兄の話

 兄は私のてのひらを知っている。あれがどの季節に行われたか、何がそれを導き、どのように終わったのかも曖昧だった、幼い日の記憶は蝋石のごとく容易に磨耗して凹凸を失っていたが、兄の姿を刻んだレリーフは尖鋭な輪郭を保ち、触れるたび痛みを呼びさました。
「おまえもぼくが欲しいかい?」
 まだ光を透かせば黄金に染まる兄の髪が、私の頬をそっと撫でた。毛足の短い絨毯に縫いとめられた私の手首には、つり合いのたしかな人形の手が乗っていた。ただし造り手は過ちを犯したようで、左は大きく欠けていて、失敗に自棄を起こして継いだような短い指が、へりの部分に一本、添えられていた。片方だけ不適切な部品を嵌め込まれた兄の目は、おぞましいほどに父に似、祖父に似、また私にも似ていた。全体の造形は絵画においてのみ見出だせる天使のそれに近かったが、私の膝小僧を震えさせるには十分すぎるほど、獲物を組み敷き舌の根まで晒け出す、捕食者の喜悦に満たされていた。
「いらない」
 私はこう答えた。兄の微笑は獣に一歩近づいた。並んだ牙は私の呼気に触れてさざめくようだった、狐の飢餓の前にあって、鶏の拒絶は儚い。
「そうか」
 重なっていた手が私のてのひらに這い上がった、折り畳まれて萎縮した指の間に彼のものが割って入り、そのまま握りこむ。抱かせた印象を裏切らず冷たい兄の手は、他者の体温に身悶えした。それがいつぞや不幸にも目にしてしまった両親の情事のようで、私は怯えた。
「おまえは柔らかいね」
 兄は私の上にかがみこみ、頬に口づけをひとつ落とした。それは温度を伴わなかったが、焼き印のように魂を爛れさせ、私の皮膚は永遠に醜くひきつれたままになった。滲んだ手のひらの汗は、擦れ合う皮膚に染み込んで同様の傷を与えたことだろう。あれ以来、兄が私に触れたことはない。