回想

 幸せだった。恐らくこの世の誰よりも。きみは傍らで歌い、わたしはそれに合わせてハミングした。調子外れの音楽が、われわれ二人を微笑ませた。互いの命が温めた肌のぬくもり、ほんの指先ほどの面積ですべてを表現してみせた瞳の色どり、記憶の籠を揺らす平和の香、時折とめどなく流れ、肩を濡らした雪解水。なにもかも彼方に消え去っていく。忘れ得ぬと信じるものさえ抱いたまま時は足早に姿をくらまし、後に残ったのはただ何となく幸福だったという印象だけ。最後にさよならを言うのを忘れた、彼にさよならを言うのを。