女はしきりと頸の後ろを気にするようなそぶりをした。庭園をのぞむあずまやの影からは、ちょうど綻びかけの薔薇のつぼみが無闇と白く目に染みる。鉛色の髪を高く結い上げた貴婦人は、裾にとまったコガネムシを、淑やかとはいえない仕草で振り払った。友人はなかなか姿を現さなかった、いらだち紛れに手を打ちならすと、丸々としていた甲虫は飛び立つべく広げた羽をむなしく震わせて潰れ、汚ならしく中身を散らし、体液は石の上に染みをつくった。
「ひどいことを」
振り向けば待ち人はそこにいた。気取られぬよう苦心した風情もなく、普段と変わらぬ微笑でその面を彩っていた。この男はこれ以外の表情を知らないのではないか、と女は疑った。「遅れるからよ」
「それについては謝罪を」と彼女の手をとって恭しく口づける。白い指は手袋のレース編みを透かして伝わる温度に、幾度となく共にした褥を思い出し震えた。「しかしきみは急ぎの用とは言わなかった」
「あら、言い訳なさるおつもり? 半人前でも男は男ね。いいわ、枝葉は刈り落として申し上げるけど、例の場所から持ち帰ったものがあるでしょう。随分熱心に欲しがっていた。多少はあなたの審美眼に信用を置いているのよ、趣味がおよろしいでしょう、ねえ? 私もそそられたわ、身もちが堅そうでぞくぞくするじゃない。面白いものを手に入れたら披露してくれるお約束、あれは使わせてくれないの? ……厭だ、ご冗談。目が吊ってるわよ!」
男は眉ひとつ動かさずこれを聞いていた。ただ、舞踏の距離で向かい合う人間にははっきりそうと分かるほど露骨に、彼の微笑から柔和さがぬぐい去られていた。
「わたしの持ち物ではない」
「あ、そう。それは残念。なら強制もしないわね、挨拶なしに帰れだなんて」小さく鼻をならす。「会っていくわ」
「ご自由に」屋敷の主人はいざなうように腕を広げた。「ただし彼は下品な女は好かない」
女は弾かれたように笑いだした。けたたましく鳴く水鳥そのもの、恥じらいも遠慮もなかった。ひとしきり高笑すると、その顔から糸を切ったように笑みがかきうせた。鋭く手を叩く。同時に男は皮膚の上に痛みを覚えた。動じぬ彼は、この魔女の力をよく知っていた。
「帰るわ」
男は遠ざかる華美な姿を、あずまやの影から見送った。頬骨の上に走った傷から流れる血を拭おうとはしなかった。それは襟元に滴って、汚ならしく染みになった。