獣は山に帰ってきてひと息ついた。お茶を淹れることを考えたが、あまりにも疲れすぎていたためにそれはできなかった。獣は荷物を床に置き、安楽椅子の上へぐったり沈みこんだ。暖房に火を入れるまでもなく、身体じゅうがどろどろに融けてしまうようだった。しかしながら、融けかけになると、でろでろになった首とかの間から、あまり見たくもなかった自分の業突くばったところが、いっぺんに緩んで輪郭を鈍にするのがわかった。獣は悪いところがたくさんほどけていくのも感じ、なんとなく肩のあたりが楽になるのを、引っ越し前の住居の空虚さで喜んだ。光が射している、あの慣れ親しんだ窓の枠と枠の間のところから、思わぬ快活さをみせる十月の曇り空、青ひとつない三種類の白を跨いだ天上のからっ晴れが家の中の埃を可視化するためだけに注ぎ、眺める人の勝手な感傷で、どうとでも都合よく色がつけられる。寂しさ、寂しさが蜂蜜色にする、れんげやあかしあの淡いやさしさで、ただあるだけの記憶をそんな風に思い出に変えようとする、なるべく長く惜しめるように。町で過ごしてきた時間は嵐のようだった。獣は他人のために焼いた皿のことをあまり詳しく覚えてはおらなんだが、他人のためにした仕事はいつだって心地よかった。誰が使うとも知れぬ不格好なぐい呑みをこねるより、花瓶やスープ皿(それは匙置きのあるやつ)、茶瓶に飾り台のついた取っ手つきの湯飲み、変わり種では規制によって死を余儀なくされた安煙草の墓、などといったふだん作らないようなものづくりに没頭するほうが、はるかに楽しかったのだ。しかるに町は獣を文字通り夢中にさせたが、ごくたまに手紙が来る程度の山での暮らしに慣れきった獣には、買い手が見えるところに居るのが奇妙で、いつまでも慣れなかった。折角寄せられた使い心地の感想を聞き流し、軽い礼ですら受け取り損ねる始末だった。他人のものづくりに強く惹きつけられもしたが、ふるまいかたはよくわからなかった。要するに、獣は他人とやりとりするのがほとんど初めてだったのである。獣はまだ心の内でひそかに自分の席にしていた、あの喫茶店の片隅の、ぬくい陽気だまりの席を思い出していた。よく他人が訪れて喋っていったが、記憶は感情だけ残して中身が抜けてしまっていた。獣は暇だった、暇すぎた。もうみんな獣のことを忘れたろうが、獣はいつまでもあの席を、あの心持ちを、懐かしがることをやめられない。獣は明日も明後日も、町にいた頃の夢を夢を見て起きる。身体は帰ってきたものの、まだ心が帰らない。