「彼に会ったな」
やつは椅子の背にもたれ、けだるげにフィドルの弦を爪弾きながら、世間話の調子でこう聞いた。忘れていた、こいつの力はそういうものだ。
「ハッハ! お前に隠し事はできないな。会った、会ったさ。つまらん男だ」
賭博では相手をおけらにする私の嘘もこいつ相手だとカタなしだ。私の剣は裏切り者の口をこじ開けるのに幾度も血脂に塗れるが、やつはほんの僅か鼻を効かせただけで済む。不具を補って余りある、この上なく便利な道具。やつはさも愉快げに微笑んだ、野蛮な牙を並べたけだものにしては文明的なやり方で。
「そうか。それは良かった。彼に手を出されては困る」
「どう困る?」私の知る限りこいつが“困った”ことはない。
「きみを殺してしまうかもしれない」やつは見えているほうの片目を瞑った。「いや、きみを殺す」
優美に弧を描く唇のあわいから飛び出したのは、その背後に控える歯列の獰猛な見目を欺かぬ挑戦だった。
「おお怖い、私の力を知っていてその威勢か。悪くない。お前に殺されてみたいよ。だがやりあえば必ず私が勝つ」
私は短い白昼夢の中で彼を七回縊り殺し、そのいずれにおいても傷一つ負わなかった。うち四回で引き裂いてやった左手は、欠けた指を恥じることもなくあらわになっていた。私はこの醜い手が嫌いだった。サイドショーの怪物を慰みに使う趣味はない。
沈黙が続き、飽きっぽい彼は楽器を放り出した。それに合わせて私も席を立つ。彼の後ろに回りこみ、堅苦しく閉ざされた襟元をくつろげてやる。私はいつもこうやって始め、お前は平然として受け入れる。目の届かない場所から触れられて怯える人間は多い、喉笛を撫ぜる指は恋人のそれでも彼や彼女を戦慄させるに足るものだ。しかしこいつは恐れない。私が何をしても許す、乾燥な無頓着、あるいはより甘く熱を孕んだ期待から……下らない、この男はそういった類の情を持ち合わせてはいなかった。
「俺は君を殺したい」
飾り物の左耳に息を吹きかけ、囁いてやる。どうせ反対側で聞いている。何をされるか分かっていてもこいつは意に介さない、開けておいた胸元へ腕を差し入れ、無遠慮にまさぐったところで咎めはしない。白皙の肌は絹地のようになめらかで、生きているもの独特の湿度を帯びていた。やつはわずかに背をのけぞらせ、布一枚隔てた私の指をなぞった。
「まだ明るいのにこれとは」こうして誘っておきながら、こともなげに言ってのける。我々は幾度となく罪を犯してきた、それを罰する神など居ない。私は彼を抱きすくめ、答える。
「あの男のせいか? 君は付き合いが悪くなった。私は寂しいよ、旧知の仲だというのにな……」
「客用の部屋がまだ空いている。わたしを貪りたいなら場所を選べ、きみをもてなすにはここにあるカウチはどれも狭すぎる」
私は喜悦に身震いした。お前は変わっていない、あの侯爵夫人に飼われていたときからずっと。これからお前のする顔は、あの男が決して見ることのないものだ。あいつはこの恥知らずのアーティが私の胸の下でどんな風に跳ね、身をよじり、喘ぎ、呻き、囁いて、その舌を、牙を、指を、脚を、どんな風に使うか、想像さえできるまい、きっとあのお澄まし顔で私の存在を厭いながら、小難しい本でも広げ、不愉快な私をその堅い頭から締め出そうと努めているに違いないのだ。その間、彼が私をどれほど愉しませることか! 他の連中が何に例えるかは知らないが、これは人間のしなやかさだ。四肢の先まで調和の取れた軽やかな舞踊、そうとも、今から彼は私を愉しませる。