「 」
男は聾になった側の耳を傾けてやった。顔をそむけたかたちになる。盲た左目は礼儀をわきまえて話し相手のほうに向いたが、視線は狙いを外して通り過ぎ、何もない壁にぶつかっていた。「悪いが今日はもう何も聞こえないな」
「ふざけないでくれ」
まともな方の耳は、その形のいい唇が紡ぎ出す言葉を聞いている。彼は怒っていた。カチカチカチ。返事の代わりにわざとらしく歯を鳴らしてみせる、それに、組んだ脚の先も気だるく揺らす。募る苛立ちが手に取るように分かった。そそる香りだ、男は空腹を覚えた。怒れる小鹿が再び問いつめようとする(あるいは責めたてる)気配がした。遮って告げる。
「わたしはこれ以上きみの戯言など聞いていたくないと言っている」
右目からは鼻梁に邪魔されてよく見えないが、彼の減らず口は閉じたことだろう。などと男は満足した。漂ってくる苛立ちが困惑に変わり、やがて渦をまくように溶け合って静かになった。上着の裾が翻り、侮辱を受けた友人は、来たときよりもずっと穏やかな足取りで部屋を後にした。
律儀な彼は毎夜男の寝床を訪い、不愉快な夢ばかり拾おうとする病んだ眠りを和らげる。"壁蝨に噛まれているような気分だ。口づけとともに一匹ずつ置いていく、それはわたしの皮膚の薄いところまで這っていって、具合の良さそうな位置に腰を据えるのだ。わたしは終いにすっかり血の気を失って、やがて死の床できみに罪の告白でもするんだろう。この喩えにひとつ間違いがあるとすれば、わたしは吸いとられているのではなく、注がれているのだ、きみの清い血を。"
籠に残された虫けらは、誤った色で彩られた瞳を恥じるように目を閉じた。恥。男は足りない指を恥じ、獣じみた歯牙を恥じ、装った重い香を恥じ、生まれ持つ取るに足りない力を恥じた、そして恥じるに値する程度にはうすぎたなかった。彼の歌をもう二度と聞きたくない。胸の内で繰り返す。彼の歌など。ふと義眼のことを考え、魔法使いの血の搾り滓は顔を覆って笑った。