不条理

 わたしは水桶の縁にとりついて荒い息をする彼の後ろ頭の髪をわし掴み、再び中の水に浸けた。松明の揺れとともに明暗は入れ替わり、藁くずと馬の唾液とで汚れたその場所で、彼は敬愛してやまない父あるいは息子ないし聖霊、過去の過ちを取り繕うように列聖された殉教者たち、もしくは少なくともそれに準ずる尊い何者かと霊的な交歓を果たせる筈だった。それはこの愚かな司祭がその汚れなき胸中に抱く渇望であって、実際はより下らない場面だった。彼は同種のお遊びに誰もが添えずにはいられない意識的抵抗は示さず、ただ動物がわが身を守ろうとする反射的な筋肉の緊張だけがわたしの手をささやかに煩わすのだった。彼の心臓の音が出来損ないの秒針さながらに急いたのを合図にして、掴んだ頭を持ち上げてやると、哀れこの小さな獣は青毛の食べ滓を頬や額に散らし、萎えた両の手は桶の縁に憩うまま、面を流れ落ちる滴を拭うこともできずにいた。こうなってなお墓石を見張る天使のごとく美しい彼の横顔にわたしはしばらく見惚れ、その薄い唇に隠された幼い牙のことを思った。小さな獣! どっこい、見かけによらず狂暴ですぜ旦那、なめてかかっちゃ手を食いちぎられちまう……
「わたしの過去の客人たちはこうしてちょっとした危機を処方してやると、天の国は近づけりだ、すぐに大事なことを思い出したものだが……きみはどうだ? イザベッラを忘れたとは言わせないぞ、あの晩彼女ときみはお楽しみだったようだからな」
「分からない、アーサー、きみもよく承知しているだろう。わたしきみのお客には会わない」彼はたどたどしく言った。「何があったかも知らない」
「何があったか? おお、この咎人は無垢と善良の徒の生皮をかぶって本性を忘れたらしい! ロス・イリングワースだった亡霊よ、おまえは罪のない女の喉を裂いてその血をもって穢れた魂を潤したのだ。あれは起き上がりの死体となっていまは地下で鎖に繋がれている。可憐で美しい従者がきみの好みなようだ、だがあの娘は朝を待たずに首をはねることになっている。伝統に則って心臓に杭を打ち、故郷から遠く隔たったこの領地の森に埋葬する」
 力の抜けた彼の体を厩の床に放ると、藁の上にうずくまる彼は母馬から産み落とされたばかりの嬰児のようだった。わたしは円卓に連なる騎士のごとくその傍らに跪き頭を垂れた。それから光を避ける彼の胸ぐらを掴んで起こし、目元にかかる髪を避け、汚れた顔を優しく拭ってやった。うすく開かれた瞼の隙間で青い瞳が貴石の煌めきを宿し、相対する敵、このわたしを脅かそうとした。
「ロス」わたしは指の足りないほうの手の平で彼の頬を撫でた。幸福が胸をつく。「なぜわたしを選んでくれなかった」彼が何か言いかけるのを遮って続ける。「わたしであれば赦されたものを。だがわたしとて無実とはいえまい、きみを閉じ込めておくのに彼女の手を借りようなどと……どうだ? 自分が何者か思い出せたか?」
「どうしてわたしに思い出させようとする。敵を殺すより友を殺すほうが容易いのに」手の平に微かな震えが伝わる。「こんな……」
「わたしに友を殺させる気か! こういうやり方はむしろわたし自身のためだったさ。おまえを弱らせるのと同じくらい、自分に諦めさせる必要があった」
 彼はぐったりとしてはいたが、その身に満ちている力は我々のようなものを束にしたところで足元にも及ばないものだった。わたしが鞘から抜き放った銀のナイフを見ても、彼は静かに死を受け入れる様子だった。ここまでの無意味な演出は全て、彼に抵抗してほしかったのではないかという思いが、傷口から溢れ出した血の温さとともにわたしの手にまとわりついた。