小さな接触

 Zは石鹸を変えてみた。前のは素っ気ない青緑色の包みだったが、きのう気まぐれで選んできたものは何やら花とか小動物とかが踊っていて、薄桃色をしていた。カウンターまで行くと羞恥の念が膨らみかけたが、にきび面の店員にははっきりした意識らしきものが一切見受けられなかったので、安心して買い物を済ませた。使ってみると思いの外淡白で品のある香りがし、遠い昔ばらばらにして叱られた祖母のポプリを思い起こさせた。Kは気がつくだろうか、と彼は内心面白がった。授業のはじまりは遅れる予定になっていて、八時を過ぎてやっと玄関に顔を覗かせたKの頬は、疲労感に土気色にされていた……のと、実際に煤だか機械油だかに薄汚れていた。彫りの深いので常に庇の内から窺うような印象を与える視線が、Zの頭から爪先までを往復した。Kはしばらくつっ立っていた。Zはわざと寛大なところを見せて、なにも言わずに見守っていた。すると疲れた大男は、突如として倒れこむように距離を詰めると、Zの身体を抱きすくめ、長く時間をかけて息を吸い、吐き出した。
「何するんだ」とZはあわてた。「こんな……これは……」
 大きな手が構わずに腰を撫でたので、Zは黙りこんだ。代わりにKがあとを引き継ぎ、相手の髪に鼻をうずめたままこう囁いた。
「今日の君はいい匂いがする。甘い……疲れにはこういうのが一番効くというじゃないか、僕は本当に疲れてる……もう少しこのままで」
 Zはやりどころのない両腕を宙に迷わせるのをやめ、素直に教え子の背へ落ち着けた。悪戯心がとんだ事件を引き起こしたが、こういう授業もたまには悪くない、とも思われたのでよしとした。