夜はお静かに

 わたしがなかなか寝つかないので、きみは子守唄をあきらめたようだった。眠れないのかい? ああ。短いやり取りで何もかも了解したこの慈悲深い聖者は、指の足りないわたしの左手を引いて部屋を移った。われわれは秘密の回廊を進む幼い兄弟のようだった、星明かりがぼんやりと照らす静寂のなか、輪郭の不確かな影が追いかける。光源が変わるたび散っては集まる無邪気な暗がり。明かりの落ちた屋敷はどことなく眠たげに秘密を抱え込んでいる様子だった、誰も彼も仕事を終えて床についているのに、不埒な主人とその友は、忍び笑いをこらえきれずに声をたてながら、小走りでうろつきまわっているのだ。だが行く先は決まっていた、扉を開けた先でまどろみから揺り起こされたのは客人を返したあとの広間であり、眠りを妨げられた祖父の肖像画は今にも大あくびして目をこすりだしそうだった。
「ワルツを?」
「ポルカを。ジョゼフから習った」
 それでは、とわたしが用意した伴奏は陽気な二拍子で奔放に転げまわり、きみの肩を震わせた。言うまでもなくこの笑顔は無垢で──この表現は侮辱と紙一重だがこう言うよりほかにない──かわいらしく、見る者に幸福をもたらした。だからいくら笑われたところで、歌を練習する気にはなれない。飲み込みの早い彼のこと、ステップは厩を出たばかりの子馬が跳ねるよう、かつ相手を振り回すこともなく朗らかに床を叩く。楽しげなきみの後ろで、立派な装いに身を包む祖父がうるさそうに眉を寄せている、この老人は画家にしかめ面しか向けなかった。
「疲れた」
 わたしが急に足を止めると、すっかり興の乗ったきみの体はそのまま踊りを続けたそうにした。その勢いをうまく使って回り込むように体勢を変える、わたしの小細工できみは大きく背を反らし、苦しそうに呻き声をあげた。
「次はタンゴにしよう。きっと楽しい」
 運動不足の若い読書家は苦労して身を起こした。「準備くらいさせてくれ」
「なら音楽も頼む。わたしのでは喜劇だ」
 この話題はいつでも君の表情を緩ませる。わたしはまだ眠らない。時計の針は軽快にめぐり、きみはものうい夜をのこらず食べてしまった。