彼を寝かしつけてしまってから、ひとりの時間を少しばかり楽しむというのがわたしの日頃の決まりだが、時折このひとりの時間というのがひどく胸につかえることがある。そうするとわたしは彼の姿を探すことになるのだが、必要な時に限ってあの奔放な子供は寝床から姿を消して、邸内をうろつきまわっているのだった。わたしは屋敷の主人を探して歩き、扉の前で耳をすませ、絨毯の毛の流れに、覆いの隙間から差し入る月影に、軽やかな足取りの痕跡を辿っていく。そして必ず最後には暖炉の傍の安楽椅子でくつろいでいる彼や、食卓の端に行儀よく腰を落ち着けている彼、庭園を臨むバルコニーに憩う彼や、オルガンの蓋になにやら指で書きつけている彼などを見つけることができるのだ。今日の終点は彼の祖父の肖像画のある部屋で、わたしと同等に質素な装いながらなお艶麗なこの貴族は、額の内で威厳を放つ老人そっくりのしかめつらを試しているところだった。横顔は神話の英雄をかたちどる彫像そのもので、月光の溶け込んだ淡い灰青の夜気の中、このうえなく美しく見えた。
「アーサー、こんな所に」わたしは安堵のために笑み、足並みは気の抜けたように緩やかになった。「きみを探した」
わたしの声に(声と、他のあらゆるわたしの存在を知らしめる要素に)彼は振り返り、親愛の情はその面に顕然と示された。そしてわたしと彼は、この世のはじまりからそう定められているが如くに相擁し、手さぐりで命を暖めあった。
「ひとりぼっちのかわいい子リス、また夜に脅かされたのか。だがきみは昼をやしない親とした夜の子、そう不安がることもないだろうに」
「きみに隠し事はできないね。わたしはたまにわけもなく怖いんだ、何が怖いのかも分からない。ただ、怖いんだ」
指の足りない手のひらがわたしの頭を撫でる、慈愛に満ちたやり方で。わたしはわずかに身を離し、やさしい友の色ちがいの瞳を覗きこんだ。はじめに清らかな青を、それから甘いはしばみ色を。それから慈しみを返すため、彼のなめらかな頬の上に二度接吻した。一度目に呼び起こされた夜が、二度目に戒められる。本当はこの怖れの根差す土の香を知っているのだ、葬った我が身の流した苦い涙の混ざりこむ墓土の香……。
「アーサー」
「ロス、歌ってくれないか。今夜はもう沢山というのなら、わたしが歌ってもいいが……」
いたずらっ気に唆されて、わたしは朗らかに怖れを退ける。くすくす笑いを漏らす不真面目な司祭を抱いた彼、笑みから覗く獣の歯はいつだってわたしの心を和らげた。口ずさむのはあの夜彼に捧げたものと同じ、ただわれわれの血は互いのために流された……
その昔アンデールと呼びならわされた地の丘に、古い屋敷が建っている。これは人喰いの伝説の中に生きたある男爵の邸宅で、20世紀初頭まで彼とその化け物じみた使用人が暮らしていたというが、突如としてこの一団は歴史から姿を消し、どの記録の上でも消息を認めることができなくなっている。土地の者は黙して語らず、いくらか離れた村の住人の伝えるところによると、血生臭い殺戮が行われたのだとか、黒魔術の失敗によるとか、みな本物の化け物で地獄へ帰ったのだとか、眉唾の怪奇譚じみた話がいくらでも掘り出せるが、真実は杳として知れない。この男爵の弟にあたる人物、男爵の住まいに程近いもうひとつの屋敷で生活していたという侯爵の子孫は後の世まで足跡を辿ることができるものの、跡取りの孫息子はノルマンディーで戦死しており、彼と妻との間には子供が居なかったため、恐らく最も信用に足る証言者となっていただろう人物はこの世に存在していない(妻は1962年に結核で死亡している)。彼らのほうの屋敷は80年代に取り壊され今は更地になっているというのに、離れて建つ男爵の屋敷が廃墟となって以降も残されているのは、これがとり憑かれた館であるからに他ならない。この地域の人間なら食人鬼の伝説以上によく親しんでいる怪談のあらましはごく単純で、夜が更けてから屋敷の周りを通りかかると、中から歌が聞こえてくるのだという。興味深いのはその歌がごく穏やかな男声で、かつ曲目も讃美歌や他愛のない唱歌であるために、しばしばこの幽霊は人を脅かすというよりも、物悲しさやあわれみを呼び起こす類の幽霊話として語られている。屋敷の現在の持ち主は男爵の姪の息子だという老人だが、内部を探索したいとの申し出は彼をそっとしておいてやりたい、という理由から拒否された。この屋敷が現在の形で放置されているのも同様の理由による。