もうそろ年の瀬で、僕は駆け込むようにしてミーティングに参加した。もちろんこれは僕の大好きな敏腕カウンセラーの勧め。彼が居なくてどうしたらいいか分からない、という感情を、共有できる相手がこの広い街には常時だいたい十人くらい居て、定期的に集まって苦しい胸の内を吐露しているんだそうだ。僕は彼のマフラーを巻いて家を出てきた、まだ毛糸の隙間に二ヶ月前の幸せな一日が染み付いている。こじんまりしたビルの掲示板には妙に優雅なフォントでお目当てのグループの名前が書いてあって、間違えようもなく僕は会場までたどり着いた。お決まりの光景だ、レクリエーション的な輪っかを作って椅子が並び、その上にそれぞれ一人ずつ、大事な人を失った人間が乗っていた。彼らの表情は思ったより明るくて、扉が開いたのに気づくと僕を出迎えるためのとっておきの笑顔がはじけた。いい集まりだ。辛気臭い空気で満ちていたら、それこそコカインでも買ってこないといけないところだった(数ある冗談の中でも最悪の部類)。
「こんにちは」
こんにちは、こんにちは、と親しげな挨拶があちこちから投げ込まれ、僕の両腕はいっぱいになった。自分の席につくのと同時にネームプレートが手渡される。それをぶら下げているとどこかのIT企業の社員になったみたいで、ワイシャツで腕まくりしたくなる。隣から一人ずつ見ていくと、ポールとかジムとかケリーとかガーネットとかファーティマとかオスカーとか、僕より若い子からおばあさんまで、それに服装もボロボロのスニーカーからハイブランドのジャケットまで、まあ色々だった。当然だ、死っていうのはこの世のどんな活動家より平等で、人種も年齢も社会階層も関係なく奪い取っていく、その人の明日を。
控えめな世間話で時間を潰していると、何人かの遅刻者を待ってミーティングが始まった。自己紹介はしない、お互いに知っているのは名前だけ、プライバシーってやつだ。これから皆の一番プライベートな部分を告白しあうのだから、他の要素はうっちゃっておいても問題ないわけ。司会役の女性がこの会の意義とか理念とか、あと新入りが何人か居ることを告げて(僕は片手を少し上げた)、集まった皆の衆をゆっくりと見回した。話したそうな人間を探しているんだ。僕は目をそらした。
「話しても?」
口火を切ったのは大きな黒い目が印象的な、えーと、ファーティマだった。もちろん、というコールに僕も参加する。
「私の息子は病気でした」
そこから始まったのは悲哀に満ちた物語だった。夢も希望もあるお母さん思いの男の子が突然の病で倒れ長い入院生活に入ったこと、外で遊びたいと泣いていたこと、それでも最期には笑いながら死んでいったこと……
「あの子は私を心配していたんです。自分のほうが何倍も苦しいのに、私が寂しくなるだろうって」
彼女の悲しみはまだその長い睫毛を越えてはいなかった。でも、僕の心にはチクチク染みだした。涙もろいんだよな。
「どうしたらいいのか分からないの。ずっとあの子の世話をするので忙しくて、夫とお金のことで何度も喧嘩して、毎晩泣いていたのに──急になにもすることがなくなってしまった」
とうとう孤独な母親の頬は濡れた。僕は周りの誰もがそうしたように、彼女とそっくり同じ、胸が痛むのをごまかすような笑顔で小さく頷いた。みんなよく分かっていた、これはみんなにお馴染みの悩みだ、急に死なれると暇になる。嗚咽で喉をつまらせたファーティマの背中をさすりながら、彼女の隣の……ケリーが僕に目を向ける。勇気を出して息子の話をしてくれた女性への賛辞を挟んで、ラファエル、どうぞ。が飛んでくる。もう少し様子を見て話を組み立てたかったけど、いいとも、僕の大好きだったクリスの話をしよう。その為に来たんだからね。
「あー、僕のこと知ってる人も居るかもしれないけど……居ないかな? それも困るな」善良な仲間たちは笑ってくれた。「ありがとう。僕の大事な人が何ヶ月か前に事故に遭って、あっさり逝っちゃったんだ。みんな悲しがってたけど僕はそうでもなかった、それどころかできるだけ笑顔でいて彼のほかの友だちを元気づけようとしたよ、僕、みんながなんであんなに辛そうにするのか分からなかった……」分からなかった。一番嘆くべき人間だって自覚はあったけど、どうも気分がのらなかったんだ、それも言い添えておく。ポールが禿げあがった頭を激しく上下させた。わかる、わかるよ。「でもついこの間ふたりで住んでた部屋に帰って、サボテンが……」おちゃらけた台詞に涙が混じった。これじゃ撮り直しだ。「サボテンが花をつけてたんだ。それを彼に言おうとして、彼が居ないのに気づいた。今ここにあるマフラーも彼のだし、家中彼だらけなのに、居ないんだ。どんなにご馳走を用意して待ってても帰ってこない。明日になっても、明後日になっても。来年は彼無しで過ごさなきゃいけない。その次も。永遠にそうなんだ。僕もすることがなくて困ってるよ。仕事はあるけど、もう僕は彼のために冗談を用意しなくてもいい」これは間違いなく、床に水たまりができてるな。「それがすごく辛い」
ポールとかジムとかケリーとかガーネットとかファーティマとかオスカーとかが、真剣な思いやりを僕に向けていた。彼らは僕だった。生活の中に突然できた穴ぼこが大きすぎて、どこへも行けなくなって参ってる。僕は辛いついでにクリスのことを沢山話した、マニアが喜びそうな個人的なことは残らず──もちろんどこを噛んだら君がご機嫌になったかは除いてだから、概ね残らず。
それから遅くまでかけて全員の話を聞いた。どれも悲しい話だった。全部クリスやハシムやトニーやティファニーやケンやブリジットやシグルズルに聞かせてやりたかった。僕は今日初めて会った人の手を握り、今日初めて話した人の涙で服をびしょびしょにした。誰も答えは求めなかった。ただなんとなく、立ち止まることを許しあっていた。