おしまい

 許されないことがしたくなった。いつものように枕元に腰かけ歌おうとする彼に、底意地の悪いことがしたくなった。わたしはふだん通りの眠りを受けとる気がないことを目で伝え(時が来るまでに閉じているべきもの)、彼の見ている前で襟を開き、不健康な首元をあらわにした。闇はほとんどすべての色を奪うのに、きみの瞳は鮮やかで美しかった。近頃まったく言うことをきかない手が、久しぶりに意味のあることを成したらしい。
「なぜ」
 短い問いはより多くの問いを含んでいる。この甘美な香りは苦痛、それからより軽く甘酸っぱい当惑の匂いは、食欲のない一日を過ごして空いた腹をくすぐった。今度から食事の時は彼を困らせるような一言を用意しようか。そうやって返事もせずにとりとめもない考えばかりこねくりまわすわたしに、もう一度、なぜ、が降る。わたしは不意に泣きたくなった。平衡を失った心とは裏腹に、唇はとっておきの曲線を捧げる。柔らかく、親しみ深く、穏やかに。
「きみといきたい」
 哀れな怪物モンストロシティの顔は悩ましく歪んだ。苦痛は一層濃く漂って、庭の薔薇が一斉にひらいたようだった。いつまでも楽しんでいたくなる、こんな風に眉を寄せ、こんな風に瞼を下ろし、こんな風に息をつく、猫の毛のような髪が額や耳もとに落ちかかるありさま、かたく握られて益々白くなるらしい指先、初めてきみを見たあの日と変わらずに綺麗だった。きみはいつも綺麗だ。静かに首を振り、拒むときも。
 無防備な手首を掴むと、さすがの彼も面食らったらしい。当然だ、臥所で死神と親しんでいる男が、脈絡もなくこんな風に狼藉を働いてみせるとは。ともあれわたしは痛む腕に鞭打って、この繊細なつくりの手指を、痩せて萎れた喉の上に置いた。もう一度彼の瞳を覗きこめば、わたしが何を考えてこんな真似をしでかしたのか、察しのいいきみになら明確に伝わるはずだった。
 きみはわたしを永らえさせてはくれない。ならばわたしを送り出してくれ、きみの手で。この小舟のへりを押してくれたのがきみならば、どんな暗雲たちこめる空の下、はるけき海原の彼方へ流されてゆくとて恐れはしない。謙虚で慎ましい司祭よ、どうか船出を祝福しておくれ、その手のひらで。最後まできみの温もりを感じていたいのだ、わたしは弱く、救いがたいほどに我儘で幼かった。きみが与えてくれるものならば死でさえ甘く心地よい。きみはすべてをくれると言ったが、いまはただほんの僅かな慈悲をかけてくれるだけでいい、痛め付けられたわたしの骨は、そのささやかな愛の重みだけで、もろく砕けてしまうはずだから。
 だがきみはたやすく枷を逃れ出てしまった。それからおずおずと手を伸ばし、わたしの額にかかる髪のふさをこの上なく慎重によけた、ひびだらけの硝子細工を扱うように。それから風通しのよくなったそこに、うずくまるようにして口づけた。その感触は、いたわりとやさしさを残す。患い人は観念して目を閉じる。無数の光が閃いていた。くらやみと、ひかり。そうだ、わたしはきみにもう一度弔いをさせるのだ。この冷酷な仕打ちこそ、きみを苦悩させるに違いない。わたしは許されないことをする。
 馥郁たる憂苦が香り、子守歌は始まりの一語が震えた。