。奪い取られた日々、それがどれほど幸福で切なかろうと知ったことか。きみはすべてをくれると確かに言ったが、昔の話はしたがらない。わたしは彼の過去も残らず欲しい。
「ロス、別に貴族連中の仲間入りをしろと命令している訳じゃない、お遊びに付き合ってくれというだけだ。衣装のようなものさ、サーカスでは皆が着飾る……きみはこのわたしばかり道化にしておきたいのか?」
溜息が聞こえる。ゆっくりとかぶりを振った彼は、わたしの我儘を寛大な心で受け入れるときには決まって浮かべる穏やかな微笑をこちらに向けて、囁くようにこう告げた。
「分かった。ただしこれ一着きりだよ」
「もちろん。次はドレスを、とはいわないさ」
「きみならやりかねない。後でこっそりマントを注文しておこう、日が出ていてもすぐ逃げ出せるようにね」
わたしたちは笑いあった。仕立て屋はこの奇妙なやりとりを、職人らしく我関せずと聞き流していた。