ぼろ外套と吹雪など

 その日はこんなふうに始まった。懺悔室にはどこから入り込んだやらのカラスが居座っていて、これから市民が腰かけるはずの丸椅子で、いい場所を見つけたものだとばかりにのんびりとくつろいでいた。Zは扉を開け放ち、闖入者を追い出すべく手を叩いたり近寄っていったりしたが、鳥は折角見つけた避難所から──外は朝から吹雪かんばかりの荒れ模様だった──頑として動く様子もなかった。Zはしぶしぶ裏口のほうまで出口を繋ぎ、震えながら武器を探した。そして見つけた誰ぞの忘れた傘をしばらくの間ばたばたやってようやく灰色のうしろ頭を見送ると、吹き込んできた雪はそのままに戸締まりをして、延期された業務に戻るべく所定の位置についた。一番乗りはいつも嘘ばかり並べる四十がらみの肥った男で、犯してもいない罪を並べ立てるのをやめさせるためにZは何度も「あなたは赦されましたよ」を言ってやる羽目になった。彼が重い尻を上げてからは普段通りに進んだが、積まれた疲労はなかなか肩から去っていってはくれなかった。雪はまだ床の水溜まりの真ん中に融け残っていたし、かじかんだ指先が綴る文字はいつもよりずっと不恰好に暴れて見えた。彼はつきかけたため息をお決まりの台詞に変えると、衝立の向こうからこちらが窺えないのをいいことに、冷えきった手を忙しくさすったり揉んだりした。
 それから時計の針がいたちごっこを七、八たび繰り返し、最後の罪人がくしゃみひとつ残して部屋を出ていく頃にはZの指も書き物に望ましい温度を取り戻していたが、まさにおあいにくさまだった。面倒ごとの疲れをしまいまで引きずった免罪官は、これから出ていかなければならない外の寒さを思って憂鬱になった。折角温まったらこれだ、俺はまた自分のつま先がどこへ行ったか分からないような有様にならなきゃならん、指を残らずどこかに落っことしてきたみたいな、だ……しかしあのカラスのやつを無理に追い出してやることもなかったかな、今となっては大人しい鳥のたった一羽に目くじら立てても仕方なかったような気もする、なにせ朝からちっとも太陽にお目にかかれなかったじゃないか……いいや、どうでもいい、俺はまったくうんざりきているぞ!
 Zは最後まで残していた手帳をついに鞄の内ポケットへ滑り込ませると、埃っぽい暖房の排気とニスのぼやけた古い木材、そして紙とインクの匂いのする生暖かい部屋の中から、あれほど内心渋った割には潔く出ていった。誰もいない廊下から裏口のノブをひねると、氷そのもののような風が吹き込んで頬と耳に噛み付いた。哀れな官吏は暗く遠い天の上から投げつけられる無数の雪片をまともに浴びながら、家路らしきものを必死にたどった。革靴の中の足は危惧していた通りすぐどこかへ消えてしまい、夢よりも不確かな奇妙なしびれだけがかろうじて残った感覚だった。一歩を重ねていけばいつかは家の前まで行けるだろうからと、彼は灯も頼りない表通りで辛抱強く歩みを進めた。敷石はすっかり厚い雪に覆われていて、なまじ広い通りなものだから、北風はためらいもなく吹きすさび、突き刺さるたびにやりきれないほど肌が痛んだ。せめて風よけになるような垂れ付きの帽子でもあればなあ、と幾度となく外套の襟を寄せたり、立ててみたりしたが大した役には立たなかった。襟巻の隙間にも雪片は入り込み、水に変わってますます体温を奪っていった。こんなとき、とZは思った。こんなときあの大男がそばにいたら! 人好きのする笑みで窶れた顔の翳りを追い払い、やあと挨拶して友人を吹雪から守ってやろうとするだろう。ただ立っているだけでいい、あのぼろ外套を広げて。あのぼろ外套、つぎだらけで汚ならしい、しかし間違いなくあの男を愛する人間によって繕われたばかでかい布切れ……Zにはその“布切れ”を難なく思い描くことができた。想像の中のKは軽いからかいの文句を飛ばし、広げた外套の内側へ友を招くと、そのまますっぽりとくるみ込んでしまうのだった。どうせ行き合う人などいないので、Zははっきりと苦笑した。遭難しかけの妄想じみた馬鹿馬鹿しさが一拍遅れて恥じらいに変わった、あの男の胸に抱かれることを考えるとは、これ以上ぐずぐずしているとどうなるかわからんぞ、などと笑い飛ばしてみようとする一方で、さぞや居心地がよかろうと考えずにはいられなかったからである。