言うまでもなくKの本来の目的は破壊ではなく略奪のおこぼれを掠めとることであったから、わざわざ隣町の治安の良くない地域まで出掛けていって、“色つき”の人々の鬱屈した不満の爆発からなんとか我が身を守りつつ、その危険に見合った品を手に入れるというのが唯一の関心事であった。ほとんど月終わりの恒例行事のように暴徒と化す移民は目下当局の頭痛の種だったが、その痛みの及ぶ範囲は不思議と限られていた。Kをはじめとするいわゆる最底辺のひとつ上の連中はこうした騒ぎとは(単なるやじ馬や火事場泥棒といった役回りを除けば)無縁だったし、不満はあれども治安維持部隊とやりあって命を脅かすほどのものでもなかった。Kはそのいささか目立つ丈の身をできるだけ小さく屈め、比較的幅の広い通りを足早に横切って店舗と店舗の間の暗がりに身を隠した。店主が逃げ出した金物屋の棚からフォークを二本、バターナイフを一本失敬していたが、彼は道中の苦労を思い、これではとても割に合わないと感じていた。ごみごみした路地から抜けた先の道は広さこそ車一台ぶんほどの余裕はあるものの、乱雑さにおいてはこの日一番の荒れ模様といった具合に破壊し尽くされていた。そう遠くない所で怒号が響き、罵声が返るのを耳にしたKはすぐさまもと来たほうへ引っ込もうとした。ところがここで彼の目はあるものに釘付けになった。嵐に遭って見る影もない小洒落れた(推測できる範囲)店構えの時計店の無惨なショーウインドウに、まったく無傷の懐中時計がひとつきり、奇跡のように残されていた。安全な物陰から慎重に這い出したKの足はこそ泥にしては存外堂々と瓦礫を踏みつけ、粉々の硝子片から目的のものを選り分けられる位置にまで進んでいった。節の目立つ汚れた指先がくすんだ金の鎖をつまみあげ、もう片方の手の平が浮いた時計の本体を優しく(栗鼠でもかわいがるような手つきで)受けとめた。決して飾り気のある品ではなかったが、文字盤の周りにはきわめて単純な、それでいて洗練された曲線の蔦模様が丁寧に彫り込まれていた。美術的な感性に乏しいKにもその仕事の真剣さはひと目で理解され、それがたいへん気に入ったのだった。そしてなぜだか、この掘り出し物をZに──あの狭苦しい懺悔部屋で鬱々としている教誨師にやらずには済まないような心持ちになっていた。まず派手好きとは思えぬあの男がKの与えた幾分趣味のいい贈り物を見て喜ぶ姿は、胸の内で描くだに心浮かれる素敵な光景だった。Zは鈍い金属光沢をしげしげと眺めたり秒針の音を聞いてみたりするだけでなく、ともすると、普段は品よく結ばれている彼の唇のあわいから、あのごく柔らかく美しい発音で「ありがとう」と言うのを聞けるかもしれなかった。
彼はこうした妄想に満足を先取りしつつ、自分の質草を受け出したばかりといった具合に時計を上着の胸ポケットに隠したが、鎖の端が滑り落ちたその刹那、無人とばかり思われていた店内の物陰からKに向かって飛びかかるものがあった。Kはたいへんなのっぽだったが体つきそのものはさほど強靭でもなかったため重心を崩されよろけたが、さりとて確かにのっぽではあったため人よりもやや重ためで、突然の衝撃も彼を倒すまでは到らなかった。のっぽ男は元からぐりぐりした目を見開いて、自分を脅かす人間を観察した。襲撃者は少年と言ってもよい位のあどけなさを残した若者で、荒々しくKの胸倉を掴んだ二本の手は拍子抜けする程ほっそりしていて優美だった。と呑気に構えていた矢先、なよやかな手の一方が振り上げられてKの頬骨を勢いよく撲った。
「それは俺が、俺が初めて作ったんだぞ」と若者はまた固く握りしめた拳を思い切り振るった。目じりには明らかにそれと分かる量の涙が砂ぼこりと混じり合い、光っていた。「お前のじゃない、それはお前のじゃない。誰かが買ってくれる予定だったんだ、父さんが一番いい場所に飾ってくれたんだ、それがお前みたいな泥棒の手にはいるものか、この野郎、この恥知らずの盗っ人め、それはお前のものじゃない」
彼はわめき散らし、相手の顔といい体といい、ところ構わず掴んだり打ったりした。もはや涙は殴打の激しさそのままに流され、血色のいい頬の上で泥水に変じていた。Kは時計を返そうとは思わなかったし、してやらないことへの罪悪感もなかった。ただ、名も知らぬ若者の下す罰を無抵抗で受け入れているのがこの世で一番正しい、まっとうなことだと感じていた。そしてどこか白けたような頭の片隅で、時計を受け取ったZの微笑、そればかりを夢想しているのだった。