持てるものにはありがちな心配

 ぼくは人生のはじまりから、しょぼくれた当たりくじを引きつづけてきた。はずれを引いて死んでいった(あるいは死ぬよりひどい身分になった)やつらに比べれば遥かにましな人生だけど、それにしたってぱっとしないのは事実だし、景品としてもらえるのはひとかけのパンだったり、やたらに子供を殴ってこない主任だったり、もしくは病気の男の吐いたものが僕でなく隣に寝ていたやつにかかるとかその程度で、冷え込みのきつい朝にやりきれないほど膝が痛んだり、喧嘩の仲裁に入って一張羅にかぎ裂きができたりするのを経験せずに過ごせる日は、残念ながら少なかった。当然いつでも暖かい我が家や学校へ行かせてくれる両親、かわいい五人の子供、牛肉のごろごろ入ったシチューにとびきり上等な毛織りのセーターといったすばらしい報酬は望むべくもなく、というよりも、そもそもぼくはくじの対象に入っていないようだった。じゅうぶんに恵まれた人びとの間では、そういったもの──こちらからすれば最高の贅沢品──が残念賞あつかいされていて、ぼくらが指をくわえて夢見ているしかないものが、なんてことなく受け取られ、時には壊され、捨てられたりすらしているのを、ぼくは遠いどこかの出来事のように、ただぼんやり眺めているご身分に据え付けられていた。
 けれど僕は満足だった。地味な景品でも当たればもうけもの、そうとでも思わなければやっていけないのもあったにしろ、このご身分でも歳を取れば慣れと大人のがたいくらいは手に入る、ここにはまともな住まいと健康がない代わりに、酒も煙草も女もあった。何を楽しもうがお咎めなしなのは、ある意味では、幸せな家庭に生まれなかった子供たちのもつ特権で、僕らはかなり小さい頃からそういう(もちろんごちそうのうち最後のひとつはそれなりに育ってから)遊びを繰り返し、少し早めに大人になった。そうして、周囲から大人として扱われるようになったのはいつだったか、忘れるほど長いこと大人をやってきた。そうだ、僕は歳を取るのを忘れた気でいる。成長の痛みに膝が泣くのもいまは過去、日々は概ね変わらずに過ぎていくだけで、ピリオドは壁ひとつ隔てて歩く友達のようなもの。ほんとうの当たりを経験した人間に訪れる転落の恐怖、喪失の憂いとは無縁で、終わりは僕を脅かさない。
「K、君はどう思う」
「どうって? さあ……分からんよ」
「いいや、君には分かっているはずだ。ただ適切な言葉が見つからないのを、分からないの一言で済まそうとしているだけだ」
 終わりは僕を脅かさない。だのにどうして、僕は去っていった夕日を恋しがるような、妙な気分にさせられるのだろう。僕の教師はいつものように、暖色の光のもと、手元の本のページがつくるコーヒー色の影と戯れながら、天板の磨かれたきちんとした机の向かいで、生徒の頭がしゃんとしているか試している。今夜は不真面目な生徒を演じる僕はただ意味のない鼻歌でごまかそうとし、彼の指がある一行に留まるのを注視している。優雅な飼い鳥の足が籠の小枝をとらえるように、整えられた清潔な爪の乗ったうつくしいかたちの指が、『私は大いに泣きたくなったのだ』の上を静かになぞる。人生の何もかも捧げ尽くした男が、一番の望みを叶えたあとの場面が、わずかに灰がかった紙の余白に滲む。
「どうやらZ、君って人はつい贔屓の生徒を買い被る癖があるね」と僕は茶化して椅子の背にもたれた。「そうやすやすと何でも思いつくものじゃないさ、何度か君が気に入りそうな、ええと、かい……解釈を披露したところで、昨日までアー・ベー・ヴェーも綴れなかった人間が、少し本とにらめっこしただけで詩人に変わるようなことはないんだよ」
 彼は反論したげな様子でわずかに眉をひそめたけれど、すぐに諦めて、というよりごまかしの文句をぺらぺら喋る生徒を寛大に赦してやって、そろそろ少し休もう、と言い残して席を立った。キッチンを覗くと見える彼の後ろ姿は、僕の知る誰よりも姿勢がよく、健やかで、確かそうだった。さっき少し紛らわせたはずの妙な気分が、胸の中に舞い戻ってくる。それを野放しにしておいて、僕はお茶の支度をするZを眺めつづけた。彼は僕の当たりくじ、今までに貰えたお情けみたいなつまらない品物とは、比べようもなくすばらしい。手にした瞬間に失う日のことを考えずにはいられない、得がたいもの、ほかに見つかりようのないもの──明日は頼りなく、過ぎていく時間は口惜しい。彼のシャツの背中にうつろう影のありさまが抱かせる、かたちのない物思いを一言にまとめるなら、きっとこうなるのだろう。『私は大いに泣きたくなったのだ』。