三時四十六分の電車に乗る。この日は薄曇りである。内装の薄黄色と座席の臙脂色とが妙に気にかかる。とはいえ単にこれらの彩度が毛の逆立った精神にとって鮮やかすぎるのであって、特段何ということはない景色であった。神経過敏の理由はまさし此度の外出の目的でもある。亜揃解という男に会いに港まで行く。男とは言ったが本当のところは誰一人として知る者の居らぬ一個の謎であり、謎は港の風景の突き放すような寂寥、これより先は人の世にあらずと声高らかに宣す波止場の落とし穴じみた海との断絶、そこからうち広がっていく海そのものの不可知性に似ていた。大小様々な波の連なり、無限を数えやがて水平を規定する一本の線条へ収束していく表層の幾何学的なディテールはまさに皮一枚の騒乱であって、その下の深淵を思えばしぜん寒気の骨を食むは避けられぬことである。その印象はかの人の名に当てる漢字に幾つものヴァリエーションがあることからも推し測れ、それらは見慣れぬ目障りな字の並びをして互いを類型としていた。私の神経は秒を追い、ひとつ駅を過ぎるごとに恐慌に陥っていった。ひきつった頬や額の肉の上を脂汗のしたたり落ちる感触を一度ならず覚えたが、掌をもって拭き清めようとすれば錯覚なのだった。